122.メガネ君、出発前夜にメガネの更なる力に気づく
「サンドウォーク」の表記を変更しました。
各々がそれぞれの最後の日を過ごした、夜のことだった。
みんな明日に備えてか、それとも最終日の師匠からの課題がつらかったのか、夕食を食べたらすぐに部屋に引っ込んだ。サッシュも晩飯を食ったらまた寝に戻った。
「――またしばらく会えないね」
俺も例外ではなく、明日に備えて早めに寝るつもりで、もう部屋の明かりを消している。
そして横には彼女がいる。
そう。巨大猫である。
言うなれば、師匠の彼女である。
言葉にすればただれた関係であるが、生憎相手は人ではなく猫である。……まあ、猫でもないけど。
この猫は、時々部屋までやって来ては一緒に寝るのだ。
たぶん候補生全員の部屋にまんべんなくお邪魔していると思う。リッセの所に行った時は特にわかりやすいし。
来る理由はわからない。
何かしら役割があるのかもしれないし、ただの気まぐれかもしれないし。
でもまあ、そこはどうでもいいかな。
この猫――砂漠豹は、元々は砂漠に住んでいる魔物である。きっと“石蠍”が砂漠からここまで連れてきたのだろう。
聞いたところによると、砂漠は非常に暑いらしい。
だから猫も暑さには強いようで、夏でも容赦なく誰かの部屋に押しかけてきた。
人間より若干体温が高いおかげで、猫が来ると狭い部屋の気温が少し上がってとても暑くなる。
でも、それでも追い出す気になれないくらいには、俺はすっかり情が移ってしまった。
正直かわいくて仕方ない。
あんまり“石蠍”を冷めた目で見られないくらいかわいい。
ロダは「狼に似た犬を飼いたい」と、冗談なのか本気なのか怪しいことを言っていたが、俺は猫がいい。
さすがにこのサイズの猫を飼うのは現実的ではないので、普通の猫でいい。
俺の村にも猫はいたけど、姉が可愛がろうとして追いかけ回したおかげで、すべての猫がどうも人間不審になっていたから……人が近づいたらすぐ逃げていたし。飼い主が呼んでも警戒心を解かないし。中腰で耳を伏せてしっぽを下げて身構えていたし。俺もあまり接点がなかったし。
しかしどうだ。この猫は。この猫の感じは。猫じゃないけど。
人間のように話さないし、人間のように個人情報を知りたがらないし、人間のように要求を突き付けてきたり責任を負わせてきたり理不尽を押し付けてきたりなんて絶対しない。呪われたクワガタ派でもない。ちょっと肉が好きすぎるくらいしか欠点なんてない。
そして何より、自分を偽る必要がない。
飾らず無理せず自分を曝け出せる。
いつからだろう。
この猫に、こんなにも心を許していたのは。
師匠を抜かせば、人間だってこんなに信じられたことはないのに。
ペットっていいな。
俺、将来は猫を飼うんだ……
そういえば、リッセは最後まで怖がっていたっけ。
最初は「こいつ絶対人食うよ!? 頭とか人間より大きいんだよ!?」と騒いでいて、今でこそ多少は慣れたようだが、最後まで警戒を緩めていなかった。
フロランタンがその都度「阿呆め。猫が人間を食うかい」と冷ややかに返していたが。「どう見ても猫じゃないだろ」というあたりまえの言葉は無視していたが。
――うん、まあ、食うよね。
こいつは人間を食べると思う。リッセは正しいと思う。
アサンは人間を襲わないってだけで、この魔物は人を襲うし人を食べると思う。間違いなく。すごい肉好きだし。
……まあそれはどうでもいいけど。
一緒になって横たわり、もう寝ている猫の頭を撫でる。
さらさらの毛並みが心地いい。
この毛皮はいい……欲しいな。砂漠まで行けば狩れるのかな。……まだ野生の砂漠豹を仲間だと思っているのかな? 狩ったら嫌われるかな? それはダメだ! もうこうして触るだけで諦めよう。
さらっさらの毛を撫でながら、登録した「素養」についてぼんやり考えてみた。
――ここ暗殺者の村に戻ってから、三人の村人から『素養』を登録することができた。
“石蠍”の「魔獣使い」。
“紙燕”の「浮遊」。
“霧馬”の「霧化」。
あと、薬師のおばあさんは「視え」なかったが、本人が「毒の素養がある」みたいなことを漏らしていたので、「俺が知らない素養」である可能性が高い。どこかで情報を得られたら「視える」ようになると思う。
――「魔獣使い」は、俺の知識では「魔物と交信する力」という認識だったが。
いつだったか御者のおっさん……“霧馬”がアサンのことを教えてくれた時、「村にいる者が契約し、使役している」と言っていた。
恐らくは、「魔獣使い」を進化させたら「契約」だのなんだのという使い方ができる、のかもしれない。
ちなみに一応セットして試してみたが、猫と交信はできなかった。
――「浮遊」は、当人の体重を操る「素養」だ。
これをどう使えばいいのかいまいちわからなかったが、“紙燕”とサッシュの訓練風景を見ていてすぐにわかった。
“紙燕”は、これを高速で点滅するほど細かく切り替えて使用していた。
自重を重くすることで攻撃を重く、軽くすることで身軽に立ち回る。
体重を操作していることを相手に気づかせない技術と、不自然じゃない重さの移行。
あれほど自在に使っているというなら、もはや「浮遊という素養」は、もう彼女の一部なのだろう。
なんでも、全身筋肉の魔物・鉄兜を殴って仕留められるというのだから、その練度に疑う余地はない。
まあでも、たぶん「素養」を使わなくても彼女は強いと思うが。まだ子供なのにあんなに強いなんてなぁ。すごいもんだ。
――「霧化」は、身体が、身に付けている物ごと霧になる状態変化だ。
ただ、魔力の消耗が非常に大きい。
俺なら五秒くらいしか維持できない。もし実戦で使うなら、二、三秒くらいだろうか。
使いどころが問われる「素養」だ。
使ったあとの疲労感もすごいので、使う機会は少ない方がいいかな。
少なくとも現時点では、緊急回避には使えるが、緊急回避で使う時点で終わりって感じだ。後が続かないだろうから。
これについては、使い方より使い道を考えるべきかも。
新たに増えた「素養」も含め、現時点で使えるものを「メガネ」を掛けて確認してみる。撫でながら。
「筋力補正」「命中補正」「走力補正」
「聴力補正」「視力補正」「嗅覚補正」
「指花の雷光」「生命吸収」「青の地図」
「精霊憑き」「闇狩りの剣」「尊顔の美黒」
「逆撫でる灼熱」「道化の微笑」「爆ぜる爆音の罠」
「暗き蛇腹」「医眼」「鑑定眼」「遠鷹の目」
「剣特化」「疾刃」「風柳」
「最大衝撃」「闇狩りの戦士」「怪鬼」
「即迅足」「魔獣使い」「浮遊」「霧化」
……と、こんなところか。
数だけは増えたなぁ。使い道に困るものも多いんだけど。
この二ヵ月で色々試してみたが。
まず一番の懸念事項だった「最大衝撃」の威力出ない問題は、無事解決した。
――結論を言うと、指向性の問題だった。
あの「素養」は、方向や規模を指定せず発動すると、球形に衝撃が広がるのだ。
矢で言うと、後ろにも衝撃が発生していた。
前にだけ出ればいいのに、無駄に後ろにも上にも下にも衝撃が発生していた。
威力が低かったのは、衝撃が分散していたからだ。
俺が読んだ本では、「打撃に衝撃を上乗せする」、という使い方が載っていた。
恐らく、その使い方をしていれば、すぐに気づくことができたのだろう。
その前にロダの「指花の雷光」で自爆したから、自分の手で試そうと思わなかったのが悪かった。
自分の手で使えば、きっと「最大衝撃」でも自爆した。
しかしその時点ですぐに気づいただろう。
「あれ? 衝撃が後ろにも来るぞ」と。
たくさん矢を撃って、観察して、とにかく観察して、周囲の草や葉が揺れることでやっと発見したのだ。
すごい遠回りをしたなぁ、と思う反面、いい経験になった。
今では問題なく、一点集中で結構な威力が出るようになった。俺の武器が一つ増えたのだ。
ただ、黒皇狼討伐の時に見ていた通り、とにかく衝撃の音が大きい。
なので人前では使えないかな。使ったことがすぐにバレるから。
そういう意味では、「闇狩り」はやっぱり使い勝手がいい。
なんとか「闇狩り」の特徴である「発光」を抑えることに成功したので、これは人前でも使える。
ちなみにリッセの「闇狩りの剣」と、ホルンの「闇狩りの戦士」の違いは、特定武器に補正が掛かることだ。
リッセの場合は「剣」。
ホルンの場合は、武器補正はない代わりに「闇狩りの力」自体が強いみたいだ。
なので、俺が使うのはホルンから登録した方になる。
……姉の力に頼っている、と思うと微妙な気持ちになるが、役に立つものならなんでも役に立てるべきである。気持ちはもやもやするけど。
あとは、特定武器でしか使えないとか、そういうものになる。
騎士のおっさんから登録した「剣特化」なんて、剣を使わない俺には完全に宝の持ち腐れだ。かなりすごい「素養」らしいんだけどね。
…………
眠くなってきた。
しばらくお別れ……どころか、もうこの村に戻ってくることはないかもしれない。
もう少し猫の毛並みを堪能したかったが、明日に備えて寝ておかないとまずい。
明日から、また旅暮らしになる。
日程はそんなに長くないと言っていたが、旅の最中に体調を崩したりしたら皆に迷惑が掛かる。寝不足なんて許されないだろう。
「……また会えるかな?」
猫は寝ている。語りかけても反応はない。
でも、それでいい。
それがいい。
俺は「メガネ」を外し、眠りに……………………
着こうと、思っていたのだが。
この時の俺の気持ちは、なんと説明していいのかわからない。
若干寝ぼけていただけなのかもしれないし、ただ単に、好きになってしまった猫にちょっかいを出したかっただけなのかもしれない。
理由らしい理由はなかった。
ただ、なんとなく、そうしたかったから。
なんの気の迷いか、俺は自分に掛けていた「メガネ」を、寝ている猫に装着させてみた。
サイズが合わない。
猫の頭は、俺の頭より大きい。
大きな鼻にちょこんと乗ったような、そんな掛け方で――
レンズが光った。
「――っ!?」
驚きのあまり声が出そうになった。
反射的に口を塞いで素早く立ち上がる。
眠気? 一瞬で飛びました。
――光った。
――もうずいぶん前のことにように思えるが、セリエが馬車の事故に合ったあの夜のように。
あの時以来、光ることはなかったので、若干忘れていたくらいなのだが……そういえばこういう機能もあったな。
こればっかりは一人で検証できないので、後回しにしていたらすっかり忘れていた。
…………
そうか。
「メガネ」が光るって、傍目にこういう感じなのか。
違和感があるなんてもんじゃないな。絶対に人には見せられない現象じゃないか。「あのメガネに何か秘密がある」とモロにバレるじゃないか。
そして、ただただ普通に眩しい。
明かりを落としていただけに、すっかり暗い部屋に目が慣れていた。
光としてはそこまで強くないが、闇に慣れた目には優しくない光である。
……あれ?
眩しさに目を細めながら、しかしもしかしたらまた「何か」が映り込んでいるかもしれないと思い「光るレンズ」を見てみたが、……なんだ?
文字が、浮かんでいる?
「あ、そうだ」
俺は新たに「メガネ」を生み出し、太陽さえ見えるように「レンズを黒く」してみた。こういうこともできたんだよね。使う機会がなかったから忘れていたけど。
これで光は無関係に、見ること、が…………えっ?
「……『砂上歩行』……?」
…………
……もしかして、「猫の素養」……?