127.メガネ君、セリエとリッセの関係を聞く
見えない空の旅、というのはかなり怖い。
左右に揺れて少々不安定だし、はためく布と風の音もすごい。
落ちる心配はないとは思うが、それはもう全部見えないので、返って不安は湧かない。きっと見えている方が怖いと思う。
理屈ではわかっていても、「今飛んでいる」という認識が薄いのかもしれない。
そして俺たちには、もう一つの恐怖があった。
「――大丈夫ですよ。私はこの時のために、薬草学を学んだと言っても過言ではありません」
心配げな俺たちの視線を敏感に感じ取ったらしいセリエは、得意げに言った。
「酔い止めの薬はばっちり効いています!」
なんと。それはすばらしい。
布で覆われた、そこそこの密閉空間である。
馬車の時より空気が少ない。
この状態で色々とアレされたら、こっちも色々とアレなことになってしまうだろう。
本人が一番つらいとは思うが、それと同じくらい、こっちも貰いゲ……まあ、貰いアレ的な意味でひどいことになりかねない。
貰いアレの負の連鎖が始まってしまうかもしれない。
何かに乗る、と聞くと、どうしても忘れられないセリエの体質だが、危惧していたアレの心配は不要らしい。非常に僥倖である。彼女の努力が実ったのだ。
どれくらいの時間、こうして運ばれるのかはわからないが、こうなってしまうと退屈である。
「なあ、ブラインの塔ってどこにあるんだ?」
しばらくは黙ったまま運ばれるだけだったが、ついにサッシュが沈黙をやぶった。
「答えられない。自分の目で確かめて」
ソリチカの答えは、いつか聞いた内容と一緒だった。確か「話せない」と言っていたはず。守秘義務があるのだろう。
「じゃあリッセは? おまえは多少知ってるんだろ?」
今度はリッセに話を振る。
「私が知っていることは、もうサッシュも知っているよ。説明は聞いたでしょ? それ以上は私も知らないから」
説明以外の内容となると、子供の頃に一緒に訓練をしていた友達とブラインの塔で会うとかなんとか、そんな話だったかな。
「なあ。うちはええかげん聞いときたいんじゃが」
いつも無遠慮に肉を求めてくるフロランタンが、今まで我慢していた風を装って言い出した。彼女は我慢を知っていたのか……衝撃的だ。
「セリエとリッセの関係ってどうなっとるんじゃ?」
あ、それか。
ついに聞くのか。
というか今まで気を遣って聞かなかったのか。
明らかに訳ありみたいな二人の関係だったので、フロランタンなんてとっくに聞き出していたと思っていた。
まだ聞いていないという事実も衝撃的だ。
その辺のことは、女同士でとっくに話していたと思っていたんだけど。
「…………」
「…………」
なんとも言えない微妙な顔で、セリエとリッセは顔を見合わせる。
あの顔はなんて表現したらいいんだろう。
困っているようにも見えるし、心配そうにも見えるし。ほんと微妙だ。
「……どこまで話してる?」
「いえ、全然話してませんよ」
「じゃあ話す気は?」
「皆さん関係者なので、秘密にする理由はありません。聞かれたら普通に話したと思いますが、誰にも聞かれなかったので……」
なかなか意味深な会話をする二人だが、リッセは頭を掻いて「じゃあ私から話すわ」と呟いた。
「――察してる人もいると思うけど、セリエはリーヴァント家の養子なの。血族じゃない」
あ、そういう重い話は、あんまり聞きたくないんですけど……空の上だもんな。さすがに逃げ場がないな……
今は時間だけはあるので、リッセは結構丁寧に話してくれた。
本人的にもいい暇つぶしになっているのかもしれない。
……まあ、内容を聞けば、とてもじゃないが「暇つぶし」なんて軽い言い方はできないけど。
幼少の頃、セリエとリッセは、同じ孤児院で暗殺者としての訓練を積んでいたらしい。
つまり、二人は小さい頃から英才教育を受けた、暗殺者業界のエリートというわけだ。
リッセは元々の素質が高かったようで、修学も実技も、いつもトップクラスの成績を取っていた。
対するセリエは、何事もそこそこで、上過ぎず下過ぎず、特に目立つこともないし成績でもパッとしない子だったそうだ。
そんな二人が十歳になった頃、選定の儀式を受けた。
普通なら十五歳で受ける、成人と認められ「素養」を授かる儀式であるが……まあその辺は国の力で前倒ししたのだろう。
いつだったか小汚いおっさん・ザントが言っていたように、「素養」を前提にした訓練をするために、早めに判別する方針だったのだろう。
だが、「素養」は授かるタイミングがまちまちなのである、と今の俺は知っている。
選定の儀式は、正確には「授かっている素養」を判別するもので、「授かる瞬間」ではない。
十歳で授かっている子も言れば、十五歳を超えても授かっていない子もいるようだ。
まあ後者は滅多にないらしいが。
そしてその「滅多にないパターン」の場合、かなり「強力な素養」が授かりやすい傾向にあるとかないとか本には書いてあった。確かめようがないので真偽は俺にもわからないが。
話を戻すが、その「十歳で受けた選定の儀式」だ。
その時リッセはまだ「素養」を授かっておらず、セリエは授かっていた。
それが、その後の二人の生活を一変させたそうだ。
「――『法陣ノ魔術師』という『素養』が判別したセリエを、リーヴァント家の養子として育てる、という決断をワイズ様が下したの。
私たちは孤児だし、ワイズ様に拾われた恩もある。
みんな、あの人のために最高の暗殺者になりたい、あの人のために仕事をしたいって思っていた。もちろん私もね。
そして、たとえ形ばかりでも、あの人の家族になりたいと思っていた。
……で、そんな私たちの中から選ばれたのはセリエで、彼女は訓練場から離れて貴族の娘としての教育を受け、今ここにいるわけ」
…………
「突っ込まれる前に自分で言うけど、私もリーヴァント家の養子になりたかった。
ワイズ様の身内として、あの人の一番の部下になりたかった。
まあ正直、訓練内容はいつもトップ争いに参加してたからね。充分望みはあると思ってた。見た目も可愛いし。ほら、美人だし」
チッ チッ ケッ
「不愉快な反応どうも」
舌打ちする連中にイラつきを隠さないリッセ。
でもそれもしょうがないと思う。
それは舌打ちもするよ。
誰かに平手でパーンとされたって「今のはリッセが悪い」と、俺は言うと思うよ。
「というかなんでソリチカまで舌打ち……………………いや、まあいいや。
で、結局選ばれたのはセリエだったって話。
訓練の成績はパッとしない、私生活でもリーダーシップがあるわけじゃない、なのにワイズ様に選ばれたのはセリエだったって話。
――あの当時は嫉妬したし、悔しかった。納得もできなかったけど……まあ、今もなんか、微妙にね。ちょっと思うこともあるわけ」
これで全部、とリッセは話を締め括った。
セリエが暗殺者になりたいと言っていた理由は、これだったのか。
…………
でもまあ、聞かなくてよかったかな。
聞かされても困るっていうか。
「おいセリエ」
なんだか空気が薄いし重くなったところで、サッシュは言った。
「リッセに『悔しいかバーカ』って言ってやれよ」
「言いません」
「え? うちが許すけど? 言わんのか?」
「言いませんっ」
「でも子供の頃から生意気で気に入らない赤毛だなぁって思っていたんでしょう? 正直になりましょう?」
「思ってません! というかソリチカさんのスタンスがわかりません!」
君たちは楽しそうでいいですね。リッセはすごい顔で睨んでるけど。
空の旅はまだ続いている。