104.メガネ君、もう帰る
急に怒り出した日焼けの女性と、大変居心地の悪い帰途に着いた。
黒皇狼の解体作業は続いている。
部分部分を袋などに詰め、この場から運び出していた。
その辺の冒険者たちから漏れ聞こえた話では、馬車をここまで呼ぶよりは、人力で麓まで運んだ方が早いらしい。
うん……一応ここは街道だけど、普段は危険すぎて利用者がまったくいないんだろう。
かつてはちゃんとした街道だった道を、覆うように緑が広がっている。
今では、かろうじて大きめの獣道があるかな、くらいのものである。
足元がよく見えない道を馬に無理させて進ませるよりは、楽に走れる場所で待機させて、そこまでは人力で運んだ方がいいと誰かが判断したのだろう。
まあ、たぶん騎士のおっさんが。
この狩猟は騎士たちの主導で行われているからね。帰りの指揮も執っているはずだ。
「――ルハインツ殿」
「――戻ったか。どうだった?」
詰めた袋ごとに番号を振り、中身の部位を簡単に書き記していた騎士のおっさんは、日焼けの女性の声に振り返った。
「……そうか。見つかったか」
日焼けは何も言わず、魔核を入れた袋の口を開けて中を覗かせる。それだけでおっさんには伝わった。
「獲物はすでに死んでいました。死因は、恐らくは出血多量です」
「そうか……そう、か……」
おっさんは、眉間にしわを寄せるほど強く目を閉じた。
「……まだ全て済んではいないが、一番大きな肩の荷が下りたな」
「はい」
何日も掛けて、隣国から黒皇狼を追いかけてきたという騎士たちは、かなり気を張って旅をしてきたのだろう。
俺が考えるよりはるかに、精神的にも肉体的にも厳しかったのかもしれない。
……まあ、終わってよかったね。
「じゃあ俺はこれで」
もう俺に用事なんてないだろうから、感慨深そうにしている騎士たちからさりげなく距離を……取りたかったんだけどなぁ。
「待て。君には礼をしてもし足りない。ぜひ――」
「いえ、さっきも言いましたけど、俺はただの荷物持ちなんで。お礼もクレームもロダにお願いします。クレームは特にロダにお願いします」
おっさんの言葉を遮ってそれだけ言うと、もう逃げるようにしてその場を離れた。
もう、今日は充分働いただろう。
こんなに人の多いところにいるのも嫌だし、視界に姉がちらちら入るのも気になるし、怒られたし、尻も撫でられたし、もういいだろう。
もう帰りたい。
というか、もう帰るっ。
おっさんは、俺を追いかけている暇はない。
冒険者たちの湧いた声が上がったので、仕切っているおっさんは早々に「二頭目が見つかった」と正式に発表したようだ。
冒険者たちからすれば、単純に報酬が増える話だからね。そりゃ喜ぶよね。……単純にもう一頭分の労働も増えるけど。
でも、今は魔物が非常に少ないので、作業自体もそこまで難しくはならないだろう。
「――ロダ。俺もう帰っていい?」
リッセに解体作業を見学させていたロダを見つけて問うと、ロダは即座に「いいぞ」と答えた。
なお、リッセの顔色が非常に悪いのは、結構グロい光景を見ているからだ。
見慣れない内は色々キツいよね。血とか内臓とか。すごくよくわかる。
元々俺は、集団での活動より単独行動の方が好きだ。
狩りだって少数、できれば一人でやりたい。
そんな俺には、二十人を超えるような人たちと一緒になって何かする、というのは、ちょっとなんかこう……落ち着かない。それに知らない人たちばかりだしね。
「え? 帰るの?」
顔色が青いリッセに問われ、俺は頷く。
「俺の仕事は終わったから」
あとは荷物持ちとして、適当に黒皇狼の部位を詰めた荷物を運べば充分だろう。
「先に帰るのは構わないぜ。だが、俺たちが帰るのもかなり早いと思うぞ」
あ、そうだね。
あれだけ大きな黒皇狼なのに、そろそろ解体が終わりそうだ。本当に、さすがは魔物退治のプロって感じだ。人数も多ければ手際もいい。
崖の下に二頭目もいるけど、この分だと確かに早いと思う。
「それでもあえて先に帰るか?」
……そう言われるとちょっと迷うけど、でも、そうだな。
「せっかくだし、ちょっと狩りでもしながら帰ることにするよ」
なんだかんだで久しぶりの狩場だ。
鍛えてはいたので弓の腕がなまっているってことはないけど、初心に返るつもりで小動物などを狩りたい。肉も食べたいし。
「メガネ」の特性に気づいてからは、そっち方面ばかりだったから。
今はただ、普通の狩人みたいなことをしておきたい。そんな気持ちがありますよ。
「そうか。……じゃあリッセ、君も一緒に帰りな」
「えっ、いいの?」
「えっ、一緒に?」
これ以上グロいのを見ていたくないのだろうリッセは嬉しそうだが、しかし対照的に俺は……
……なんか言ったら避けられない例の奴が飛んできそうなので、これ以上は何も言うまい。
ほら、余計なこと言ったら、また怒られるから。特に女性は理不尽に怒るから。もうわけがわからない生き物だから。
「あれ? エイルさん顔が微妙に嫌がってるけど? 私と一緒は嫌なのかな?」
残念。
口に出さずとも顔には出ていたようだ。
「仕方ないよ。日頃の行いが悪い人とは一緒にいられないからね」
「そっか。じゃあ私は大丈夫だね。一緒に帰ろっか」
ああ、そうですか。いいね。自分でそう言い切れる人生って。楽しそうで大変結構ですね。羨ましいなぁ。……言ったら絶対殴られるので言いませんけどね。
「このあと、報酬の分配だのなんだのの相談から、酒盛りに突入するだろうからな。抜け出すのに失敗したら夜まで動けなくなるぜ。
ま、ガキどもはとっとと帰れってこった。
この先はダメな大人しか見られないからな。大人に幻滅するには少しだけ早いぜ」
ダメな大人か。
もうすでに何人か見て幻滅している気がするけど、……ロダも含めて。
……このまま知らない人と一緒にいるよりはリッセの方がまだマシだし、とっとと帰るか。
黒皇狼の身体を詰めた荷物を背負い、麓まで移動している馬車まで運ぶ。
馬車は、今朝来る時に乗ってきたアレである。
三台ある馬車の中、一台はもう満載になっていた。でもがんばってもう少し積むらしい。馬、がんばって。まだあと一頭分あるからね。
ちなみに帰りは冒険者全員徒歩である。乗るスペースがないから。
黒皇狼は、まず、すべて冒険者ギルドに届けられてから、細かな査定と分配を始めるそうだ。
ロダが言っていた酒盛りは、分配の話し合いの最中から始まるのだろう。「まあまあ飲みながら話そうぜ」みたいな流れで。その流れからしてすでにダメだと思うけど。
まあ、ロダから個人的に報酬が出る俺には、あまり関係ない話だ。
そんなに期待もしてないしね。
俺とリッセは、道中少しだけ狩りをして、オロ雉を二羽ほど仕留めて帰った。
そして午後には、普通の訓練の日々に戻っていた。
夕方、地下訓練室から出た頃には、祭りでもやっているのかというくらいに街中が大騒ぎしていた。
誰もが知っている大物の魔物である、黒皇狼を仕留めた。
それも二頭も。
冒険者が多いハイディーガでも、黒皇狼の討伐に関わった者は少ない。
つまり、騒ぐには充分な事件である。
酒が飲みたいだけのダメな大人や、ただ騒ぎたいだけのダメな大人や、普通にダメな大人たちが、街中のいたるところで大声や嬌声や奇声あるいは悲鳴に号泣を上げると言う、なかなかひどい有様となっていた。
夜に向かうにつれて、更に喧騒は大きくなる。
だが、朝が早く訓練にも疲れていた俺は、外の騒ぎなど気にせず深い眠りに誘われるのだった。
――いっぱいに腹を満たした、鉄兜の舌の味を思い出しながら。




