151.交差する夜 2
「――というわけで、来てほしいんだよね」
ゼットがボッコボコにされ始めた頃、“悪知恵のコード”は一早く、貧民街にある孤児院を尋ねていた。
ここら一帯の建物にしては立派で大きく、頑丈な石造りの孤児院だが。
実は、かなりいわく付きの場所である。
簡単に言えば、子供を食い物にする大人たちが設立・経営していたので、ここに入ってから消息を絶った子供は多い。
さすがの無法の国クロズハイトでも、義憤に駆られた者たちがその都度悪党どもを潰しているのだが、この立派な建物自体には活用の目途がいくらでもある。
中でも、やはり孤児院としての使い道が望ましい。
行き場のない子供も多い街である。
こういう場所は、かならず必要なのだ。
だが、ここに目を付ける悪党も、やはり多かった。
弱者からはむしり取り、強者からはかすめ盗る。
クロズハイトの小悪党はそういうタイプが多いのだ。
そこに「子供たち」という弱者と、「子供たち」という弱点を同時に抱えることになる孤児院の経営者は、よく狙われるのだ。
様々な理由から、経営者が変わることも多かった。
今は「国を追われた軍人」という噂のじいさんが、十年ほど経営者として居座り、それなりに回している。
十年は長い。
それだけ見ても、噂のじいさんが軽々しく触れていい人物ではないと告げている。
そんな孤児院だが、最近になってここに住み始めた者がいた。
「そう言われても……」
コードの目の前には、一人の少女がいた。
見た目は、普通の少女である。
珍しくもない長い金髪に青い目、パッと見は地味だがよく見たら整っている顔立ち。
育ちが良さそうな雰囲気はあるが、この街に来る者に「育ちがいい者」なんていない。この少女もきっと曰く付きだろう。
背格好も同年代の女子としては平均的で、あまり特徴がなかった。
強いて特徴をあげるなら、メガネくらいだろうか。
決して強そうにも見えないが――まあ、「この孤児院に身を寄せている」だけで、少なくとも噂のじいさんには認められるだけの人格者で、腕も立つのだろう。
「女の子が暴れているから止めてくれ、と。でもわたしにそんなことを言われても、どうしようもないですよ」
時刻はとっくに夜中である。
闇にまぎれて行動する者も少なくないが、それだけに危険も多い時間帯である。通り魔に襲われることも珍しくはないのだから。
月明かりもかすかな孤児院の前の路地で対峙しているが、周囲に見える闇の奥には、何が潜んでいるかわからない。
――その時間に、外から呼びかけられてすぐに一人で出てくる少女というのも、異様ではあるのだ。
少なくとも、この街で生まれ育ったコードには、異様な光景である。印象通り「普通の少女」では絶対にないだろう、とすでに認識している。
「でも知り合いでしょ? 忌子で、すごい地方なまりのある子。炊き出ししてる時に一緒にいるの見たんだよね」
「はあ、そうなんですか」
少女は苦笑する。
「でも、彼女が暴れているなら、相応の理由があるんじゃないでしょうか。わたしが止める理由がありませんけど」
「――ゼットと遭遇したら、あの忌子たぶん殺されるよ?」
少女の笑みが消えた。
「――だとしたら、あなたがここに来る理由がないですよね?」
少女は更に言葉を重ねる。
「わたしが行って彼女を止めろ。
それがあなたの要求。
でもその要求って、彼女が死んで困る理由が、あなたにある場合ですよね?
しかし実際は違う。
あなたは、彼女が死んでも何も困らないでしょう?
だからあなたはわたしを呼びに来た。
わたしが彼女を止めないと都合が悪い理由があるとして、でもあなたにも止めないとまずい理由があるから。そうですよね?」
今度はコードが苦笑した。
「はは……鋭いね。そうなんだよ。こっちもちょっと色々まずくてね」
と、コードは愛用しているコートのポケットに手を突っ込んだ。
「それがわたしに関係が?」
「まあ聞いてよ。ここからは本音を、真相を話すから――いや待って待って。聞いてよ」
「眠いんですが」
「頼むよ。きっとお互い大事な話だからさ」
帰ろうとした少女を呼び止め、コードはつらつらと語り出した。
印象と違って思った以上に御しづらい少女と、これから起こるであろうゼット及びチームの損害を考えて、本当にストレートに語り出した。
忌子とゼットが相対する前に、なんとかしたい。
――まあ、この時点ですでに手遅れなのだが。今この時こそ、ちょうどゼットが殴られている頃である。
「まず、ゼットは理由もなく人を殺せないんだ。だからまずい」
あの忌子は「仕置きの時間じゃ」などとほざいて、強盗のあとの合流地点としていた場所に現れ、一仕事を終えてきたメンバーに襲い掛かった。
最初は見た目の小ささに本気と見なかったメンバーたちが、彼女の尋常じゃない怪力を見て、すぐに認識を改めた。
手近にある物を投げたり、向かってきた人を掴んで投げたり、奪ってきたお宝を殴ったり蹴り飛ばしたりしてばら撒いたりと、やりたい放題やり始めたのだ。
問題は、彼女に悪意や殺意がなかったことだ。
あんなにめちゃくちゃに暴れ始めたのに、コードには、彼女が加減していることさえわかってしまった。
決して殺さないように。
大怪我をさせないように、と。
決して殺しに来たわけではない。
理不尽にボッコボコにしに来たわけでもない。
本当に本人の言う通り、何かしらの行為に対する「おしおき」なのだろうと判断した。
だからまずい。
「あいつは敵意や殺意に敏感なんだ。だから相手の感情に反射的に行動する。
簡単に言うと、戦っている時は殺しに来た者しか殺さない。
通常なら、殺さなければいけない相手しか殺さない。
無差別には殺らない。そういう主義なんだ。
仮に追い詰められて主義を曲げたとしても、あの忌子を殺したらすごく後悔するだろうね。だって相手は殺す気で来てないんだから」
あの忌子は異常に強い。
ゼットが本気を出さないと勝てないと思う。
だが、ゼットの本気は、もう殺しの領域に入る。
そしてゼットはわかるが、忌子の実力がまだはっきりしていない。
本気でやりあえばどちらが勝つかはわからない。
だが、きっと、本気ならどっちかは死ぬだろう。
強い者がやりあった結末は、どうしてもその辺になってしまう。
「ゼットが死ぬかもしれない」という可能性がある時点で、コードはそのリスクを含んだ選択肢は取れない。
だから、そのリスクを排除するために、少女に会いに来たのだ。
「できれば、ゼットと忌子が会う前に止め――」
「こういう可能性は考えませんでしたか?」
コードの言葉を遮るように、少女は微笑んだ。
「わたしとその子が手を組んで、ゼットさんを殺すという可能性。
あなたはなぜ、無事に帰れると踏んで、わたしに会いに来たんですか?
知り合いだって知っているのに。
だったら、わたしが彼女の味方であることも、考えるべきだったのでは?」
なんの敵意もない。害意もない。殺気もない。圧力もない。
ただ微笑んでいる少女に、ざわざわとした得体のしれない恐怖を感じ思わず一歩さがったコードだが。
その下がった分だけ少女は距離を詰める。
かすかな月明かりを反射し、ぎらりとメガネが光る。
「彼女は『おしおき』って言ったんでしょう?
でもわたしは『もう殺すべき』と思っていますけど?」




