121.メガネ君、出発前日を過ごす
ブラインの塔に行くことを決断して、数日が過ぎた。
その数日の間に、各々が師事する人物に、最後の教えを享受していた。
――サッシュは、槍の師匠である“紙燕”という小さい女の子の誘いを受け、丸一日ぶっ続けで組手をするという荒行を無事終えた。
今日一日部屋にこもって寝る、と言っていたので、たぶん今も寝ているだろう。
いつだったか、俺も彼の訓練風景を見学してみたが、あれはすごいの一言だった。
槍が万全なら、間違いなく殺し合いというレベルの組手をしていた。
聞けば、組手での訓練は珍しいことではなく、基本的に差し向かいで槍をぶつけ合う組手ばかりしていたらしい。
そしてサッシュが裸だったのは、「当たれば痛い」からだ。
服の上からより、直接当たるともっと痛いからだ。
「俺はバカだからな。痛い想いしながらの方が憶えるの早いんだよ」と本人は言っていた。
果たしてそれが真実なのかどうか、どれほどの効果が上がっているのかはわからないが。
しかし、驚異的な速度で強くなっている理由は、わかった気がする。
結局すごい負けず嫌いなんだよね、あのチンピラ。
師匠相手でも負けるのは嫌で、負け続けているのが悔しいみたいだ。
もしかしたら、勝負ごとに強くなる一番の近道は、「負けず嫌い」になることなのかもしれない。
――フロランタンは、鍛冶場のツルっとしたおっさんの所に通っている。何をしているかまではわからない。
どうもフロランタンの「素養・怪鬼」は、本人より、師匠たちが育成方針に悩んでしまったらしい。
「怪鬼」は、簡単に言えば「腕力」が強くなる「肉体強化系の素養」である。聞いたことがないだけに珍しいのだろう、力の上がり方も半端ではない。
つまり、そのままで強い。
その辺にある何かを投げつけるだけで致命傷を狙える。
だいたいの物は掴めば砕ける。握れば潰せる。
あえて武器を持たせて、鍛えさせて、果たしてその「素養」は活かせるのか?
戦況は常に違うし、武器が通じない相手もいる。
武器がないと戦えないような鍛え方をしては、素手のままでも強いのに本末転倒ではないか? 本当に武器を得意にしていいのか? 武器がないと不安になるような凡百な戦士にしてしまっていいのか?
そもそもフロランタンの怪力では、武器が耐えられずすぐにダメになる。
常人の何倍も早く劣化するのに、戦闘中にダメになったらどうする?
ならばいっそ「素手のまま強い」を極めたらどうか、と。
そういう結論に至ったらしい。
ちなみにフロランタン自体は「うちは平和主義じゃけぇ戦うのはようわからん」だそうだ。絶対嘘だと思うが。
しかし、自分がどう戦いたいか、という指針や理想がないのは本当だと思う。
だから師匠たちに勧められるまま「素手で強くなる」という方向へ進んだようだ。
近くにある物を投げたり、掴んだり、殴ったり蹴ったり。
そういう原始的だがシンプルな強さを身に付けているらしい。
でも、そもそもまだ「素養」のコントロールが完全じゃないらしいから、まだ戦い方云々よりそっちを優先して鍛えているのかもしれない。
まあ何にせよ、木彫りはそろそろ卒業させてやってほしい。
誰がやらせているかは知らないが、もうやめさせるんだ。頼むから。
それと、彼女も「素養が二つ」あるようだ。
一つ目は「怪鬼」。
もう一つは、ザントと同じように、「視る」ことができなかった。
果たしてフロランタンは、「素養」を二つ持っていることに気づいているのか。
それとも本人さえ気づいていないのか。
その辺はちょっとわからない。
――セリエは、魔術師としての訓練と、魔力切れで休んでいる間にあの薬師のおばあさんのところで薬と毒の勉強をしていた。
ハイディーガから村に戻ってからは、俺も薬と毒について一緒に学んでいたので、その辺のことはよくわかっている。魔術師方面のことはさっぱりだが。
ただ、あのおばあさんは俺よりセリエの方が気に入っているらしく、俺に教えていない薬や毒をセリエに仕込んでいるようだ。
悔しいと言えば悔しいが、向き不向きというのもあるんだと思う。
俺は殺すための毒は使う気がないから、そういう意向も関係しているのだろう。あれでセリエは本物の暗殺者志望だから。
魔術に関してはさっぱりなので、セリエがどれくらいできる魔術師なのは、いまいちよくわからない。
「素養」関係だから、簡単には聞けないしね。
――リッセは、あの例の地獄の馬車の旅で御者をしていたおっさん……“霧馬”に剣を教わっていたようだ。
ハイディーガにいた時はザントが務めていたが、そもそも彼は剣が得意なわけではなかった。
剣の腕ではなく、彼自身が強いだけでリッセを上回っていたので、訓練時の手応えが全然違うんだそうだ。
時々槍の訓練に混じって組手をしたりしていたようで、サッシュとは完全にライバル関係になっているようだ。ちなみにリッセの方が強いらしい。
ああ、それとリッセと言えば、「闇狩りの剣」の制御が相当上達していた。
少なくとも、一振りで剣一本をダメにする、というひどい使い方はしなくなった。
そして俺は。
「感じるか?」
「二つ目が揺れてる」
「よろしい。狙え」
俺は目隠しをしたまま弓を番え、視えない闇の中に矢を射る。
ドン、と、矢が何かに当たる音がした。
そして二つ目が大きく揺れている。
「甘いな」
「外した?」
揺れは大きい。確実に当たっている、はずだが。
「真ん中じゃない」
……そうか。
ど真ん中を狙ったはずなのに、それは外したのか。
「的に当たるようにはなってきたんだけどなぁ」
と、俺は目隠しを外して「メガネ」を掛けた。
ここは山の麓の森の近く、魔物が生息する領域の手前である。
目の前には、「暗視」ではない「メガネ」越しでは見通せないほど、鬱蒼とした森林が広がっている。
「うむ。なかなか上達が早い。二ヵ月でここまでできるとはな」
おっと。もしかしたら初めて褒められたかもしれない。
俺の目の前には、珍しい黒髪に黒いヒゲを生やした浅黒い肌の……砂漠の民らしい特徴のある壮年の男性がいる。そしてかなりの男前である。
彼は“石蠍”という、俺の弓の師匠である。
ただ、この人は左腕がない。
かつてはロダのように暗殺者と冒険者とを兼任し、冒険者界隈では「比類なき砂漠の赤星」と呼ばれるほどの弓の腕を誇ったそうだが、十年前に失ってしまったそうだ。
それ以上は聞いていない。たぶんしゃべりたくないだろうし。
もう弓の技術的なことは教えられないが、まだ弓の感覚的なことなら教えられるかもしれない。
そう言われて、彼に面倒を見てもらっている。
この二ヵ月、彼から学んだことは、見えない的を感知する力だ。
今の俺には「メガネ」という視覚に特化した「素養」があるが。
逆に言うと「メガネ」を封じられたら戦力がガタ落ちになる可能性が高い。
ただでさえ、「メガネ」が使えるようになってからは「メガネ」に頼り過ぎの感がある。
「メガネ」に甘え「メガネ」におんぶされ「メガネ」に抱っこされつつもしかしたら「メガネ」に依存し「メガネ」は着脱式の顔の一部などと開き直り「メガネ」を紛失し街の路地裏や交差点を探すも見つからずでも諦めきれずまた「メガネ」を生み出したり「メガネ」に対する依存は深まるばかりで挙句は「メガネ」に対する禁断症状まで出て「メガネ」が切れたら動機・息切れ・幻覚などに悩まされたりして計画性のない「メガネ」の取り扱いに後悔するかもしれない。
正直自分でも長々何を考えているのかよくわからないが、頼り過ぎたら狩りの腕が落ちるとは、ずっと思っていた。
ここらで弓と、弓を使う俺自身を鍛えておきたかった。
――近くにある物は、動く物なら感知できる。
たぶん気配を感じているんだとは思うが、これは狩人なら……いや、冒険者なら、持っていて不思議はない感覚的な技術である。俺も近くならなんとなくわかる。
だからこそ、この感覚があるのに、感知できない者がいるのが恐ろしいのだ。
知らない間に背後に立たれていたり、近くに忍び寄れる者がいるのが恐ろしいのだ。
たとえばリーヴァント家の人たちとか。この村の住人たちとかね。
“石蠍”から学んだのは、その感覚を広げ鋭くするもの。
更に言うと、弓を持った時、もっと感覚を研ぎ澄ます訓練。
いわゆる戦闘状態の時は、普段よりもっと感じられるようになる訓練だ。
感知は視認より速い。
ものにできれば、狙う速度も矢を射る速度も今より上がるだろう。
最初はまったくだったが……意外とできるものである。
近場しか感知できなかったのに、今では弓で狙うような距離さえ、おぼろげにわかるようになってきた。
ここからでは見えないが、森の中には、木にロープを結んだ的がぶら下げられている。“石蠍”が揺らした的を狙うのが訓練だった。
ただ、方向はまっすぐ前だけで、感じるまでに時間が掛かるのだが。
これではまだまだ実戦には使えない。
でもこれはいつでも訓練ができるから、とにかく努力あるのみだ。
すでに感覚は掴めている。あとはどんどん磨くだけである。
「――よし。では私の訓練はこれで終わりとする。あとは貴様だけで充分伸ばせるだろう」
俺は佇まいを正した。
「ありがとうございました」
師匠への礼と敬意は忘れない。大切なことである。
「――空蜥蜴」
…………
「愛しいアサンが欲しいと言っている。明日旅立つのだろう? 出発前に一匹狩ってこい」
……わかりましたー。
あの巨大猫……猫じゃなくて砂漠豹という魔物だが、あれは“石蠍”が飼っている魔物なんだそうだ。
名前はアサン。
古い砂漠の言葉で「白い月」という意味があるらしい。
ええ、はい、出会いから思い出話まで、たくさん聞かされましたよ。
自慢の彼女なんだそうですよ。
もうなんか、彼が語り出したら自分の目が徐々に死んでいくのに気づくくらい、もう散々聞かされましたよ。
猫の名前が出た時点で、俺からの返答はない。
下手に同意しても語られるし、反論しても語られる。
ただ頷くだけでも語られるのだから、もう、あれだ。黙っているのが一番いいのだ。
というわけで、黙って行ってくることにする。
まあ、俺も食べたいので、ついでで好都合ということにしておこう。