123.メガネ君、寝ているのをいいことに色々試す
「サンドウォーク」の表記を変更しました。
「――では出発する」
早朝、俺たちは予定通り、暗殺者の村を出た。
今度の旅は狭い馬車ではなく、徒歩――それも走っての移動となるそうだ。
走力、ひいては体力は、すべての動作の根幹に位置する。
足は速いが体力がないのはダメで、逆に体力はあるが足が遅いのもダメ。体力があるに越したことはないが、最低限の速さが出せるように鍛えろ。
狩人として弟子入りしてすぐ、俺はそう教わって、事あるごとに走らされた。
その後、森で活動するようになってから、その言葉の意味を痛いほど理解したのだが。
体力は、すなわち生きる活力である。
これがなくなったら生きる気力がなくなる。
気持ちが折れる。
恐怖に負ける。
生きることを諦める。
……と俺は教わり、実際そういう場面を何度か経験してきた。
体力は大事だ。
特に狩場では、余裕と余力は持っておきたい。
暗殺者もその辺のところは同じらしく、各々師匠方の下で体力作りは入念しにしていたそうだ。
若干、体力というか、実技面が心配だったセリエは、実は意外とできるそうだ。
俺はそれを裏付けるような様子を見たことはないが、体術も体力も、高い水準を維持しているらしい。
このメンツで言うと、フロランタンが一番体力がないんだそうだ。
そしてそんなセリエは、ついさっき、馬車の旅じゃないと知って嬉し涙を流した。乗り物酔い大変だったからね。見てる方も大変だったからね。よかったね。お互いに。
来た時と同じく、御者のおっさんこと“霧馬”の先導で、俺たちはまだ薄暗い早朝に走り出した。
なかなか速度が出ている。
どこへ向かっているかは教えられていないが、気を抜いて走っていたら“霧馬”の背中がすぐに遠ざかる。
なお、最後尾をソリチカが走っている。
彼女もブラインの塔まで一緒に行く予定となっているのだ。
――それにしても。
どこへ行くのか、この方角は大帝国の方だ、などと周りが話している間、寝不足の俺は今なお昨夜から続く考え事で頭がいっぱいだった。
「空蜥蜴の燻製肉、楽しみじゃのう!」
「おまえは肉ばっかだな」
「なんじゃチンピラ。われはいらんのか」
「食うよ! てめえの分までな!」
「あ? うちの肉に手ぇ出すいうんか? 本気でしばき回すからの?」
「殺気を出さない。なんか燻製にすると一風違うって言っていたね。そのままでもおいしいのに」
「そうですね。お昼が待ち遠しいです」
うん、楽しみだよね。
俺も昼休憩が待ち遠しい。
…………
いや、肉は置いといてだ。
昨夜、猫が起きないのをいいことに、例の現象を色々と試してみた。
まだ試行回数が少ないし、対象も一頭だけ。
だからまだまだ実験段階ではあるのだが、あれは……そう。
名前を付けるなら、「強制情報開示」とでも言うべき、新たな「メガネの力」である。
まず大事なことは、俺は「砂上歩行」なんて「素養」は知らないということだ。
大原則として、「俺のメガネ」で「素養が視えない」パターンは三つ。
一、持ち主が使用していない場合。
二、「俺が知らない素養」である場合。
それと、「まだ素養を持たない人」の場合だ。
子供なんかは「視えない」ではなく、そもそも「視えない時の表示が出ない」ことがある。たぶんまだ持っていないのだろうと思う。
実はこの三つ目には、個人的にとても気になることが……あるんだけど、今は置いておこう。
猫――砂漠豹は、「素養」は「視え」なかった――と言いたいところだが、正確に言うと「見えない時の表示が出ない」という三番目のケースだった。
村に帰ってから村人全員を「視た」し、その中にあの猫もいた。見るでもなかったものの視界に入ったので、必然的に猫も「視て」いる。
その時は一切疑問に思わなかった。
即ち、「表示がなくても不自然じゃない」と、俺が自然とそう思った。
だから気にすることなくそれを受け入れていた。
魔物に「素養」がある。
そんなことは考えもしなかったので、「表示がないのが当然」だと思っていたのだ。
少なくとも、昨夜までは。
「素養」のリストを開くと、確かにあるのだ。
「砂上歩行」が。
ちゃんと一個の「素養」として登録されている。
色々と驚くことは多いが、ここに来ての一番の疑問は、やはり一つだろう。
――「砂上歩行」とは、どういう効果のある、どんな「素養」なのか、だ。
猫が起きないのをいいことに、色々試してみた。さらっさらの毛皮を撫でながら。
まず、「光るレンズ」の発光は、俺の任意で抑えることができる。逆に任意で光らせることもできる。
次に、「光るレンズ」に浮かび上がった「砂上歩行」の文字は、裸眼では見えなかった。
文字らしきものが出ているのはわかるが、ぼんやりぼやけてはっきり読めないのだ。眩しかったし。でも眩しいだけでぼやけていたわけでは決してない。
闇に慣れた暗がりの中、視界に優しくない光に目が痛くなるのを我慢して、いくら近くで凝視しても、文字として読むことはできなかった。
再び「メガネ」を装着し、今度は「レンズを黒く」しないで凝視すると、今度ははっきり読むことができた。
法則としては、「メガネ」で「メガネ」を「視る」ことで、相手の情報を引き出すことができる……となる。
…………
要するに、「相手にメガネを掛けさせれば情報を引き出せる」わけだ。
魔物でできたなら、きっと人間でもできると思う。
つまり露骨に言うと、「素養」がわからない者に「メガネ」を掛けさせれば、俺は三つの大原則を無視してその人の「素養」を知ることができる、ということだ。
次に、もう一つ大事なことがわかった。
寝ているのをいいことに、猫で色々と試したから。上唇を捲ってちょっと牙を見て「うわーやっぱりこいつ人間食うなぁ」としみじみ思ったりしながら。
俺が登録している「素養」に、「鑑定」というものがある。
本来なら、持ち主の知識量や魔力に応じて、物の名前や価値や用途などの情報を知ることができるらしいが。
しかし「俺のメガネ」で再現する「素養」は、本来のものよりかなり効果が劣る。
飾らず言うなら、俺が使ったところで、俺の知識にある物の名称がわかる、程度の効果しかないのだ。
要するに、「使わなくてもわかることしかわからない」。
そんな使う理由がない残念な代物なわけだ。
俺は早々に戦力外として扱っていたが、まさかその「鑑定」が、ここで生きるとは思わなかった。
「強制情報開示」は、俺の知識に依存しない。
何せ「砂上歩行」を知らないのに、それが「視え」てしまった以上、それは間違いないだろう。
ならば、「強制情報開示」をされている時に、情報が浮かんでいる「メガネ」を「鑑定」したらどうなる?
これは完全に俺の想像になるが、この場合「鑑定」で依存する知識は、猫のものになるのではないか。
だからこそ、「俺が知らない情報」を読み取ることができる。
俺の知識ではなく対象の知識だから。
結論を言うと、「鑑定」を使ったら「砂上歩行」の簡単な説明が表示されたのだ。
「砂上歩行」
足音がない。足跡がない。
情報は以上である。
この端的な理解の仕方と説明を見るに、やはり猫が「自分の素養」をそう認識しているのではないか、と思われるわけだ。
やりたい放題できることをいいことに、もう少し試してみた。調子に乗り過ぎたせいで猫が起きかけたので慌てて寝たふりをしてやりすごしたりしつつ。
こうなってくると、今度は法則が気になってくる。
果たして「メガネ」は、どのような状態であれば機能するのか。
何も顔に掛けるだけが「メガネ」のあり方ではない。
俺的には邪道極まりないが、顔以外に掛けることも可能ではある。
例えば、猫の手に掛けてみる。
乗せてみる、と言い換えてもなんら不都合はない。
これはダメ。
一応前足も後ろ足も試したがダメだった。光らせることはできたが、「強制情報開示」はできない。
今度は胴体に掛けてみる。
乗せてみる、と言い換えてもなんら問題はない。
これも当然のようにダメだった。
シッポ、耳の上、足の付け根、腹毛に埋もれさせるように、顔の近くにシェフの気まぐれサラダ風に添えて……と色々試してみたが、「強制情報開示」はできなかった。
こうなると、いよいよ「顔に掛けないと無理」という結論を出さざるを得なくなる。
では、顔への掛け方はどうだろう。
上下逆さまに掛けてみる。
これは「視えた」が、表示も逆さまだった。見づらいだけなのでやる意味がない。というかもう二度とやらない。
おでこに掛けてみた。
これも「視えた」。目の近くにあるといいのか……?
頭の上に掛けてみた。というか乗せてみた。
これは無理なのか。
蔓をたたんだ状態で乗せてはどうか、あ、ダメか。
となると、やはり「顔に掛ける」のが条件となるみたいだ。
たとえば、誰かの背中に「メガネ」を押し付けて「強制情報開示」し、情報だけ得てすぐさま離れる、というバレない使い方はできないわけだ。
「強制情報開示」は、「メガネを掛けさせる」必要がある。
うーん……条件が厳しい気がする。
そしてそれ以上に、改めて思う。
俺にこんな力があったって、持て余すだけだよなぁ……