160.メガネ君、興奮してがっかりする
「――おまえ! おまえおまえおまえ! おまえぇぇ!!」
目が合った瞬間、ベッケンバーグの目がくわっと見開く。
そしてずずいと寄ってくると、血走った目で顔がぶつかるほどに迫り、彼は言い放った。
「おまえのせいでこっちは大変なことになってるんだぞ! どうしてくれるんだ!」
え?
……え?
いやいや。
ちょっと待とうよ、おっさん。
「私は何も関係ないじゃないですか」
びっくりした。あーびっくりした。
まさか俺が責任を問われるとは思わなかった。
今何で揉めているかはまだ判明していないが、原因はお金がないことだろう。
お金がない理由は、昨夜ゼットの仲間が、ベッケンバーグの家に強盗に入ったあの件だろう。この分だと相当ごっそりやられたっぽい。
でも、冷静に考えてほしい。
俺は事件があった時に一緒にいただけで、事件そのものとは一切関係ないのだ。
なんなら、ベッケンバーグが立てたゼット殺害計画を、裏手に取られての強盗事件である。
被害者にこう言うのもアレだけど、自業自得に近いんじゃなかろうか。
「あなたがそれを言うべき相手はゼットさんでしょう?」
「うるさい! おまえが俺の目に塩なんかかけたから初動が遅れたんだよ!」
いやいや。ちょっと。
「すべては手遅れだったじゃないですか」
何せゼットは、強盗が終わるまで一緒にいたんだから。
なんならベッケンバーグが余裕こいて酒飲みながらゼットを待っていた時には、すでに強盗事件が起こっていた。時系列で見ればそういうタイミングだろう。
仮に初動が早くても、何もかも間に合ってないと思う。
被害者には重ね重ねアレだけど、これも自業自得に近いんじゃなかろうか。
「――うるせぇぞこの野郎! ベッケンバーグ、てめぇの用事は済んだだろうが! さっさと帰りやがれ!」
俺に食って掛かってきたベッケンバーグだが、さっきまで言い合っていたおじいさんに再度怒鳴られると、舌打ちして行ってしまった。護衛二人を連れて。
なお、近くで見てわかったが、護衛二人の白けた顔がすごかった。ベッケンバーグの後ろに付いているせいか、見られないからってすごい面倒臭そうな顔してた。まあ、きっと表情までは護衛料に含まれていないのだろう。
……それにしてもびっくりした。
こんなところでベッケンバーグに会うとはなぁ。
…………
なんか大人しく帰ったとは思えない。待ち伏せされてそうな気がする。帰りは遠回りしよっと。
さて。
俺にとっては予想外の客が帰ったところで、まだ気が立っているおじいさんの矛先は、こちらに向いた。
「おいカツミ! てめぇ馬の角はどうした!? さっさと持ってこい!」
みなぎった怒声に、しかしカツミは冷静に対処する。慣れたものなのだろう。
「角はこれから持ってくる。それより客を連れてきたんだ。話聞いてやってくれ」
「あぁ!?」
と、奥にいたおじいさんはすたすたとこちらにやってきた。
……遠目にも小柄だと思ったが、近くで見ても小柄である。俺より小さいくらいだから。
年輪を経た深い顔のしわに、とんでもなく意志が強そうな黒い目が俺を見据える。
「ここは鍛冶場だこの野郎! ここは女子供の来る場所じゃ……あ?」
きっと俺も怒鳴らるところだったのだろう。
しかし、おじいさんは俺を見て、言葉を切った。
「な? ただもんじゃねえだろ?」
ん?
今のカツミの言葉の意味はわからないが、恐らく俺のことを言ったのだろう。
そして、まだ冷めやらなかったおじいさんの怒りが、すーっと冷めていくのを感じる。
「……客か。わかった。てめぇは早く角持ってこいや」
急に冷静になったおじいさんと俺を残し、カツミは行ってしまった。
「来いよ坊主。話を聞いてやる」
…………
一目で見抜いたか。
ただの怒りっぽいおじいさんというわけではなさそうだ。
「――うまく言えねぇが、男と女じゃ根本的な骨の造りが違うんだよ。どんなに外面を繕っても体内まではごまかせねぇ。一目見りゃわからぁな。こちとら物の本質を見極めて無理なく変形させるのが仕事だからよ」
どうしてわかったのか、という質問をすると、おじいさんはそう答えた。
さっきまでベッケンバーグが座っていた簡素な椅子を勧められた。
テーブルもない鍛冶場で、おじいさんと差し向かいである。
「カツミさんは気づいたでしょうか?」
「坊主が女の形していることにか? そいつはわからんが、只者じゃねぇことは見抜いていたみたいだぜ。ま、どう見てもその辺の娘っこじゃねぇしな」
そうか……まあその辺のことはいいか。
「で? てめぇもサッシュの話を聞きに来たのか?」
え?
「サッシュの話?」
ここでいきなりサッシュの名前が出たのも驚いたが、その話の振り方も気になる。
「違うのか? こちとら今日だけで二回同じ話をしてるぜ。赤毛の小娘と、ベッケンバーグにな」
……赤毛、か。
それは恐らくリッセだな。
俺は知らなかったが、リッセは例の壊王馬を仕留めた青髪の噂を聞き、ここを訪ねてきたのだろう。
リッセは俺たちを探すと言っていたから。
むしろ彼女がここに来るのは、必然だと思っていいだろう。偶然なんかじゃない。
逆に俺がここに来たことの方が、よっぽど偶然だろう。
「その話も気になりますが、まず仕事の話をしていいですか?」
「おう、そうかい。じゃあそうするか。カツミが俺に寄越したくれぇだ、まあまあ珍しい類の仕事なんだろ?」
なるほど。
この親子はそういう感じで客の紹介をしているのか。
「黒皇狼の牙を、ナイフにしてほしいのですが」
と、俺は黒皇狼の牙を差し出した。
「ほう? あの犬っころの牙か。久しぶりに見るぜ」
玩具を貰った子供のように楽しげに笑いながら、おじいさんは牙を受け取り、仔細に見る。
「……ああ、間違いねぇな。この異様な硬さと牙の造りは覚えてる」
お、そうか。ロダを疑っていたわけではないが、本物だったか。
「ナイフか。いいじゃねえか。手入れも簡単だし、手入れさえ欠かさなきゃ多少乱暴な使い方をしても刃こぼれしない。一生ものの一品になるぜ」
ほほう。やはりさすがは黒皇狼の牙ってことか。いいですね! なんかこう……興奮してきた!
「だが高ぇぞ?」
「え」
「ったりめぇだろうが。
これだけ硬いモンを加工するんだ。手間も時間も技術も道具さえも、これに見合う物を使わなきゃならねえ。
そこらの鉄くずで、どうでもいい包丁だのフライパンだのを作るのとはわけが違う。
珍しい素材の持ち込みや、一級品の依頼ってなぁだから高ぇんだよ」
…………そうですね。そう言われてみればそうですね。
…………はぁ。
え? 興奮なんてしてないですけど? 俺はいたって冷静ですけど?
「――足りねぇな。全然足りねぇ」
アディーロばあさんの護衛料として貰っているお金の額を伝えるも、おじいさんは無情に首を横に振った。
少なくない額だと思うが、それでも全然足りないらしい。
ベッケンバーグを追い払ったさっきの剣幕を思えば、値切るのも分割払いも後払いも、決して認めないだろう。
「それじゃ頭金にしかならねぇよ。だが俺は即金即決でしか仕事はしねぇ。依頼するなら全額一括で先に払え」
即金即決か。
さっきベッケンバーグを追い返した理由も、それだったしな。
「チンピラやら三下の悪党が多い街だからな。分割だの後払いだのにしたら普通に踏み倒されんだよ。だからもう即金でしかやらねぇって決めてんだ」
あ、そうですか。
まったくもってありえる話でしかないですね。
つまり料金関係については、どんなに頼み込んでも折れそうにないわけか。
一時的にアディーロばあさんにお金を借り――いやダメだ。借金もイヤだし、借金する相手としてもイヤだ。
……仕方ない。出直すか。
「これ以上出せるお金がないので出直します」
「そうか。まあ仕方ねぇな。――ちなみに坊主、さっきのサッシュの話だがな」
……? サッシュ? なんの話だ?
「あいつぁな、俺からブラインの塔の場所を聞くのと、自前の槍を造らせることを条件に、女王に挑んだんだよ。
仲間が待っているから早くブラインの塔に行かなきゃなんねえ。それと自分用の槍も欲しい。ちんたら金稼いだり信頼を重ねている時間はねぇってな」
…………
そうか。
サッシュがここに来た理由は、自分の槍を購入するためか。
そして彼は恐らく、既製品ではなくオーダーメイドで自分に合う槍を造ろうし、その目的のためにこのおじいさんに辿り着いた。
この人だよな?
鍛冶場街の支配者タツナミって。
サッシュはここらで一番の鍛冶師を訪ね、自分の槍を造ってもらおうとした。
だからタツナミじいさんは彼のことをよく知っていて――
まあ、どっちが言い出したかはわからないけど、「もしサッシュが壊王馬の女王を仕留めたらどうこう」みたいな交換条件で、あの馬に挑んだわけだ。
あれ?
ということは、あれか?
サッシュはもう、ブラインの塔に行っているのか?
「坊主、てめぇエイルだろ?」
……ん?
「サッシュから聞いてる。何事にも冷めたメガネのガキだってな。すぐわかったぜ」
…………
あのチンピラ、話の折に俺のことを……いや、恐らく全員のことをしゃべったみたいだ。何やってんだあいつ。バカ。
会ったら文句言ってやろう。




