147.メガネ君、勝負に勝って失ったものの大きさに溜息を吐く
一時的にベッケンバーグの目を潰したのは、この状況を考えたからでもある。
「メガネ」の性質を使えば、「複数の素養」が使えることがバレてしまうから。
リッセはまだしも、アディーロばあさんにバレるのは後々を考えると面倒だ。
だが何よりも、ベッケンバーグに知られるのだけは絶対に避けたかった。
あのおっさんにバレたら、根掘り葉掘り探られそうだから。
俺とあのおっさんは、本質が似ているんだ。
俺だって、後の脅威になりかねない存在のことは、できるだけ詳しく知っておきたいと思うから。
敵対した場合に備えて。
そしてベッケンバーグの場合は、敵対した時のためにも、「味方にする」という選択を選ぶためにも、知りたがるだろう。とても面倒臭いことである。
リッセはまだ、俺のことをエイルだと確信はしていないだろう。
全力でごまかすし、ごまかし通すつもりだ。
問題はアディーロばあさんだが、……護衛だからなぁ。
「おぉいどうしたぁ? てめぇ退屈だぜぇ?」
挨拶代わりの接近戦で一発殴られてからは、少し距離を取り、色々と考えている俺だが。
その間ただ待っているゼットは、退屈だと駄々をこね始めた。
――一度引き受けた仕事を中途半端に投げるのは、嫌だな。
よほどの契約違反か達成が困難な状況じゃなければやり遂げろ、って師匠が言ってたもんなぁ。
この状況はなぁ。
契約違反ではないどころか、こういう時に備えての護衛だしなぁ。
達成が困難な状況、でもないもんなぁ。
「メガネ」を使えば、勝てそうだもんなぁ。
「一ついいですか?」
「あぁ? まだなんか話すことがあんのかよぉ?」
面倒臭そうだなぁ。
俺も面倒臭いよ。
ほんと今すぐ帰ってくれればいいのに。
「殺し合いという雰囲気ではないと思いますので、勝敗の付け方を提示したいのですが」
お互い私怨はない。
ゼットは殺しを好まない。
俺だってゼットを殺す気はない。
まだゼットが、この街でどんな役割を果たしているか、まったくわからないから。
たとえば犯罪者集団のリーダーとは聞いているが、どの程度の規模の集団で、仮にゼットが死んだらその集団はどうするか。どうなるか。
そういう背景が不明瞭な今、安易かつ浅慮に殺すべきではない。
後々自分の首を絞める可能性が非常に高いと思う。
仲間がゼットの報復のために動き出したり、とかね。
とにかく今は、彼を退けられればそれでいい。
「あなたは私を叩きのめせば勝ち。
私があなたを店の外へ叩き出したら私の勝ち、今夜は大人しく帰ってください。
こんな感じでどうでしょう?」
ゼットの入店が派手だったせいか、レストランの出入り口ドアは留め金だか金具が壊れたらしく、開きっぱなしになっている。なおゼットに踏まれた冒険者はすでに消えていた。
「ハァ? つまりてめぇは、今から俺を店から叩き出すと。それは可能であると。そう言ってんだなぁ?」
「ええ、まあ。善処しますよ」
「ハッ、そうか。まあなんでも構わねぇよぉ」
ゼットの殺気が広がる。
「――少し退屈だからよぉ? とっとと潰すぜぇ?」
うん。
「できるもんならやってみればいいですね」
「そうか――よっ!」
ゼットが肉薄する。
右足に力がこもる。軸足だ。
左の上段蹴りが来る――なっ!?
「――てめぇは遅せぇんだよ!」
右側面の頭をガードするように右腕を上げる――その前に、すでにゼットの蹴りが側頭部を捉えていた。
あまりの威力に身体が浮き、吹き飛ばされた。空いたテーブルにぶつかって倒れる。
本当に強いなこいつ。
先読みさえ超えるのか。
――だが、これで準備は整った。
あの夜、ヘンタイ泥棒と遭遇した時、俺は気づいたことがある。
俺は対人戦が弱い、と。
よくよく考えたら当然なのだ。
俺は人と戦ったことがほとんどないのだから。
訓練でやるそれと対人戦はやっぱり少し違うし、暗殺絡みになればもっと違う。暗殺は戦う必要はないからね。
そう、あの時まで俺は、対人戦は魔物や動物との戦いの延長戦上にある、と自然と思っていた。
狩りと対人戦を同一視していた。
そう思っていたがゆえに、あのヘンタイにしてやられたのだ。
そして思い知った。
まるで違う、別物だ、と。
そもそも魔物や動物は、ほとんどフェイントを使わない。
攻撃体勢に入れば一直線に向かってくるし、その状態なら避けることさえ稀だ。
俺はその性質を、対人戦――人間相手にも適用して考えていた。
自分を考えればすぐわかった。
俺は騙すし、引っかけるし、嘘も吐くし、使える物なら何でも使う。
対人戦は、相手も俺と同じように考える者もいるのだ。
相手を騙そう、引っかけよう、嘘を吐こう、使える物なら何でも使おう、と。
あのヘンタイに食らったのは、上段蹴りのフェイントで騙してからの本命「最大衝撃」らしきもので戦線から叩き落す、というものだった。
戦うための行動ではなく、一時戦闘不能にして逃げるための行動だった。
もし俺に対人戦という意識があれば、まず引っかからなかったと思う。
そういう意味では、あのヘンタイに遭遇しておいてよかったのだろう。
あれを経験せずゼットと対峙していたら、と思うと、かなり恐ろしい。どうなっていたかわからない。
――さてと。
そろそろ反撃と行こうか。
まず、防御に使った「怪鬼」から「最大衝撃」に切り替える。
「怪鬼」は、力が強くなるという肉体強化である。
ただこれは、筋力が強くなるだけでなく、「強化された筋力を無理なく使うことができる身体」も実現する。
簡単に言えば、全身が強化されるのだ。
体重は変わらないが、少なくとも、生身の人間に蹴られたくらいならあまり痛くない。
「――あぁ? 今更こんなの当たるかよ」
俺は立ち上がると同時に、テーブルに並んで……いやぶつかった拍子に乱れたフォークやナイフを拾い、ゼットに投げつける。手に届くものは全部投げつける。
それをゼットは、ゆっくり歩きながら避けている。
近距離でもこんなことができるのか。
つくづく住んでいる世界が違うと思う。
だが、本命はこれだ。
さっきベッケンバーグを泣かせた小瓶を手に取り、「最大衝撃」を付加して、広く塩をばら撒いた。
「無駄なあがき――ぐぅ!?」
ドン、という大きな衝撃音を立ててゼットの身体が方向に飛ぶ。
「最大衝撃」を付加したのはたった一粒の塩で、さすがのゼットもすべての塩の粒を回避しなかったから。だから直撃したのだ。
闇雲に物を投げたのは、この本命を悟らせないためだ。
いかにも「追い詰められて錯乱してあがいている」という体を見せるためだ。
案の定、ゼットは油断した。
油断してなければ、塩でさえ回避したはずだから。
計算通り、ゼットが浮いた。
ここで畳みかけるぞ。
再び「怪鬼」をセットし、吹き飛ぶゼットに追い打ちを掛けるように、巨大なテーブルを投げつける。
俺とゼットを結ぶ直線上に割り込んだテーブルが、一瞬だけ俺の姿を隠した。
持っていたフォークに「爆ぜる爆音の罠」を吹き込み放り投げ、ゼットのあとを追い走る。
「ハッハァ!」
果たしてゼットは、直撃しそうだったテーブルを蹴り砕いて、すぐに迫る俺を視界に捉えた。
「ちょっとおもしれぇなぁ! だがそんだけだぁ!」
そう?
たぶんこれからもっと面白くなると思うけど。
特にダメージを負うことなく着地し、正面から仕掛けた俺を迎え撃とうとするゼットはカウンターで拳を繰り出す。
モロにゼットの拳を顔面に食らった俺は……消えた。
「――はぁ!? 消え――」
さすがのゼットも驚いたその時。
女にモテたことなさそうな挙動不審さだねキミィ!!!!
危険な黒皇狼討伐戦でさえ、良くも悪くも……まあ悪い方が多めに場を支配した大音量の「爆ぜる爆音の罠」が爆発する。
ちなみにこれも王都で聞いたものだ。詳細はわからない。……俺もちょっとだけ胸が痛かった。
「あぁん!? 俺はモテんぞぉ!?」
まあ、そうだね。
ゼットはモテそうだよね。
師匠も「女ってのはワルに憧れる節もあるからなぁ」としみじみ語っていたし。
――でも今はそれどころじゃないよね。
さっき放り投げたフォークの方に向かって吠えたゼット、それとほぼ同時に彼の背後に俺は姿を現した。
「霧化」による回避と、死角への移動。
「爆ぜる爆音の罠」で耳と意識を逸らし。
「――うぐぁっ!?」
「最大衝撃」で出入り口の方向へ殴る。
これで勝負ありだ。
ただ、誤算というか……きっとこれが「ゼットの素養」なのだろう。
再び吹き飛ぶゼットは、そのまま開きっぱなしのドアから外へ飛んでいったが。
「……いて」
ゼットを殴った俺の左腕には、鋭い針のようなものが六本ほど、貫通して突き刺さっていた。
「魔鋼喰い」。
実際に食べるかどうかはわからないが、金属を腐食させたり、変形させたり、混ぜたりと、金属をある程度操ることができる「素養」と俺は認識している。
かつての戦時中、庶民から一国の王にまで成りあがった英雄が持っていた「素養」で、主に敵兵の装備を使用できなくすることで有利を取り勝ち抜いた、という逸話が広く知られている。
常勝の英雄の背景には、敵の弱体化という裏があった、という話である。
でも、俺はあくまでも、本に載っていたくらいの代表例を知っているだけ。
実際どんなものかはわからない。
殴った瞬間に痛みが走った。
あの瞬間――間違いなくゼットの注意は逸れていた。
そうじゃなければ、俺の攻撃は成立しなかったはずだから。
つまり、ゼットの意識や意思に直結していない攻撃……になるのだろうか?
腕だけ一瞬「霧化」で非物質化し、針のような刃を落とす。
あとは「生命吸収」で大丈夫だ。
かなり痛いけど、血はすぐに止まるだろう。
…………
勝った、というよりは……ハンデ付きでようやく勝たせてもらった、くらいのものかな。
何せ、知られたことで失ったものの方が大きいからなぁ。
……はぁ。
できるだけ使った「素養」の数は抑えたつもりだけど……はぁ……




