143.メガネ君、衝撃の真実に動揺する
娼館街の支配者アディーロと、栄光街で一番の金持ちであるベッケンバーグの食事が始まった。
食前酒のワインに始まり、前菜だのスープだのと、見る限りでは平和で優雅な食事風景である。
「――あの薬草、仕入れ値が変動している。大帝国で流行り病でも起きてるかもしれないねぇ」
「――いや、流行り病じゃねえよ。予防用に消費しているそうだ。どうも流行る前兆で食い止めることに成功したらしいぜ」
「――そうかい。だがどっちにしろ、ここに来る分は限られる」
「――今のうちに野生の物を探すか、いっそ畑を作るのもいいかもな」
「――冬が来る前に充分な量を確保しとかないとねぇ」
最初こそギスギスしていたが、アディーロばあさんとハゲで太ったベッケンバーグは、かなり込み入った話をしだした。
それを見て思ったのは、「味方ではないのかもしれないが、商売仲間ではあるのかもしれない」ということだ。
この街を一つの店と考え、アディーロばあさんとベッケンバーグは経営者だ。
二人は利権や利益を第一に、この街を生かそうとしている。
与えることをやめて街を殺してしまえば儲けはないし、しかし与えすぎれば違う支配者が台頭してくる。
この二人は、供給と配給の絶妙なバランスをもって、この無法の国を支配しているのだろう。
善意でもなければ、善行でもない。
ただの利益目的であり、その目的のための利害関係であり、きっと隙あらば寝首を掻こうとしている者同士だとも思うが。
しかし、今それなりに街として経営が成り立ち、ある程度の秩序が保たれているのは、この二人のおかげである部分が大きいみたいだ。
これが必要悪、というものなのだろうか。
俺には難しい話はわからないが。
支配されているからこそ生きていられる。そんな人間が、この国にはかなり多いのかもしれない。
…………
それにしてもベッケンバーグだ。
頭の毛が薄くて太っていておよそ知的にも見えない、安酒場でいつも酔い潰れてそうな粗暴な雰囲気があるのに、話していることは相当頭がいいことばかりだ。
歳は、四十から五十の間くらいだと思う。
やはり見た目は知的でもなんでもないが、精力的というか、生きる力に満ちた鳶色の瞳は、飢えた獣以上にギラギラしている。
まだ食い足りない。
肥えてなお、まだ貪欲に欲望を食らおう、むさぼろうとしているように見える。
こんなに野心に満ちた人は見たことがない。
まさに無法の国の支配者って感じだ。
――まあ、それはそれとしてだ。
ベッケンバーグも気になるが、それよりリッセが気になるよなぁ。
リッセには、最初こそジロジロ見られたが、今は不機嫌そうに立ち尽くしているだけである。
まあ俺も似たようなものだが。
所在なく立ったまま、目を伏せてアディーロばあさんの食事が終わるのを待つばかりである。
かなり退屈な時間ではあるが、護衛だから気を抜いているつもりはない。
――リッセは、恐らく俺のことは気づいていない。
気配や雰囲気にあまり乱れがなかったので、俺を見て動揺したり必要以上に気を向けたり、というのがなかったのだ。
だからたぶん気づいていないだろう。
変装した甲斐があったな。こういう時のための変装だからね。
「――ところでアディーロ。そこのメイド、新顔か?」
「――そういうあんたも、見慣れない護衛を雇ったんだね」
「――こいつぁブラインの塔の客だよ。そのメイドもそうなんだろ?」
お、なんかストレートに話題に出たな。
どうやら利益をむさぼる話が一区切りついたらしく、違う話題に移ったようだ。
いや、これも結局、行き着く先は利益なのかもしれないけど。
「――……フン」
リッセをじっと見つめたアディーロばあさんが、鼻を鳴らした。
「――あんた、そこの太っちょ嫌いだろう? 仕方なく従ってますって顔に書いてあるよ。どうだい、うちに来ないかい?」
「――おい。俺の目の前で俺の財産を奪おうとするな」
まったくだ。
ベッケンバーグの財産云々はどうでもいいが、リッセと同居なんて事態になったら俺が困る。
さすがに広い屋敷とは言え、一つ屋根の下で生活していればさすがにバレる。
「――まあ、間違っちゃいねえがな……実はそのことで少しばかり相談があってよ」
「――相談? その小娘のことで?」
「――ああ。こいつゼットを殺したいんだとさ」
……?
ゼットって、犯罪者集団のリーダーの名前だよな。
リッセが、犯罪者集団のリーダーを、殺したいって?
…………
え? なんで?
「――どうも一緒に来たっつー仲間がゼットに殺されたらしい。で、その敵討ちをしたいんだとさ」
…………
なんだと。
一緒に来た仲間がゼットに殺された? 今そう言ったのか?
確かにソリチカが言っていた。
この無法の国に来てすぐ死ぬ生徒もいた、とかなんとか。
何年かに一度はそんなことが起こる、と。
それが、今回、起こった?
……ちょっと待てよ。
表には出てないと……というか表面に出ないよう必死で抑えているが、動揺がすごい。
動悸は嫌な高鳴りを覚え、思考がうまく定まらない。
正直ここまで動揺するとは思わなかったほどに、俺は動揺している。
誰だ?
誰が殺されたんだ?
サッシュか? セリエか? フロランタンか?
「――そいつぁご愁傷様だ。あのガキ、いよいよ殺しまで始めたのかい」
「――ああ、鬱陶しい蠅になってきやがった。いつまでも地べたに這いつくばるウジ虫でいりゃいいのによ」
そんな当人の話題を出されているリッセが、一層不愉快な顔になる。
その反応を見るに、どうも真実らしい。
少なくとも、ベッケンバーグの言葉に偽りはない、とリッセの反応が証明している。
今すぐにでもリッセやベッケンバーグに詰め寄って問いただしてやりたいが、それはできない。
俺は今は、護衛としてここにいるから。
アディーロばあさんのメンツを潰すわけにはいかない。たとえそっちの方が大事だと思っていたとしてもだ。
大事なことの優先順位を間違えば、それは全ての失敗に繋がる。
今ここにゼットがいるならまだしも、そうではないのだ。
今ここで真実を知ったところで、何ができるわけでもない。
それこそ、何か報復を考えるのであれば、今この時こそ冷静であるべきだ。
もし真実であるなら、俺だって黙ってはいられないから。
「――でよ、あのガキどこにいるか居場所がわかんねえだろ? 一緒に探してほしいんだ」
「――あんたが見つけられないなら、私が見つけられる道理がないね。ま、気には止めておくよ。娼館街に来たら教えてやるさ」
犯罪者集団のリーダー・ゼット、か。
ちょっと個人的な用事ができたな。
とは思ったものの、ゼットと遭遇するのは割と早かった。
二人の食事が終わり、軽く酒を飲み始めた頃、向こうからやってきたから。