132.メガネ君、「メガネ」を視抜かれる
「……ふーん。へえ」
大男に襟首を掴まれ動けない俺を、おねえさんはジロジロと見る。やはり眼光は鋭い。
「小僧、何しにここに来た? 男娼になりに来たなら私が買うが」
…………
なんかいきなりえらいこと言われた気がするけど、気にせず話を進めよう。
「夜の仕事以外で、なんとか泊まる部屋とか確保できないかなと」
「私の男は嫌?」
「はは。あなたは高嶺の花すぎて恐れ多いから無理ですね」
心にもないことを言ってみたら、その本心を見透かしたようにおねえさんはニヤリと笑った。
「なるほど、気に入った。小僧、私が世話してやる」
「あ、夜のお勤めはちょっと。ほかにやることもあるんで」
「それはもう聞いた。無理強いするほど男に困ってない」
おねえさんが目配せすると、大男が俺を離した。
「付いてきな」
「断っても?」
「逃げ切れると思うなら好きにすればいい」
と、おねえさんは俺を置いて歩いていく。もちろん大男は俺の後ろにいて、俺の動向を見張っているが。
……逃げ切る自信は、まあ、あるといえばあるけど。
でもここは一つ、付いて行ってみようかな。
逃げるだけならいつでもできる。
今はとにかく無法の国クロズハイトの情報がほしい。
あのおねえさん、夜的な意味でも怖いけど、一応は友好的に見えるので情報源として期待してもいいかもしれない。
よし、決めた。思いきって行ってみるか。
おねえさんは、すぐ近くの大きな店に入った。
中にいた従業員らしきおっさんに軽く挨拶し、そのまままっすぐ裏口へ向かい、そこから外へ出た。
四方を建物に囲まれている中庭らしきそこには、結構な豪邸が建っていた。
というか、別世界って感じだ。
豪邸の前に整えられた庭には、花や草木があり、ここが無法の国だと忘れそうになるほど品があって優雅である。
すごい。
王都の下手な貧乏貴族とは、比べ物にならないほどいい環境なのではないだろうか。
「ここに住んでるの?」
「ああ」
あ、そうなんだ。すごいな。
一目見てすぐに只者じゃない雰囲気は感じていたが、もしかしたらこのおねえさん、俺の想像以上にこの無法の国で重要なポストにいる人なんじゃなかろうか。
「――偉い人なの?」
豪邸へ向かう最中、ずっと後ろに張り付いている大男に聞いてみた。
「…………」
ジロリと見下ろされただけだった。
「タイランはしゃべれないのだ。契約のせいでな」
大男の代わりに、おねえさんが答えた。小声で言ったつもりだったが聞こえていたようだ。
「契約?」
「簡単に言うと、『何かを捧げて特別な力を得る』という契約に基づき、タイランは『声』を封じて『力』を得た。だからしゃべれないのだ」
……へえ。そういうのもあるのか。
恐らく「素養」の一種だと思うが。
そんな気になる話を耳に入れつつ、ついに豪邸の扉の前に着く。
これと同じくらい豪華な扉だった、あのリーヴァント家の屋敷では、ここら辺ですごく嫌な感じがしたものだが。
でも今回は大丈夫だ。
嫌な雰囲気はない。
気配で察する限りでは、冗談としか思えないような強者もいないんじゃないかな。
というか、俺の前後にいるおねえさんと大男が、それに当たるのかもしれないけど。
扉に手を掛けたと同時に、おねえさんが振り返った。
「今から小僧を『ある人』に紹介する。決して粗相のないようにな」
「ある人?」
「この娼館街の支配者だ」
支配者。
あ、やっぱり偉い人の家なんだ。そりゃそうか。貫禄の豪邸だしね。
「俺は田舎者だから、作法とか知らないんだけど」
「大丈夫だ。貴族から落ちぶれた豚はいても、生粋の貴族なんて上等な豚はこの街にいない。礼儀作法なんて知っている奴の方が少ない。無礼じゃなければいい。
そもそもこんなところに流れてくる者に、誰も礼儀なんて期待しないさ」
ああ、そう。
……まあ、この感じならいくらでも逃げられそうだし、大丈夫かな。
了承した、という意味を込めて頷くと、おねえさんは扉に掛けていた手に力を込めた。
「「――おかえりなさいませ、お嬢様」」
…………
……俺は今、生涯を通しても、なかなか見られない光景を見ているのかもしれない。
そういえば師匠が言っていたっけ。
「女好きで有名な貴族の屋敷に招かれたことがあるんだけどよ。もう使用人が全員美女と美少女でよ。飼い犬まで女なんだぜ? もう俺は思ったね。個人的な趣味もここまで徹底すれば逆に清々しいってな。――ったく参ったぜ。美女も美少女も、俺を見る目が完全に獲物を狙うケダモノみたいでよぉ。……白けた目でもいいからおまえも俺を見ろよ。少しでいいから俺を見ろよ」と。
師匠が見たという光景も、これに近い物だったのだろう。
…………
まあ、俺が見ている光景は、全員男の使用人なんだけどね。
扉を開けた途端、整列していた男の使用人二十名くらいが出迎えたのだ。
そう、全員男である。
それも顔がいい男ばかり集めているようだ。
あと女装をさせたりしているのはおねえさんの趣味なのだろうか。
そしてさっきの勧誘は俺にもああいう感じのソレにするつもりだったのか。なんと恐ろしいことを考えるのだ。さすが無法の国。人の業が深い。
想像だにしない光景だった。
びっくりした。
それにしても……夜の気配をまとう色男たちに囲まれるって、なんかこう……なんといえばいいのか。危機感とも違うし。このざわつく気持ちはなんなんだろう。ひどく落ち着かないのは確かだが。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
代表らしき男が歩み寄ってきた。長身で甘い顔だが、俺はそれより低くていい声なのが気になった。声が渋い青年である。
「ババアはいるか?」
「執務室に。……そちらの少年は?」
「使用人じゃない。客だ。このまま連れていく」
「かしこまりました。――お客様、お荷物をお預かりいたします」
「あ、ごめんなさい。まだ預けられないです」
渋い声の青年の言葉を即座に断ると、……おお、怖い。すごい睨まれている。
でもこれは譲らない。
中身を荒らされるのも嫌だし、盗られるのも嫌だし、とにかく逃げる時に持っていけないのが困る。
……何より、また押し付けられた可愛い邪神像 (しかも力作らしい……)を持っているのを、知られたくないし……
バレたら邪教徒扱いされかねないし……あ、ダメだ。あの邪悪な木像を持っていることを思い出したら落ち込んできた。
「構うな、ダイナ。このまま行く」
「はっ……」
渋い声の男の横を素通りし、おねえさんに付いていく。
もちろんというか当然というかなんというか、大男に加えて渋い声の男も、ピッタリと俺の後ろに張り付いていた。
俺はそんなに不審ですかね。
とあるドアの前に立ち、おねえさんはノックする。
「――入れ」
許可が下り、俺たちは執務室に入室した。
「……誰だいその小僧」
大きな机に座り、なんらかの書類や金が入っていると思しき革袋などを整理していたのは、しわしわのおばあさんだった。
書類を捲りながらチラリとこちらを一瞥し、もう興味はないとばかりに仕事を続けている。
喪服のような黒一色の服を着ていて、なかなか気難しそうだ。
「セヴィ。また新しいペットを拾ったのかい? ここは犬小屋じゃないんだよ」
……あ、はい。
察するに「ペット」というのは、さっき見た顔のいい男の使用人たちのことだね? そしておばあさんは、俺をその中に加える一人だと思っている、と。
まあ、なんでもいいけどね。
話がまずい方に向かうようなら逃げるだけだ。
「いや。あんたのボディガードに連れてきた」
…………
ん? ボディガード?
俺が疑問に思うのと同時に、おばあさんの仕事の手が止まった。
おねえさんと同じくらい鋭い眼光が、俺を見据える。
「……まさかその小僧、ブラインの塔の客かい?」
え。
なんか、聞き覚えのあるフレーズが、出たような……?
「私は間違いないと思う。ババアなら『視える』だろ? 確認してみな」
「視える」……だと?
「ほう……?」
おばあさんが俺を凝視する。まずい。なんだかわからないが、これはまずい。
何よりまずいのは、「俺からはおばあさんの素養が視えない」ことだ。
――「俺の知らない素養」で、俺は今「視られて」いる……!
「……物理召喚だね? それ以上はわからないが……」
逃げる間もなく「視抜かれ」た。完全に。