137.メガネ君、とりあえず数日を過ごす
娼館街の支配人であるアディーロばあさんの屋敷で世話になって、三日が過ぎた。
幸いアディーロばあさんが外出しなかったので、この三日で娼館街を隅々まで歩いてみた。
――メイド服姿で。
これは周囲への印象付けも兼ねている。
「ここを牛耳るアディーロの屋敷の人」という、俺の役割を広める行為でもある。
ちゃんと周囲へ俺の立場を認知させれば、少なくとも、この辺で俺に絡もうなんて面倒な奴は現れないだろう。
だって支配人の関係者なんだから。
報復が行くことくらい誰でも考えるだろう。
これまた幸いで、アディーロばあさんの屋敷にいる使用人は全員男だ、と知っている者もほとんどいないようなので、ちゃんと「女の子のメガネのメイド」と知らせることに成功している、と思う。
「あの格好であいつ男なんだぜ」とかひそひそ噂されたら、ちょっと泣いちゃうかもしれないし……決して現実を見せないでください。女装は平気だけど、指さして笑われるのは傷つくから。
今のところ、俺には三つの姿がある。
一つ目は、ただの狩人エイルとしての俺。
まあこれはしばらくお休みとなるが。
二つ目は、今扮している護衛兼メイドのエルとしての俺。
しばらくはこの姿がメインとなる。
三つ目は、完全密閉の「メガネ」……俺は「マスク型メガネ」と名付けた、まだ誰にも知られていない俺だ。
「――今夜部屋に来るんだ、エル」
「――お断りします」
世話になると決めた初日の夕食に、このメイド姿でテーブルに着いて以来、セヴィアローお嬢様のお誘いが非常に多くなったものの、まあ問題はない。まだ。
アディーロばあさんも、この姿で行動することを許可してくれた。「内外へ示す意味ではわかりやすいからいいだろう」と言っていた。
まあ、あの人にはたぶん、俺が俺の姿を隠したい、という本心はバレていると思うが。
すっかり慣れた化粧を施しメイド服を着て朝食のテーブルに着き、今日の予定を聞いて部屋に戻ってきた。
今日も予定はなし、と。
「――おい。お嬢様が見回りに出るぞ。同行するなら早く来い」
控えめなノックとともに、渋い男の声。
ダイナウッドである。
彼は「見張る」と言っていただけに、俺に近い位置にいることが多い。
様子を見に来ることも多いし、伝言を持ってくることも多い。
何くれと声を掛けてくるのだ。
もしかしたら、この屋敷に来て一番話をしている相手は、なんだかんだダイナウッドなのかもしれない。
「わかった。すぐ行く」
昨日から、セヴィアローの見回りには同行することにしている。
――この三日でわかったことは、アディーロばあさんの仕事のことだ。
たぶん裏ではもっと色々手を広げているとは思うが、俺が知る範囲では、ここら一帯にある娼館のまとめ役……いや、支配する者、と言った方がやはり正確なのかな。
それぞれの店で稼いだお金の何割かを回収する代わりに、揉め事や問題に対処するという、師匠に聞いた裏社会のやり方とほぼ同じみたいだ。
いわゆる「ケツ持ち」というやつだ。
一帯の娼館のバックに付くというか、強制的な警備業というか。
お金を貰う代わりに守ってやるよ、という感じの仕事をしているらしい。
娼館街での反応は、マチマチかな。
歓迎している人もいれば、お金を払うのは嫌って感じの人もいた。
――ちょっと安心したんだよね。
俺が屋敷の人間と聞いて歓迎する人もいたし、嫌そうな顔をする人もいた。
でもそれって、少なくとも「問答無用の暴力で支配している」という恐怖というか、そういう感じではないんだよね。
怯えや恐怖といった感情を抱いている人は、少なかったから。
つまり、わりとちゃんと「料金分のケツ持ち」はしていると、そういうことなんだと思う。
思い返せば、俺がセヴィアローと出会ったのも、そういうことだったんだよね。
あの時、もし俺がカツアゲ男女に危害を加えるようなら、セヴィアローが俺の相手になっていたそうだ。
逆じゃない。
セヴィアローは、俺を警戒していた。
彼女の見回りの最中、偶然あの光景に出くわし、俺を警戒して揉め事を見ていたようだ。
あれだけの体格差がある男に絡まれても顔色一つ変えないし、動揺もしない。明らかに反応がおかしい、と。
それを聞いて、俺もなるほどと思ってしまった。
確かに俺の反応は、自分でも異常だと思う。……今後はちょっとくらい怖がる感じで反応してみようかな。でも今更難しいかな。感情に左右されるなって教わったから。
アディーロばあさんは「娼館街の支配人」である。
だからよほどのことがなければ、彼女らは娼館街の住人の味方をするのだ。
準拠するのは法でもなんでもなく、「娼館街を守る」という一事のみである。
そしてそれを徹底してきた結果が、あの屋敷なのだろうと思う。
「――何か問題はないか?」
セヴィアローお嬢様を先頭に、彼女の護衛であるタイランと肩を並べて付いていく。
見回りでする主な仕事は、店を訪ねて様子を伺うことだ。
何かあったなら対処するし、何もないなら次へ行く。
大きな店も小さな店もたくさんあり、路地はだいぶ入り組んだ作りになっている。
きっと後付け後付けで建物を付け足していった結果、統一感もなければ計画性もない街になってしまったのだろう。
何せ三日掛かったからね。ここらの道を憶えるだけでも。
すごいややこしいんだよね。
もうちょっと憶えやすい作りにしてほしかったものだ。
「――ねえお嬢様、その子うちに預けない? 売れるわよ?」
時々娼館の元締めやらなんやらに俺が誘われたりするも、まあ、これも問題はないかな。
「――ダメだ。これは私のだ」
あなたのものになった覚えはありませんけど。
「――あら。女の子でもイケるようになったの?」
「――こいつは特別なんだ。何せ金ではなびかない」
確実にお金の代わりに大切な物を失うことを知ってますからね。
「――見ろよあの尻。小さくて可愛いだろう」
いやらしい目で見ないでくれませんかね。
そんなこんなで朝の見回りを終え、夕方の見回りにも付き合い、そして夜である。
「……そろそろいいかな」
深夜である。
俺はセヴィアローお嬢様の趣味らしきフリフリやらビラビラやらがたくさんついた、フリルたっぷり漆黒のドレスを着込んで部屋を出た。
この服は俺へのプレゼント、らしい。
正直いらないけど、深夜に動くには適している色合いなので、活用することにした。なお、彼女の前で着る予定は一生ない。
にぎわっていた娼館街さえ寝静まるような真夜中である。
いつも静かながら活気がある屋敷は、痛いほどの沈黙に満たされ眠りについている。
真っ暗な廊下を、足音を殺して歩く。
「――起きてる?」
一つのドアの前に立ちノックすると、中の人が動く気配がする。
「――こんな時間になんの……な、なんだその格好は……」
ドアを開けるなり、小声で文句を言おうとしたダイナウッドは、ドレスを着ている俺を見て驚く。
まあ驚くわな。普通。
俺も寝る時はパンツ一丁なダイナウッドの姿に驚いたよ。気品がある奴のパンイチってなんか…………それでも品はあるな。これが生まれの差だろうか。
「これから街を把握するために調査に出る。後から疑われると面倒だから声を掛けた。じゃあ行ってくるね」
「待て。調査だと。なんのために」
「仕事の一環に決まってるでしょ。漠然とでもこの国の地理やら目立つ建物やら道くらいは把握しとかないと、いざって時に困るから。護衛の基本だと思うけど」
「昼ではダメなのか?」
「昼は目立つし、あまりこの屋敷から離れない方がいいと思うから」
「……わかった。行け。ただし明るくなる前に戻れよ。あとこの屋敷に出入りしている姿を誰にも見られるな。それこそ疑惑の種になる」
「そうするね」
やはり態度も言葉も棘があるが、一応心配はしてくれるんだよな。彼の立場なら疑惑の種になった方が、俺を追い出す理由になるのに。
まあいい。
時間は有限だ。急ごう。
「しかしすごい恰好だな……」
「格好のことは放っておいて」
俺だって本位じゃない。
もっと適した服があることも知っているし、ほかの服があるなら間違いなくそっちを選ぶ。
でも、今はこれしかないのだ。
「ダイナさん、なんか服用意してくれない? 夜動く用の。ドレスとか相応しくないのは自分でもわかってるんだよ。動きづらいし。重いし」
「自分でどうにかしろ」
「よろしくね」
「自分でどうにかしろっ」
よし、これで用事は済んだ。早く行こう。
表に出ると、俺は「メガネ」を変えた。
そう、「マスク型メガネ」である。
顔から頭から、黒い何かの革でぴったり覆う。
これで活動するのは、今夜が初めてだ。
誰に会おうが誰に見られようが、俺であることは絶対にバレない、三つ目の完全隠密型の姿である。
…………
「最近、黒いドレスに黒いマスクを着けたヘンタイが暗躍している」なんて噂が立たないよう、人目には大いに気を付けようと思う。
じゃあ、行こうか。
こうして、寝静まった無法の国へ飛び出し、調査を開始した。
そして、予想外の出来事に遭遇するのだった。
「……へ、へんたいがいる……?」
愕然とした。
まさか、俺と同じようなマスクを着けた人物と遭遇するなんて――




