112.あの夜の話 1
「……はぁ~……」
アロロ・セバスリークの溜息は深い。
後悔、悔恨、自責、未練、慚愧等々。
いろんな言い方はあるが、漏れなくそれら全てが混ざった湿っぽい溜息である。
――空は青く、高い。
――昨日までいたあの街に続いている、空。
「……はぁ~……」
見上げるたびに溜息が出る。
「…………」
「…………」
「…………」
そして、そんなアロロを非常に冷めた目で見つめる三人の仲間。
――ハイディーガで黒皇狼討伐を果たした騎士たちが、ナスティアラより東にある隣国ベルギラート王国へ帰る道中のことであった。
それは、馬を休ませ、昼食の準備をしている最中のこと。
「――おい。いい加減アロロはどうにかならんのか」
さすがにそろそろ腹に据えかねてきたのか、傷のある顔を持つ男ルハインツ・ダッケダナンが、アロロ本人には聞こえないよう囁いた。
ルハインツ・ダッケダナンは、国境に構えた砦で隊長を務める男である。
そろそろ任期が終わり、王都ベルギラートへ戻る予定だったのだが、最後の最後で黒皇狼討伐の大仕事が回ってきたのだ。
一度は失敗し、隣国に黒皇狼を逃がしたものの、なんとか追跡して後始末を終えてきた。
なんらかの処分は下るかもしれないが、自分たちの失態を挽回できたこと、逃がした黒皇狼が人間を襲うことはなかったことに、充分満足している。いかなる処分も受け入れるつもりである。
街道から少しそれた林である。
旅人がよくキャンプをする焚火の跡を利用し、四人も休憩を取ろうとしていた。水場も近いし、ここら一帯には魔物も少ない。比較的安全な場所である。
ここを発てば夕方まで休憩はなしで、一泊する予定の街に着くまで強行することになる。
なので、しっかりと馬と身体を休ませねばならない。
……の、だが。
昨日の朝から、見ていると気が滅入るほど意気消沈している仲間が一人いた。
それがアロロである。
「久しぶりの恋でしたから」
と、アロロとは親友といっても過言ではない、ちょっとそこらではお目に掛かれないほどの美貌を持つセリアラが答える。
彼女が言うとどこか生々しい。
冗談で触れるのも躊躇われるほど、現ベルギラート王国第二王女にそっくりで、そっくりすぎて「絶対に王族の隠し子だろ」と噂される美貌を持つ彼女は、恋多き女性である。
それと謎も多い。
たとえば生まれ素性が知れないところとか。
本人は「忘れた」と冗談めかして言うが、これまで誰にも話していない以上、忘れているかどうか別として「本当に話せない」のかもしれない。
騎士になった腕は確かだが、その裏には実力とも誰かのコネがあるとも言われている。実際のところは本人しかわからない。
「あんな子供にか?」
「ベルギラートの冷血伯爵」と呼ばれるほど評判のよろしくないウィタン家の三男、ロヴァエ・ウィタンが問う。
庶民には冷血と言われる悪名高い家だが、貴族界隈にはそこまで言われるほど悪くないことがちゃんと知られている。
ロヴァエは、いずれ兄が継ぐであろう家の汚名を、少しでも雪ぐつもりで騎士になった。
だが、騎士になってすぐに、貴族社会ではそんなに評判が悪くなかったことを知り、おもいっきり拍子抜けした。
最近妻を娶り、もうすぐ父親になる予定である。
生まれてくる子供のためにも、機会がある時、名乗っていい時は、かならず家名を出して評判を上げるよう努めている。
豪快そうな大柄な見た目に反し、コツコツがんばるタイプである。
「あら。見た目は子供でも、彼はもう成人していたわ。だから少なくとも十五歳。アロロは十九歳。四歳差なら許容範囲ではなくて?」
それに関しては、男たちは何も言えない。
ルハインツもロヴァエも、四歳以上歳の差がある女性と結婚したから。
特にルハインツは五歳年上の、いわゆる「子供の頃に憧れたお姉さん」と縁があり、長い時間を一緒に過ごしてきた。
まあ、そうじゃなくても、女性の歳の話は下手に触れられないが。
昼食を取りつつ、溜息ばかりのアロロから距離をとって三人は話し込む。
「そもそも、あの夜は何があったんだ」
宿の一階にある食堂兼酒場……どちらかと言うとゆっくり静かに飲める酒場だったが。
外出していたロヴァエが帰ってきた時、すでに「あの少年」はできあがっていた。
「私が戻った時は、アロロがグロックを殴り倒していたが」
同じく外出していて、ロヴァエより遅れて戻ってきたルハインツが見たものは、何があったか同僚が人を殴り、馬乗りになって殴り続けているというショッキングな光景だった。
「どうせグロックがアロロの尻でも撫でたのだろう、しょうがない男だ」と軽く思っていたが、実際はまったく違ったらしい。
「どこから話せばいいのかしら……全てを話すには時間が足りないわ。
まず、ロビン殿が来た前後からかしら」
ロヴァエが来た前後。
問題の渦中にいた「あの少年」は、傍目には酔っているようには見えなかった。
まったくの素面に見えたのだ。
が、しかし、実は完全にできあがっていた。
そしてアロロは泣いていた。
泣き崩れるでも声を上げるでもなく、上げた顔からすーっと静かに涙を流し続けていた。
あとセリアラが、泣いているアロロを見て爆笑していた。
指をさして笑っていた。
親友同士だと思っていたが、実際は憎しみ合っているのではないかと思わせるような容赦のない爆笑ぶりだった。
同席していた顔見知りの優秀な冒険者は、明らかに逃げようとしていた。
実際に逃げなかったのは、「あの少年」を連れて逃げることを考えていたからだろう。一人ならなんとでもなっただろうから。
ロヴァエには、何があったのかさっぱりわからなかった。
だが、どう見ても、何かが起こっている異様な雰囲気がある。それだけはわかった。
風呂も入って、翌朝には出立するという予定も聞いていた。
今日は早めにゆっくり休んで明日の旅に備えよう――真面目にそう考えていたロヴァエは、同僚が誰かと酒を飲んでいるテーブルを横目に、さっさと部屋に戻ろうと思っていたのだが。
その異様な雰囲気を無視できず、顔を出してしまった。
あとから思えば、間違った選択ではなかったと思ったが。
――あの夜。
わたくしとアロロが食事をしている時、例の冒険者と少年が偶然酒場にやってきたことが発端になります。
多少の紆余曲折がありまして、わたくしたちも同席することになったのです。
「――グロックさんが選んでくれたものでいいです」
その席で、お酒を飲んだことがないという少年に、お酒を飲ませてみようという話になりました。
え? 誰が話をそこまで持っていったか?
誰がというか、場の雰囲気ですわね。
まあ、わたくしですが。
何か問題でも?
男性が女性を酔わせてどうにかこうにかするように、女性が男性を酔わせてどうにかこうにかしてもよいでしょう?
お酒が男性だけの特権だと思わないでほしいわ。恋愛に多少のお酒は潤滑油でしょ? お心当たりはあるのでしょう? ルハインツ殿もロビン殿も結婚前は意外と遊んでいると噂で――
ああ、話の続き? 問題がないなら続けますが?
続けますよ?




