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149.メガネ君、アディーロと娼館街に帰る





「――さてと。帰ろうか、エル」


 ゼットに始まり、ベッケンバーグまで見送った出入り口をなんとなく見ていると。


 目の前で起こった荒事にも無反応だったアディーロばあさんが、ようやく重い腰を上げた。


「エル……?」


 リッセの怪訝、疑問、疑惑、の表情が深まる。

 名前まで知り合いのメガネに似てるな、みたいな感じに。


 まあ本人ですからね。

 似てて当たり前なんですけどね。


「そうしましょう」


 もうここにいる理由はない。

 店内はめちゃくちゃで、料理や酒を運んでいた店員もすでに消えている。


 一瞬このまま行っていいのかと思ったが、ほったらかしで問題ないだろう。


 この場を用意したのであろうベッケンバーグは、ゼットを殺すための算段を立て、その狩場としてこの店を選んだのだ。

 荒れることも想定していただろうし、後片付けもしてくれるだろう。


「それにしてもお粗末な夜だったねぇ。あの小ずるい太っちょらしくもない、穴だらけの仕事だ。拍子抜けだよ」


 拍子抜け、か。


 もしかしたら、アディーロばあさんは、ベッケンバーグが何かを企んでいたことには気づいていたのかもしれない。

 だから何も語らず酒を飲む、なんて時間を過ごしていたのではなかろうか。


 何かが起こるのを、待っていたのではないか。


 まあ、真実がどうあれ、今はいいか。


 ……穴だらけ、か……


「少し聞こえたんですが、『素養封じ』を盗まれた、とぼやいていましたよ」


 穴があるとすれば、きっとこれが作戦の大穴だろう。


 すれ違う時に少し聞こえた程度の、本当に小さなぼやき声だった。

 だからアディーロばあさんには聞こえていなかったようだ。


 その証拠に、「ああ、なるほど」と大きく頷いたから。


「この期に及んで策の核心を欠いたのか。そりゃあ運が悪かったねぇ」


 そうだね。

 きっと前もって準備を進めていたのに、土壇場になって作戦に大穴が空いたのだ。

 しかし準備は着々と進み、もはや中止することもできないので強行し、その結果……というわけか。


 狩人としてよくわかる。

 時間をかけて、場合によっては何日も掛けて狩猟の準備をしていたのに、肝心の何かが欠けていたせいですべてが無駄になる。


 そんな精神面にグッと重くのしかかるようなミスを、俺も何度か経験している。


 どうにもできない天気の都合だったり、師匠が俺の弁当つまみ食いしたせいでケンカして獲物に気づかれたり、ハチに刺されて痛みに悶絶している間に獲物に感づかれて逃げられたり、姉がこっそり俺の荷物にしのばせていたクワガタに指を挟まれて獲物に見つかったり……


 本当に、やむを得ないものもあれば、つまらないことでも失敗したものだ。


 ――それにしても「素養封じ」か。


 昔話やおとぎ話でそういうのもあるとは聞いているけど、実際はどんなものなんだろう。


 自然に考えて、ゼットの「素養」を封じて始末しようとベッケンバーグは考えていたのだろうけど。


 肝心の「素養封じ」が盗難に遭い。

 その上、戦力をこっちのゼット殺しの策に回していたせいで、自宅の警備が手薄になってしまった。


 そこをゼットの仲間が自宅を襲ったわけだ。

 

 こうして考えると踏んだり蹴ったりだな、ベッケンバーグ。


「お話は道中しましょう。今は急いで安全な場所に」


 脅威は去った。


 だが、ゼット辺りがふいに戻ってくる可能性も……可能性としては低いが、なくはない。ああいうのの行動パターンは読めないから。気まぐれに行動もしそうだし。


 ……若干俺にも執着したっぽいし。


 アディーロばあさんより俺に会いに来る可能性が、微妙に発生している気がするし。


 迷惑な話だ。


「もうダイナウッドを呼んである。馬車の準備ができたら店を出るよ」


 あ、そう。

 じゃあ今は、御者として同行してきたダイナウッド待ちか。


 ……どうやって呼んだんだろう? これも何かしらの「素養」が関わっているのだろうか。


「で? あんたはどうする? うちで面倒を見ようか?」


 何か言いたげな顔で立っているリッセは、結果的にベッケンバーグとは切れたことになる。


 ベッケンバーグは去り際にリッセを連れていかなかった。

 そしてリッセも付いていかなかった。


 お互い暗黙の内に、もう一緒にいる理由はないと、悟っていたのだろう。


「私は――仲間を探す」


 俺が渡した「メガネ」を見ながら、リッセはそう言った。


「自分の目と耳で確かめる。死んだのか、生きているのか」


 生きてるよ。ここにいますから。だからそんなに深刻な顔しないで。笑いそうになる。


「そうかい。

 もうないとは思うが、ベッケンバーグには気を付けな。


 平常心なら問題ないが、心が大きく揺れた時は、あいつの言葉は神の言葉になる。

 矛盾も理不尽も不合理も、何もかもを併せて信じちまう力があるのさ。


 ――それ、あんたの仲間の物かい? 大方それを見て心が揺れたんだろう? だからベッケンバーグの言葉を聞き、それを信じた」


 …………


「あいつの常套手段さ。

 弱みを見つけ、そこを突いて動揺させ、いいように子飼いにする。


 予備知識がないとまず引っかかる。

 この街に来たばかりの新参者は、特にね」


 ……それがベッケンバーグの「扇動者(アジテーター)」か。かなり性質が悪そうだな。


「それと、できればあの太っちょは殺さず、生かしておいてくれ。あんな奴でもこの街を回すには必要なんだ」


「殺した方がこの街のためなんじゃない?」


 あ、リッセだいぶ怒ってるな。


 まあそりゃそうか。

 ネタが割れた今、ベッケンバーグは自分を騙して利用していた奴になったからね。


「長年積み上げてきたコネと信頼、築いた密輸入の方法とルートの確保。

 ベッケンバーグが死ねばそれらすべてが白紙になる。


 今あいつがいなくなると物流が止まっちまう。必要な物が手に入らなくなる。結果、弱者が大勢死ぬ。


 殺すなとは言わない。

 ここは無法だからねぇ。


 だが、あんたは能無しのチンピラやゴロツキじゃないだろう? 通りすがりにどうでもいい奴を始末するのとはわけが違うってことは、最初から知っているはず。


 あいつが死ねば大勢が死ぬ。やるならそれを知った上でやっておくれ」


 ふうん。なるほどね。


「もしやゼットは本気じゃなかったんですか?」


 ゼットは、実際にベッケンバーグを殺そうとした。

 だが実は違ったのではないかと、今振り返れば思わなくもない。


「いや、あの時は本気だっただろう。


 だがあのガキも知っているからねぇ。

 この街での殺しは、リスクのわりに得るものが少ない。回りまわって結局失う物の方が多いのさ。


 だから率先して殺す気はないはずだ。

 ベッケンバーグにしろ、ほかの者にしろね。


 だが今夜のように正面切って『殺す』と言われれば、話は別だね。それに対抗しないわけにはいかない。連中は『なめられる』のが大嫌いだからねぇ」


 そうか。

 率先して殺しはしないけど、命を狙われればやり返しもする、と。そういうことか。


 道理でベッケンバーグが生きて帰れたわけだ。


 ゼットの実力なら、俺やリッセをかわして、いくらでもベッケンバーグを殺す機会はあったはずなのだ。

 それなのに、あいつはベッケンバーグの命に執着していなかった。


 俺やリッセと戦いたいなら、片手間でちょちょいとベッケンバーグを殺したあとでも良かったのに。そっちを優先しなかったから。

 

「――支配人。馬車の準備ができました」


 ようやくダイナウッドがやってきた。よかった。これでやっと帰れる。


「一応渡しておくよ」


 と、アディーロばあさんは懐から小さな木札を出すと、俺に差し出した。……あ、そうか。俺がリッセに渡せと。はーいわかりましたー。


 家紋のようなものが彫り込まれた小さな木札を受け取り、リッセに手渡す。


「いつでもいい。娼館街の大店を訪ねて『支配人と会う約束がある』と言って、それを見せな。私はあんたを飼う準備ができている」


 リッセは、俺の顔と受け取った木札を交互に見て、


「……訪ねるかどうかはわからないけど、貰っとくよ」


 と、ポケットに納めた。俺の顔を見ながら。見るな。





 レストランにリッセを残し、俺たちは馬車に乗り込む。


 ゆっくりと娼館街の屋敷に帰る最中。


 俺の戦い方を見ていただろうアディーロばあさんの反応に戦々恐々としていた俺に、彼女は一言だけ口を開いた。


「――ゼットを退けるとは大したもんだ。今夜の働きの礼に、何も見なかったことにしておくよ。


 だから、悪戯がバレた子供みたいに、不安そうに何度も見るんじゃないよ」


 …………


「ベッケンバーグと同じで、支配人も人の使い方が上手いみたいですね」


 俺にとっては望外の報酬だ。

 そんなことを言われたら、このばあさんに肩入れしたくなる。ほんの少しだけだけど。


 アディーロばあさんは何も言わず、肩を揺らして笑っていた。





 ――そして、ちょうどその頃。


 ――翌日になって俺が知ることになる、もう一つの事件が起ころうとしていた。







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[気になる点] この話の前後の話書いてる時って作者が思わせ振り的なこと書くのにハマってるんかな?それとも今でもこの書き方変えてないんかな?
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