150.交差する夜
愕然とした。
「おいおいなんだこりゃぁ……」
辺りのボロ小屋は倒壊し。
数えるのも大変なほどの量の金貨が一帯に散らばり。
いかにも一目で高いとわかるツボは割れ。
見たこともないような豪華な宝石類は、地面に転がり月明かりを浴びてなお輝く……悲しげに。
そして、それらを彩るように倒れている十数名の若者たち。
まさに金銀財宝と死屍累々が一緒くたになった、素晴らしくもカオスな光景だった。
まあ、仕事は成功したのだろう。
成功したあとに、かなり派手にやられたわけだ。
「――おう、われがゼットけ?」
「あぁ?」
声がした方を向けば、月明かりの及ばない暗がりの中に、赤い瞳をらんらんと光らせる誰かがいた。
声からして少女。
キーピックと同じくらいか、もしかしたらもっと小さいかもしれない。
「これ、てめぇがやったんだよなぁ?」
ゼットが“鍵穴のキーピック”に呼ばれた理由は、「わけわからんめちゃくちゃ強い奴が攻め込んできた」だ。
そして、この場に立っているのは、ゼットとキーピックを除いて、この赤目だけ。
「――ああ、うちがやった。でも別に構わんじゃろ?」
暗がりから、ゆっくりと赤目の少女が月明かりの下に出てくる。
思った以上に小さい少女だった。
「――われどもはちぃと弱者の痛みを知った方がええ。うちがきっちり教えたるけぇ――」
確かめるべきことは確かめた。
もうゼットに言葉は必要なかった。
やられたらやり返す。
舐められたら舐め返す。
そうやって自分を貫いてきたゼットは、相手が誰であろうが何であろうが、自分に矛先を向けた者に容赦する気はない。
男も女も関係なく。
「……なんだぁてめぇ」
強かに。
そして確実に。
ただの少女なら首の骨さえ折れるだろうゼットの拳は、赤目の少女の顔面を捉え、まともに直撃した。
なのに。
「――覚悟なら今のうちにしとくんじゃぞ? しばらくまともに歩けんけぇのう」
なのに、ほんの少し、少女の首が傾いだだけ。
平然と話している態度からして、多少のダメージさえ負っていないようだ。
ゼットの、わりと本気の攻撃だったのに。
これはまずい。
只事じゃないし、只者じゃない。
特に素手で強い奴は、ゼットと相性が悪い。
「――仕置きの時間じゃ! しっかり歯ぁ食いしばっとけよチンピラぁ!!」
怒りの理由がさっぱりわからない。
わからないが、赤目の少女は間違いなく怒っていて、ゼットを敵視している。
「――いいかい?」
夕食が終わった後、すぐに“悪知恵のコード”が言い出した。
“悪ガキのゼット”と“鍵穴のキーピック”が深酒して前後不覚になる前に、どうしても言っておかねばならない。
「あぁ?」と不機嫌そうに酒瓶から口を離すゼットと、「お、ついに続報?」と何事にも興味を抱きやすいキーピックの視線が向く。
――ここは貧民街の一角、比較的古い頃に作られた狭い飯屋の奥の狭い個室である。
古い常連ばかりが出入りし、ゼットたちも小さな頃からの常連だ。
古くから存在するだけに、店主を含めて「誰かを売れば次は自分が売られる」という暗黙のルールを厳守する者ばかりだ。
トレードマークとなっている帽子をかぶった少女は、キーピック。
鍵開けが得意なゼットの手足だ。
子供の頃から愛用しているコートがやっと似合うようになってきた青年は、コード。
ゼットと同い年の、ゼットの頭脳である。
「調査の結果で言えば、間違いなく罠だね。ゼットをおびき寄せるために、わざと情報を漏らしたとしか思えない」
ここ最近で一番気になる情報は、“栄光街のベッケンバーグ”と“娼館街のアディーロ”の密会である。
ほかにも「孤児院に居候し始めた凄腕」とか「大店に秘密裏に運び込まれた荷物」とか「貧民街で炊き出しを始めた忌子」とか「ことごとく迫るカツアゲから華麗に逃亡したメガネのガキ」とか、気になる話はあるが。
やはりかの者らの密会は、誰が見ても気になる情報である。
ベッケンバーグとアディーロは、この無法の国クロズハイトを支配している権力者である。命を狙う者は多いし、また生かしたい者も多い。
当然ゼットたちも注視していたが、コードの読みでは「密会は囮であり罠である」らしい。
「だろうよ。わざとらしすぎんだよ」
ゼット本人は勘で疑っていたが、コードが調査を重ねて理屈で考えてもそうだと言うなら、間違いないだろう。
「で? 俺は行っていいのかぁ?」
「やっぱり行きたい?」
「たりめーだ。この俺を呼んでんだろぉ? だったら行ってやんねぇとなぁ」
勝気に笑いながら、死体酔をぐいっと煽る。強い安酒をごくごくと喉を鳴らして嚥下する。
「特にあのデブには、少しばかり嫌がらせしときてぇからなぁ」
ゼットたちにとってベッケンバーグは非常に鬱陶しい人物だ。
隙あらばゼットたちの解散を、更に言うなら命を狙ってくる。
こっちがそう簡単に自分を殺しに来ないことを知っていて、決して表立って動かず、地味に仕掛けてくるのだ。
たまには牽制しておかないと、またちょっかいを出される。
ゼット辺りは退屈しのぎに歓迎するが、仲間内には荒事が苦手な者もいるので、できればやってほしくはない。
「行くのはいいけど、一つ計画があるんだ」
コードの言葉にいい反応を示したのは、キーピックだ。
「計画? 計画って? おもしろいこと?」
キーピックは面白いことが大好きである。
そして恐らくゼットよりも性質が悪い。
まあ、間違いなくそれ以上に性質が悪いのが、コードではあるが。
「僕が君たちに、面白くない計画を持ち掛けたことがあるかい?」
「あんだろ」
「あるよね」
「――見解の相違というやつだね。二人がなんと言おうと僕は面白かったと断言するさ」
この話を進めるとやぶへびなので、コードは続きを告げた。
「ベッケンバーグの屋敷に強盗に入るって計画だよ」
二つ返事で「それは面白い!」との返答を受け、計画は始まった。
コードはベッケンバーグの動向を探り、更に調査を進めてどういった策を用意しているかを調べる。
キーピックは、ベッケンバーグ邸と周辺の地理をできるだけ地図に起こす。もちろん近づきすぎて警戒されるなんてドジはしない。
そしてゼットは、普段通りに振る舞う。
決して、裏で何事かが動いている、ということを悟らせないように。
そんな数日を過ごした後――ベッケンバーグとアディーロの密会の日がやってきた。
「――おし、行くかぁ」
陽が落ちてきた頃、ゼットたちは動き出した。
ゼットは外に出る前に上着を脱いで上半身裸となり、いつもの戦闘モードに入る。
「ヘマすんなよゼットぉー――おっあぶねっ」
いつもの帽子を目深にかぶるキーピックは、ゼットに蹴られそうになりひらりと身をかわす。
「ほらほら、遊んでないで行くよ」
睨むゼットとへらへらしているキーピックの間に入り、コードは二人を外へ促す。
狭い路地である。
そして、いくつかあるゼットの隠れ家である貧民街のここは、階段の存在しない二階の部屋である。
空も暗くなってきた今、ゼットたちの眼下には十数名ほどの顔を隠した若者が、路地にぎゅうぎゅうになって待っていた。
「待たせたなぁ」
ゼットが顔を出すと、今回の仕事に参加する眼下の若者たちが、羨望だの嫉妬だの、あるいは殺意だのを抱いて見上げる。
――野心旺盛で結構、と内心ゼットは笑う。
用心深さは大切だが、同じくらいの野心もないと。
そうじゃなければこの街では生きづらいことを、ゼットはよく知っている。
「概要は聞いてんよなぁ? 仕掛けるまでは静かに行動しろ。どんだけお宝があろうとコードの合図を厳守して撤退だぁ。できれば誰も殺すなよぉ。
――以上だ。行け」
その合図を受け、若者たちは静かに、そしてバラバラに散っていった。
目立たないようばらけて行動し、現地集合となっている。
詳しい計画はコードから事前に聞いているはずなので、ゼットからの指示はこの程度でいい。
「じゃあゼット、僕らも行くよ。そっちは絶対に戦うことになるから、気を付けてね」
調査を進めた結果、ベッケンバーグはゼットを始末する算段を立てていた。
戦力がゼット殺しに集中している今だからこそ、いつも堅牢なベッケンバーグ邸の警備が手薄になり、強盗ができるのだ。
ただ、その分だけ、自分から罠に掛かりにいくゼットが危険になる。
「きっとベッケンバーグは、君を殺す計画を決定づける『何か』を用意したんだと思う。今回のはかなり大掛かりな策だし、大人数が動いているから、かなり本気だよ」
この「何か」だけは、いくら調査してもわからなかった。だが間違いないだろうとコードは思っている。
「もう一度言うけど、気を付けてね」
コードの忠告に、ゼットは鼻を鳴らした。
「誰に言ってんだ? 誰かに心配される程度なら俺はとっくに死んでんだよ。それより俺の分まで根こそぎブン盗って来いよぉ?
キーピック、そろそろてめぇの本気も見てぇもんだなぁ? あぁ?」
「そこにカギがあれば本気出すんだけどね。金庫か宝物庫、あるかなぁ?」
――こうして悪ガキどもの計画が動き出した。
計画は順調に進んでいた。
コードにはああ言ったものの、今更ガキの頃からの付き合いであるコードの言葉を、ないがしろにするつもりはない。
ゼットはやや慎重になり、現場であるレストランに乗り込む前に、周囲の「それっぽい連中」を片っ端からのして回った。
時間は掛かったが、問題なく計画は進んだ。
ベッケンバーグがレストランから動かないので、ベッケンバーグ邸の襲撃はまだバレていないようだ。まあその辺もコードとキーピックがうまくやっているのだが。
本来強盗なんてものは、静かに、そして迅速に行い、用が済んだら素早く逃げるものだが。
しかしゼットがやるべきことは、ベッケンバーグの足止めと時間稼ぎが主となる。
まあなんとかなるだろ、と深く考えずにレストランに突入し――ベッケンバーグとアディーロが連れてきた護衛二人と衝突する。
どちらも女で、どちらも強かった。
そして、段々ゼットの気分が乗ってきた頃だった。
「――ゼット! いつまで遊んでるの!?」
久しぶりに本気で遊べそうだと思っていたら、迎えが来てしまった。
そしてこの様である。
「立てやわれこらわれぇ! まだ仕置きは終わっとらんぞ!」
「……マジかおい……」
もう、ボッコボコだった。
誰だか知らない少女に、理由もわからない怒りをぶつけられ、ゼットはボッコボコだった。
「ひぇー……」
離れたところで見ているキーピックは、終始負けているゼットを見るのははじめてである。
「……おまえなんで怒ってんの……?」
ゼット自身も、ガキの頃に数回あったくらいの大変珍しい経験をしていると思っている。
こうなってくると、なんで赤目の少女が怒っているのが、少し気になる。
最近は、こんな目に遭わされるほどのことを、した覚えもないのだが……
「――自分の胸に聞いてみぃや!」
――それでわからないって話なのだが。