142.メガネ君、護衛を務める
ダイナウッドから情報収集をし、夕方。
「――エル様。軽食です」
部屋で考え事をしていると、メイドの彼ことアーシュがサンドイッチを運んできた。
お、ハムとかベーコンとか挟まってる。これは豪華だ。飲み物は紅茶かな? 全然飲み慣れてないけどいい香りだ。
「ありがとう」
今夜出かける予定になっている外食は、食べるのはアディーロばあさんだけだ。
俺は護衛だからね。
彼女が食べている間はただ待つだけである。
だから、出かける前に少しだけ腹に入れておけ、というアディーロばあさんの指示である。
「今夜が初仕事なんですよね?」
「そうなんだよ。何か注意することはあるかな?」
「さあ……そもそも僕は同行したことがないので、何をするのかさえよくわかりません」
ああ、そう。まあよくよく考えたらそりゃそうか。
「ただ――」
ん?
「支配人が直接会う相手なんて、数えるほどしかいないって聞いたことがあります。商売の話も娼館街の大部分の事も、お嬢様が担当していますから」
……ふうん。
ということは、もしかしたらほかの支配者と会う予定だったりするのかな。
確か、栄光街のベッケンバーグ。
鍛冶場街、オーリーズ商会のタツナミ。
犯罪者集団のリーダー・ゼットと、ブラインの塔の首領は、除外していいよね。さすがに。
そうなると、今夜会うのはベッケンバーグかタツナミかな……?
まあ、ここクロズハイトにいる権力者なんて、それくらいしか知らないだけだが。違う相手ってことも大いに考えられるしね。
それこそ、出かける際にアディーロばあさん本人に聞けばいい。
これから誰と会うんですか、って。
「……一つ食べる?」
「えっ? いいんですか!?」
いや、うん、すごい欲しそうに見てるから……そんなに見られると気になるよ。
それに、彼にとっては間が良かっただけだ。
今日は昼食で腹いっぱい肉を食ったから、少しだけ肉への欲求が満たされているんだよね。いつもだったら絶対にあげないから。肉に関してはシビアだから。
「ほら、このベーコンすごい厚切りだよ」
「はい! 目を付けていました!」
ああ、すでに。目を。そうか……彼も肉好きか。
今現在の彼が幸せなのか不幸なのかはわからないが、これでささやかな幸せを感じてくれるなら何よりだ。
……にしてもベーコン厚いな。これは本当においしそうだ……
「じゃあ、どうぞ」
「いただきます!」
まあ、あげると言った以上は、あげるけどね。
そして陽が暮れてきた頃、外出の準備をしたアディーロばあさんと玄関先で合流する。
外出する時も喪服のような黒い服を着て、杖を突いていた。
普段を見る限り、足腰は悪くないと思うが……
「その格好でいいのかい?」
「問題があるなら着替えますが」
「いや。エルがいいなら構わないさ」
最近は普段着と化しているものの、メイド服に女装した俺の格好は、この時のために準備して慣らしてきた変装である。
むしろ、ここで着ないでいつ着るんだという話だ。
「ババア、気を付けてな。エル、ババアを頼む」
見送りに来たセヴィアローお嬢様とタイランに見送られ、俺たちは外へ出た。
「――大通りに馬車を用意しています。行きましょう」
外で待っていた外套をまとうダイナウッドの案内で、娼館街から離れる道を行く。
この辺は道が込み入っているから、馬車が通れないのだろう。
あ、そうだ。
今のうちに聞いておこう。
「これから誰と会うんですか?」
「その話はあとだ。今はしゃべるな。誰に聞かれているかわからない」
用心深いな。
まだ娼館街だけに周囲に人の気配はたくさんあるが、こっちに注目を向けている者はいない……気はするが、まあ、警戒するに越したことはないか。
それ以降口を利くことはなく、表に止めていた馬車へ乗り込んだ。
娼館街じゃなくとも、この国は全体的に道がやや狭いので、馬車も少々小さめである
小柄な俺とアディーロばあさんが並んで座って丁度いい、というくらいのコンパクトな作りだ。
「では、出発します」
そのままダイナウッドが御者席に座り、馬車が揺れ出した。
「――これから会うのは、いけ好かない成金だよ」
馬車が動き出すと同時に、アディーロばあさんはそう言った。
成金かぁ……
「栄光街のなんとかって言う人ですか?」
「そう、そいつだ。ベッケンバーグっていうハゲのジジイだよ」
あ、やっぱりこれから支配者と会うのか。
「ったく。胸糞悪い。うちの娘のペット狂いにも閉口ものだが、それが可愛く思えるくらいの強欲ジジイさ」
ああ、そういうタイプの人なのか。
きっと我が強くてグイグイ来る感じのタイプだろう。俺そういう人苦手なんだよなぁ。
――あ、そういえば、金と言えばだ。
「基本的なことを聞いていいですか?」
「なんだい」
「この国ってお金で成り立ってるんですね」
何をあたりまえのことを、みたいな顔で見られたが、そのあとニヤリとされた。
「ああ、あんたは『居場所を失ったクズどもが最後に行きつく、吹き溜まりのゴミ箱』って認識でこの街に来たのか」
いや、そこまでひどくはないです。……多少の想像ではそうだったけど、思ったよりひどくはなかったよ。
「だって無法の国クロズハイト、でしょ?」
「いつの話だ。この街が何百年続いていると思っているんだい? 正確なことは誰も知らないが、こんな吹き溜まりでも気が遠くなるほどの歴史を重ねてきてるんだよ。
外壁を見ただろ? 一時はちゃんとした街として機能していたこともあるんだよ」
なるほど。
つまり、だ。
「周辺国や街には、認知されている?」
「一応止まりだけどね。
ここらは未開拓地だ。周囲に魔物も多いし、金やら銀やら宝石やら魔石やらが採れる鉱脈もないし、これぞって特産があるわけでもない。支配下に置いたって旨味はほとんどない。
でも、人がいるんだ。だからそれなりに物流はある」
物流があるのはわかっていた。
お金でやり取りが行われているのを知っていたから。
閉鎖された場所だけでやっていくなら、お金でのやり取りはいつか破綻するだろう。物々交換が主流になりそうなものだ。俺の村ではそうだったし。
「ここらは大帝国の領地のすぐ傍でね。金銭も大帝国の物が使われている。荷馬車も定期的に入ってくるから、外貨も入るし輸入も輸出もしているよ。
昔と比べれば、かなり頻繁にやり取りが行われているね。
ただ、この街の本質が変わったわけじゃない。
やっぱりここは、居場所を失ったクズどもが最後に来るような場所なのさ。
でも、そういう場所にも存在する理由や意義、意味ってのがある。
それこそがこの街が今まで存続し、また存続し続ける理由なんだろうね」
…………
「存続し続ける理由って?」
「たとえば、誰かにとっては、全ての立場を忘れてただの人になれる場所だ。
ここでは身分だの権威だなんてまるで役に立たない。
むしろ食い物にされるだけのエサだ。
どこぞの高貴な方が紛れ込んでも、誰も気にしない。皆スネに傷を持つ者ばかりだからね」
……ほう。
「結構ちゃんとしてるんだね」
「ハッ! ちゃんとした街なら護衛なんて必要ないだろ」
あ、そりゃそうですね。
「どこの誰とも知れない小僧を、思い切って護衛に雇うこともないさね」
あ、それもごもっともで。
なんだかんだ話していると、しばらく走っていた馬車が止まる。
「到着しました」
ダイナウッドが御者席から降り、馬車のドアを開ける。俺が先に降りてアディーロばあさんに手を貸す。
「どけ。それは俺の仕事だ」
ダイナウッドに横取りされたが。
仕方ないので先に杖だけ預かって待つことにする。ん? この杖……
「ふう……すっかり段差が怖い歳になっちまった」
もうおばあちゃんですからね。
「さて、行こうか」
アディーロばあさんに杖を渡し、そこへ足を向ける。
そこは大きなレストランだった。
出入り口を屈強な冒険者らしき男二人が塞ぎ、睨みを利かせているが――
「どうぞ。ベッケンバーグ様がお待ちです」
アディーロばあさんを見るや中へ促した。どうやら待ち人は先に来ているようだ。
まだ夜も多少早い時間だ。
無法の街には似合わないような豪華なレストランだが、利用者はまったくいなかった。普段はきっと何組も入るような、おいしいお店なんじゃなかろうか。
内装も立派で、かなり高級な感じがする。
この店を維持するだけの味を、料理の腕を持っている料理人がいるのか。
なぜこの無法の国にそんな人がいるのかは気になるが、人の過去を詮索するのは、きっとこの国では忌み嫌われていることだと思う。
まあ、気にはなるが。
どこかから流れてきたのか、それともこの国で育った人なのか。
……それはさておき。
「よう婆さん。来たな!」
十を超えるテーブルが無人の中、一人、ど真ん中のテーブルに座ってワインを飲んでいる男が一人。
いかにも成金、って感じの太っててハゲてて身なりは立派という、「悪いお話に出てくる貴族や大臣」と聞いて連想するようなおっさんだ。
「あんたの顔なんざ二度と見たくないのにねぇ」
「つれねぇな。ま、俺だってババアの顔なんざ見たかねえがな!」
これから舌戦が始まりそうだが、それより俺には気になることがある。
「…………」
おっさんの後ろに立って睨みを利かせているの、リッセだね。
そうか。
俺がアディーロばあさんと縁があったように、リッセはベッケンバーグと縁があり、彼の下にいるのか。




