128.メガネ君、心の準備をする
「――二つ、言っておかないといけないことがある」
俺の体内時計では、一晩は飛んでいたと思う。
どれだけの速度が出ていたのかわからないので、どれだけ遠くに来ているかもわからない。
だが、飛んだ距離はかなりのものだと思う。
隣国どころか、一つの国を越えて二つ隣の国まで来ている可能性もある……気がする。世界がどれだけ広いのかいまいちわからないので、あり得るのかどうかって話だが。
あるいは――いや。
今は、大事な話をしようとしているソリチカの言葉に集中しよう。
並んで座っている俺たちは、うとうとしている者、本気で寝入っている者、ただ大人しく時を過ごす者と様々だが。
前触れなくソリチカが言葉を発した瞬間、全員が目を開いた。
全員眠りは浅かったようだ。
さすがにこの不安定な状況で、本格的に寝入ることはできなかったのだろう。
「まず一つ。ブラインの塔の場所は、それぞれが探すこと」
……? 探すこと?
「どういう意味だ?」
当然のサッシュの質問に、「答えられない」……とでも言うかと思ったが、ソリチカはちゃんと答えた。
「まず、ブラインの塔を探すことが訓練の内。一番最初の課題ってこと。
暗殺者に必要なものは強さだけじゃない。
いかに考え、自分に有利な状況を考えるか。あるいは状況を作るか。
要するに、ここから先は単純な腕力や戦闘力だけでは進めない領域に入る、という洗礼」
……ふうん。
「探せなければどんどん周囲に置いていかれるだけだから、問題はない。
別に探してもいいし、探さなくてもいい。時期が来れば迎えには行くから。
やるもやらないも、それも各々が判断すること」
なるほど。
わからない部分も多いが、言葉通りの意味として憶えておこう。
「ちょぉ待てや……頭で勝負となるとうちも怪しいけど、とにかくチンピラがまずいじゃろ……」
「しれっと俺の上に行こうとするな。てめえと俺は同レベルだ」
顔色が悪くなったフロランタンと、声に覇気がなくなったサッシュが悲しいやり取りをしている。
「あの、言葉だけ聞くと、それぞれがバラバラに行動するみたいな意味に聞こえるんですけど……一緒に行動はできないんですか?」
セリエの問いに、ソリチカはこう答えた。
「その通り。降りる場所は皆違う。
でも合流してはいけないというわけではない。
まず何人か合流してから一緒に塔を探してもいいし、それぞれが目指して塔で再会してもいい。
方法は問わない。
好きなようにやってブラインの塔を探して」
…………
なんというか、アレかな。
「もしかして森の中とか山とか、魔物がいる場所に放り出そうとしてる?」
リッセは俺と同じ結論を考えたようだ。
暗殺者の村で最初にやるという、憶えることを前提としていた自給自足の生活。なお、この辺のアレが原因で、俺は一時追放されてハイディーガに行くことになったのだが。
そこを考えると、俺たちは今から、サバイバルをしながらブラインの塔を探すのではないか、と。
サバイバル技術が必要な場所と言えば、自然の中。
そして自然の中には、人を襲う魔物がいる。
これは、心配しないわけにはいかない話の流れである。
「一応はそうなるけれど、見える場所に巨大な街がある。
そしてブラインの塔は街の中にある……かどうかは言明しないけれど、手がかりはかならずその街のどこかにあるから。
だから、必然的に全員その街に行くことになる。課題を投げなければ」
……つまり、その「巨大な街」とやらで情報を集めてブラインの塔を目指せと。そういうことか。
「他に質問は?」
聞きたいこと自体は色々あるが、概要だけはもうはっきりした。
俺たちはバラバラに行動し、街でブラインの塔のことを調べてたどり着けと。たったそれだけのことだ。
「……ないみたいだから、二つ目に移るよ。
といっても、こっちはものすごくシンプルだから。別に質問もないと思う」
そう前置きして、ソリチカはいつも通りの虚ろな瞳で何かを眺めながら、いつもの調子で言ったのだ。
「――殺しは自由にやっていいから。
理由は問わない。
身を守るためでもいいし、たった一枚の銅貨のためでもいい。
悪ふざけでもいいし、気に入らなかったでもいい。
誰もそれを咎めないし、誰も止めない。
死ぬのは弱いから。
運がないから。
強者に睨まれたから。
恨みを買ったから。
これから行くところはそういうところ。
未開拓地のどこかにあると言われる、無法の国クロズハイト。
聞いたことくらいはあるかな?
あらゆる犯罪者が逃げ続けて、最後に行き着くという負け犬の国。
――もうすぐ着くから。心の準備だけは今のうちにしておくといいよ」
彼女が空言のように平然と言うのを機に、誰も声を発しなくなった。
無法の国クロズハイト。
噂だけは有名な、犯罪者の楽園だ。
田舎者の俺でさえ知っているくらいだから、かなり有名だと思う。
あるかどうかはわからない。
行ったことがあるという者もいない。
でも、そんな名前の無法者しかいない国が、あるらしい。
そんな噂で有名な、実在するかどうか眉唾もいいところの国である。
だが、これからそんな実在するかわからない国に、俺たちを連れて行くそうだ。
みんなが、ソリチカの言葉をどのように受け止めたのかは、わからない。
ただ、ここに満ちた緊張感は、少なくともソリチカの言葉を真実と受け止めたことを意味している。
程度の差はあると思う。
どれだけ真剣で、どれだけ大きな意味があるかをちゃんと察した者も、あまり察していない者もいるだろう。
だが、間違いなく全員が、これから自分の身に訪れるだろう危険あるいは災難に、心の準備をし始めていた。
そもそも、俺たちは暗殺者育成を目指す組織に拾われ、その話を飲んでここにいるのだ。
――これまでが準備期間で、これからが本番。
そう考えたら、そんなに不可解で理不尽な課題という気は、少なくとも俺はしなかった。
暗殺者を育成する。
その目標が伊達じゃないなら、確実にこれまでが温かったのだ。
ぬるま湯もいいところだったのだ。
ソリチカの言った通り、それからすぐにドラゴンは地に降り、布が外された。
ここがどこかはわからないが、空は少し明るくなっていた。やはり一晩飛び続けていたのだろう。
彼方には、もう明日がやってきている。
そして、無法の国クロズハイトらしき街も、確かにあった。