109.メガネ君、知らない間に危機一髪!
「……」
意識が戻った。
深い眠りの世界に沈んでいた意識が、戻った。
まず感じたのは、違和感。
いくつもの違和感だ。
――あれ? 俺、裸?
俺も狩人の端くれ、いつ獲物が射程範囲に入ってもいいように、できるだけ備えているつもりだ。
獲物は動くし、逃げる。こちらの都合など考えない。
いついかなる時に、弓を取り狩場へ向かうことになるかわからない。
だから、いつその時が来てもいいように、休む時でも最低限の準備をしておくのだ。
そう教えられた俺が、裸で寝るなんてありえないのだが。
薄着にはなっても裸はない。
服は外気から身を守る以上に、防具でもあるのだから。
できるだけ丸腰ではいたくない。
なのに。
「……ん?」
裸も気になるが、ここはどこだ?
上半身を起こして周囲を見る。
広い部屋だ。
テーブルだの収納箱だのの調度品もあるし、なんなら絵やタペストリーといった文化的な壁飾りさえある。いい部屋だと思う。広いし。俺の泊まるところなんていつも狭いのに。
明らかに俺の部屋ではない。
俺の知っている場所ではない。
「…………」
どこだ。
ここはどこで、俺は何を――んっ?
聞こえる。
すぐ近くから、誰かの寝息が。
――このまま何も見ず、何も知らず、裸のまま外へ駆け出して一目散に逃げてしまいたい。そんな衝動が湧いてくる、が……
その選択は、きっと俺を含めて、誰も得をしないだろうと我慢する。
見なければならない。
現実を。
逃げずに。
そして冷静かつ冷徹に、対処しなければならない。
…………
よし。
覚悟を決めて、首を、横に、向けた。
そこには、俺と同じく、裸の人物がいた。
鮮やかに日焼けした肌の女性――ではなかった。
「……え? 誰?」
しかも、それは色白の女性でもなかった。
ましてやグロックなどという無精ヒゲのおっさんでもなかった。
大柄な青年だ。二十半ばくらいの。
グロックと同じくらい、あるいはそれ以上に鍛え上げた肉体に、やや前髪が長い鮮やかな金髪。寝ているので目は閉じているが、それでも精悍な顔立ちである。
……あれ? よく見たら、見たことある、かも……?
「――起きたか」
あ、青年の瞳が開いた。
綺麗な緑色で、やはりどこか精悍な顔立ちに似合う、誠実さや真面目さを感じさせる。
「すみません」
「ん?」
「昨晩何があったのかわかりませんが、俺はちゃんと女性が好きです。何があったかは確かめたくもないですし知りたくもないです。ごめんなさい、俺のことは忘れてください」
青年は冷静な顔を崩さず、まばたきもしないでしばしの間を置き、一つ頷いた。たぶん俺の発言の意味を考えていたのだろう。
「安心しなさい。私もちゃんと女性が好きで、なおかつ新婚だ。更に言うともうすぐ父親になる。
そういう世界があることも理解はしているが、生憎私には無縁だ。
――だいたい君、パンツは履いているだろう。私も下着は履いている。何もなかった証拠だよ」
あ、そう。……あ、確認したらパンツは履いてた。よかった。履いてた。履いててよかった。過ちはなかったんだ。
……いや。
よくわからない状況と知らない人の隣で寝ている時点で、すでに過ちではあるのか。とんでもない失態である。
「私に見覚えはないか? 初対面ではないのだが」
ん? んー?
……あ。
「もしかして、騎士の人?」
黒皇狼を追ってきた騎士は四人。
傷顔のおっさんと、色白と日焼けの女性二人。
それと、まったく接点がなかったもう一人の男。
つまり、この人だ。
「そうだ。あまり話す機会がなかったからな。憶えていなくても無理はないか」
はあ、すいません。憶えてなくて。
「昨夜のことは憶えているか?」
え? うーん……ああ、そういえば……
「昨日の夜、会ってますね?」
「その時も自己紹介はしたが、やはり酔っていたようだな。
私はロヴァエ・ウィタン。ロビンと呼ばれている。君もそう呼びたまえ」
と、ロヴァエことロビンも上半身を起こした。身体に掛かっていた毛布がはだけ、ガッチガチに鍛えたでこぼこの肉体があらわになる。一部の無駄もない見事な肉体だ。
グロックも負けないくらいいいガタイをしているけど、こっちはなんか、こう……洗練されているというか。
野性味のあるグロックとは違い、計算して作った無駄のない身体のように思える。
なんというか……品があるなぁ。
もしかしたら結構なお偉いさんかもしれない。
「セリアラとアロロが失礼した。だいぶ君に飲ませたようだ」
「完全に前後不覚になっていたぞ、服も脱いでいたし」と。ロビンは平然と聞きたくなかったことを言う。
「……いえ、自己責任ですから」
確かに、勧められるまま飲んだ。
飲んだ記憶は確かにある。なお、運がよいことに二日酔いみたいな気持ちの悪い症状はない。
だが、それは一杯目で気分がふわーっとして気が大きくなって「今なら姉でも勝てる!」と、なぜか思ってしまった自分にも落ち度があると思う。
そもそもなぜ姉に勝てると考えたのかもわからないし。アレには勝たなくていい、勝てなくていいんだ。ただの人間として並べていい対象ではないから。あれはもう本質はケダモノだから。
――そう、今思えば……俺は完全に、一杯目で酔ったのだろう。べろんべろんに。
考えたくないが、なってしまったのだろう。
決してなりたくないと思っていた、ダメな大人に。
「昨日はじめて飲みました。どうやら俺は相当弱いようです」
そして厄介なことに、酒は嫌いじゃない。嫌いじゃなかった。頭がふわーっとしてくるのだ。嫌なことや心配事を忘れられる。すべてから解放される気がする。
「初めてでアレか。……君、普段からストレスが溜まっているんじゃないか?」
うーん……そうかもしれない。
だが、今はそれはいい。
「……あの、記憶がだいぶ怪しいんですけど、俺は服脱いでました?」
「ああ。私は終盤で合流したが、君が下まで脱ごうとしはじめたのを皆で止めたよ」
なんてことだ。
なんてことだっ。
その辺はまったく記憶にないが、この人が嘘を吐く理由がまったくない。つまり本当のことだということだ。
「そのあとアロロが強く介抱したがるのを宥めて、私が君をこっそり部屋に連れてきた。そして今こうしている。状況は理解したかね?」
そうか……そうでしたか。
「危機を救ってくれてありがとうございました。ご迷惑をおかけしました」
「いや、私こそだ。同僚がすまなかった。謝っても謝り足りない」
ちなみに、俺がいなくなったことに気づいた日焼けが大暴れし、グロックが犠牲になったらしいと後から知ることになる。
日焼けに殴り倒されてマウントで殴られ続けて意識を失ったあと、傷顔のおっさんに介抱されて、俺とまったく同じ状況で朝を迎え。
男として大切なモノを失ったんじゃないかと、震えあがったそうだ。
だって、グロックが目を覚ました直後に、多くを語らないおっさんを筆頭に、騎士たちは宿を引き払ってハイディーガを去ったのだから。
最後の最後に濃い付き合いをしてしまった俺は、なんとなくロビンと一緒に朝食を食べ、去り行く彼らを見送るのだった。
「……」
「早く歩け」
未練がましく何度も振り返る日焼けを、傷顔のおっさんが何度もたしなめながら、彼らは行ってしまった。
…………
よし。昨日の失態のことは忘れよう。もう忘れる。忘れるんだ。




