15.メガネ君、ライラの実力に驚愕する
ライラと手分けして捜索を開始し、いくつかの手掛かりを見つけた。
折れている草。
これは、何者かが通った跡である。大きさからして人より横幅は大きい。そう、熊みたいな巨大な何かが通った痕跡だ。
かすかに地面に残る、えぐれた四本線。
これは足跡だ。爪を持つ四足歩行の獣が歩いた痕跡だ。
そして、まだ乾いていない血の跡。
何者かが動物を食べたのだろう。捕食者の食事した痕跡だ。
まだ赤熊かどうかは断定できないが、熊っぽいのがいたのは間違いなさそうである。
――というか、間違いないと思う。勘だけど。
「これだろうね。追いかけようか」
ライラが頷く。実戦が近いと察し、いよいよ緊張感が増してきたようだ。まだ固くなるには早いと思うけど。
ここからは俺が先導することにしよう。
気配を消し、手がかりを追いかけながら更に森の奥へと向かう。まあ俺は気配を消してるけど、ライラが丸出しなので、どの程度有効なのかは謎だが。
しばらく進むと、それらしい気配を感じるようになった。
ゆっくりどこかへ移動している最中のようだ。
「物音に気を付けて」
遠目でもいいから、目視できるところまで距離を詰めたい。
狙う獲物に間違いがないか確認してから動かないと、まさかの標的ミスで本命に逃げられかねない。
今のところ、普通の熊という可能性もある。
赤熊に違いないとは思うが、狩りには慎重さも必要だ。むしろ仕掛ける直前は慎重になるべきだ。
それこそ、ライラがいなければ、確実に狙える距離まで近づくんだが。
でも今回は、彼女の訓練が優先だ。
「いた?」
「これから確認する」
細心の注意を払って身長に歩を進めると――見えた。
土埃にぼやける赤い毛皮をまとう、人より大きな生物。俺たちの方向から遠のくように歩いているので、こちらには気づいていない。
赤熊だ。
ちらっと見えた。
これ以上の接近は、人間の臭いやライラの丸出しの気配で悟られる可能性があるので控えよう。
「ライラ」
俺は赤熊の視界から外れるように木陰に隠れ、ライラの腕をひっぱり引き込む。
「標的を見つけた」
「う、うん、……ち、近くない?」
木の陰に隠れているので、確かに密着状態である。
でも今それを気にする状況じゃないと思う。今下手を打てば数秒で襲われ死ねる状況で、近いだなんだ気にしてられない。そういうところが未熟なんだって話だろうに。
ライラの主張より命が大事なので、構わず続ける。
「捜索を開始した焚火のあとまで戻って」
「え?」
「ここはちょっと木々が密集してるから。飛び道具は使いづらい」
多少は開けた場所じゃないと、戦う環境には適さない。
でもあんまり開けすぎていると遮蔽物がなくなるので、これまた適さない。真正面からぶつかり合うには相手が悪い。そういう狩りは俺はできないし。
「あそこの焚火のあとまで戻って、木の上で待ってて。俺が赤熊を引っ張っていくから」
そこまで言えば、ライラにもやるべきことがわかったようだ。
「連れてきた赤熊を、あたしは上から狙うのね?」
そういうことだ。
俺が頷くと、ライラは「わかった」と言い残して素早く来た道を戻っていった。動きは悪くないなぁ。朝から歩き詰めなのに、息切れもしないくらい体力もあるみたいだし。
あとは、やっぱり経験かな。
それも実戦経験が欲しいんだろうな。
まあ、それは今後個人的にがんばってもらればいいけど。
――さて。
ライラの気配が遠ざかるまで待ち、俺は弓を構えた。
獲物をいたぶるのは好きじゃないが、今回は狩りではなくライラの訓練だ。できる限り要望には応えないとな。
すぐに撃てるよう木の矢をつがえ、弦は引かずに移動する。
再び視界の中に赤熊を捉えると、一瞬の躊躇もなく木陰から身をさらけ出し弓を引き――躊躇してもう一度木陰に隠れた。
「……?」
赤熊が振り返った気配がする。フンフンと鼻を鳴らしている。まずい。このままだとたぶんバレるな。先制は失敗か。
いや、それよりだ。
「あの数字は……」
また、あの数字が見えた。
忘れていたわけじゃないが、あれ以来見ることがなかった頭上の数字が、赤熊に見えた。
金髪おかっぱのロロベルの頭の上に出ていた数字と、同じやつだ。
今度は「11」だった。
「……『5』?」
もう一度確認するために、そろそろと片目だけ出して覗いてみると――今度は「5」になっていた。
「ゴオアアアアアアアアアア!!」
しかも目が合った。バレた。
身をすくませるような重量級の重い咆哮を上げ、赤熊が俺目掛けて走り出す。と同時に俺も走り出していた。
木々を縫うようにジグザグに逃げる。
直線なら赤熊の方が早いので、まっすぐ追わせるわけにはいかない。
「よっ」
時折り追いつかれて前足の爪を振るわれるが、それは避ける。
避けるついでに振り返り、六割ほど引いた弓で素早く牽制の矢を飛ばす。……あー、やっぱ木の矢じゃ深く刺さんないな。
まあ、ダメージは期待してない。
強いて言うなら、ちょっとチクッとして怒らせて追わせるのが目的だ。
ちなみに数字は「3」になっていた。死刑宣告みたいで減るのはあんまり嬉しくないな。
二度三度と木の矢で攻撃を与え、赤熊に迷う間を与えず、ライラが待つ焚火のあとまで連れてくることに成功した。
「ライラ!」
来たことを告げるように声を上げ、俺は少し開けた場に走り込み――
「――『風空斬』!」
どこぞの木の上から、見えない刃が飛んだ。
俺から数舜遅れてやってきた赤熊の首を、正確にざくっと捉えていた。
「……グゥゥゥゥ……!」
だが、無視である。
赤熊はうなり声を上げ、その瞬間を見るために立ち止まった俺を睨んでいる。
今間違いなく斬られたはずの首など気にせず。なんなら何か飛ばしてきたライラの方を警戒することもなく。
無傷、だな。
完全に無傷だな、これ。
ほっそい木しか斬れないって聞いた時からなんか予想はしてたけど。
ライラの魔法は、赤熊には効果がなかった。強いて言うなら赤毛がばさっと切れただけだ。髪切るのに失敗したみたいに。
……なんというか、うん、そうだね。
訓練以前の問題だね。実戦はまだ早いんじゃないですかね。実戦経験よりまだ自主訓練の段階じゃないですかね。
「『風空斬』! 『風空斬』! はあはあ、『風空斬』! うおおおおおおおおお!! 『風! 空! 斬んんんん』!!!!」
これが魔法の威力か。びっくりだね。
俺が赤熊と対峙し、避けたり矢を放ったりして足止めしている間に、ライラが怒涛の魔法攻撃を繰り出す。
もちろん、効果はない。
赤熊は振り向きもしない。振り返ってやってくれよ。本人きっと必死だよ。気を遣って。気にしてやって。
不毛な散髪が続くだけというこの状況に、いよいよ俺が痺れを切らしてきた。
忍耐力はそこそこあるつもりだが、一発貰えば死ぬような危険に身をさらして無駄な時間稼ぎの囮をやっている自分が、異様なバカに思えてきたのだ。
ダメージがあるならいい。
何発かそれなりに有効打があれば、出血多量で弱らせることくらいできるだろう。致命傷は与えられないにしても、それも積み重ねることで脅威になる。
だが、積み重ねるものがないのでは、なんの意味もない。
果たして安全地帯から魔法を乱打するのと、訓練で動かない的に向かって練習するのと、何が違うというのか。実戦である必要がないだろ、これじゃ。
「おーいライラー」
赤熊の相手をしながら、ライラがいるだろう場所に向かって声を上げる。
「な、な、なによ! これでも一生懸命やってるわよ! 次見てなさいよ!」
いやいや、もういいですよ。もうわかりましたよ。
「もう俺が仕留めていいよね?」
というか、許可がなくてももうやっちゃうけど。
俺は腰に下げている矢筒から木の矢を捨て、鉄の矢だけ残した。
ここから先は牽制じゃない、仕留めるための攻撃だ。
「――あれ?」
鉄の矢を構えると、赤熊の頭上の数字が変わった。
これまでずっと「3」だったのに、今は「96」になっている。
…………
これってまさか――