102.メガネ君、二頭目の探索に乗り出す
まず、はっきりしていることがある。
この山に二頭目はいない、ということだ。
「体熱視」は物質を透過して「視る」ことができる。それで、さっき討伐した一頭目を見つけたのだ。
しかし、周囲にはいない。
発見した地点から山の中腹へとやってきていて、ここから「視て」も発見できない。
発見した地点より、全方位に広く「視て」も、それらしい光はない。
「この山にいることは間違いないんですか?」
「間違いない、……と、アレに出会うまでは思っていたが」
騎士のおっさんは、伏している黒皇狼を見る。
「今は、わからないとしか言えん。だから君に情報を開示した」
ああ、今俺にね。
「誇りと面子の問題で、必ず我々が仕留めなければならなかった。
だが今この時、完全に標的を見失った。
これより先は誇りだの面子だのの問題ではなく、武人としての責任と、被害を最小限にするために行動することになる」
責任……あ、そういうことか。
騎士は、多人数での陣形戦法が得意だと聞いている。
それも魔物を想定した戦闘ではなく、対人戦こそに重きを置いている、と。
長く平和が続いているのであまり実感はないが、国同士の争い……戦争を想定した訓練を積んでいるのだ。
だから、魔物相手となると、魔物討伐を専門としている冒険者よりやや劣る。
――つまり、今ここにいる四人では、黒皇狼を狩るには単純に戦力不足だったのだ。だから日焼けの女性が何度か危ない目に遭っている。
ここから先は、面子の問題ではなく責任問題。
それがどういうことか、と言うと。
「手負い、ですね?」
彼らが追ってきた黒皇狼は、この人数でも狩れる状態だということだ。
要するに、彼らはどこかで黒皇狼と戦ったものの、討伐に失敗し、黒皇狼を逃がしたのだ。だからそれを追ってきたわけだ。
人数が少ないのは、とにかく行動と移動の速度を重視したからだろう。
同行する人数が増えると、やはり動作は遅くなる。
黒皇狼を見失ったら大変だから。
そして、是が非でも狩猟の主導権は欲しいだろう。
騎士としての誇りに掛けて、自分たちの手で始末をつけたいだろうから。
だって、彼らのせいで、逃がした黒皇狼は今後人を襲う。
元々人を襲わない黒皇狼が、人を敵とみなすのは、はっきり人に害されたことがあるからだから。
「右足と右耳を落としてある。それらがないのが我々の追っている黒皇狼だ」
やっぱりか。
耳はともかく、足が一本ないとなれば、黒皇狼の動きはかなり鈍るだろう。だったらここにいる四人で充分討伐できると思う。
「目撃情報を追ってきた。
確実にこの付近にいると思っていた。
だが、蓋を開けてみれば、よもや違う個体と遭遇するとはな。偶然にしてもひどい巡り合わせだ。危うく仲間も失いかけた」
確かに、まさかって感じではあるよね。
騎士たちからすれば、手負いの黒皇狼を追ってきたはずなのに、元気ピンピンの知らない黒皇狼と遭遇したのだ。かなり焦ったんじゃなかろうか。
「予想通りであれば、狼煙を上げる前に我々で討伐したのだがな」
あ、そう。
やっぱり合図の狼煙を上げない方向で考えていたのか。……まあ、事情を知ってしまえば、気持ちはわかるけど。
「しかし、こうなれば我々の誇りだの面子だのより人命優先だ。
人を襲う前に、なんとしても二頭目を狩らねばならない。
だから身分を明かした。事情も話した。どうか我々に力を貸してほしい」
…………
どこの馬の骨とも知れない民間人の小僧に頼むその判断こそ、充分誇り高いと思うけどな。
誇りや面子より人命を優先するのも、すごく尊い判断だと思う。
おもいっきり簡単に言うと、彼らは自分たちの失敗の尻拭いに来ているわけだから。
そりゃ自分たちで片づけたいよね。
でもそれが叶わないと悟り、助力を求めている。
「話はわかりました。ちょっと失礼しますね」
「……? 何かあるのか?」
「俺は今、ロダの荷物持ちとしてここにいるので。あの人の許可がないと俺は動けませんから」
事情も気持ちもわかってしまった以上、すでに手伝いたいとは思っている。
誇り高いその判断に、俺も真摯に応えたい。
それに、騎士たちの事情を差し引いても、この案件はさすがに無視できない。
もう一頭、黒皇狼がいる。
それも、これから人を襲うだろう手負いの黒皇狼が。
黒皇狼の行動範囲は広い。
最悪、俺のアルバト村まで流れていくこともありえるのだ。
禍根は断っておきたい。
災いの芽があるなら、摘んでおかないと。
少し離れたところにいる、リッセと並んで全体の様子を見ているロダの下へ向かう。
騎士のおっさんと話している間に、ぼちぼち冒険者たちが集まってきている。
そのままでは大きすぎて運べないので、黒皇狼の解体が始まっていた。さすが魔物退治の本職、かなり手際がいい。この分なら撤収も早いかもしれない。
……おっと、そうだ。
向かう方向を急転回して、黒皇狼の頭へと足を向ける。
死に顔は、穏やかだ。
口の周りには大小いくつもの裂傷があり、生きるために戦った証が強く残っている。
黒皇狼の頭……横倒しになっている両目の間、眉間の辺りに触れる。
固い毛だ。
生きていた時に持っていた熱がまだ残っている。
「――おい坊主、何して……ああ、なんでもねえ」
解体に当たっている冒険者の一人が俺の行動を注意しようとして、やめた。
――命に対する敬意と、感謝の祈り。
俺は師匠に教えてもらった。
奪った命の全てに感謝しろ、と。
略式になることもあるが、欠かしたことはない。
冒険者の中にもやる人がいるというので、俺がやっていることもわかったのだろう。
祈りを済ませ、改めてロダの方へ向かう。
「――おう。話は終わったか?」
はい、終わりましたよ。
「すごい怒られた」
グロック、怖かったなぁ。……さすが姉を連れて統率が取れる人だ。なんだかこう、強いよね。意志というか、意識が。
「怒られるのは仕方ないだろう。俺だって驚いたしな。グロックが怒っていなければ俺が怒っている」
まあ、俺も驚いたけど。やった本人も驚いたけど。
「あれ何なの? ボインとかなんとか」
あ、なんかリッセの視線が冷たい。
もしかしたら軽蔑の目で見られているかもしれない。
彼女にそんな目で見られるのはひどく心外だが、しかしこれだけは言っておきたい。
「リッセ」
「は? 何?」
「俺はボインと言う方が恥ずかしいと思っている」
「は?」
「俺はおっぱいって言う」
「……」
「俺は、はっきりと、おっぱいって言う」
「……なんかよくわかんないけど、わかったよ。だから二度も言うなよ……」
「おっぱい」
「なんで三回言ったの? ていうか三回目なんで略したの? あとなんでずっと真顔なの?」
よし、これだけ念を押しておけば大丈夫だろう。果たして念を押すべき主張だったのかどうかは自分でも疑問だが。
「いいよな、おっぱい」
ロダ。悪いけどそこに同意は求めてない。
「男って……あんたらなんなのよ。もう」
リッセはかなり深い溜息をつくが、それに関しては俺も言いたいことがある。
「女もなんなんだよ。俺さっき思いっきり尻撫でられたんだけど」
「あ、やっぱり? 見てたよ。完全に撫で回されてたよね。あんなに無遠慮に触ってる人と触られてる人見たの初めて」
見られていたのか。俺が触られていた様子を。痴女にもてあそばれていたあの屈辱の時を。
「なんで触られてたの? エイルがなんかしたの?」
「仲間を助けてくれたお礼って言ってた」
「お礼って何? そんなの…………あ、あー……うーん……………………お尻撫でられる男が有り余ってそうなあの美貌が言うと、説得力が段違いだわね……」
うん……そこがまた微妙なんだよね。あの色白の女性、かなりアレだから。
嘘だと指摘できないというか、本心がわからないというか。
でも俺の尻にあえて触りたくなるほどの価値があるとも思えないし。男の尻なんて撫でて何が楽しいのかわからないし。
「正直すごく羨ましい。俺も撫でられたい」
…………うん、どうやらロダはもうお疲れのようだ。今日はもうダメみたいなので、さっさとこっちの話をしてしまおう。
「ロダ、ちょっといい?」
「――どう? 嬉しい?」
「――やめろよリッセ。俺のケツはデリケートなんだ、触るならもっとこう大胆だけど繊細に優しくだな……あ? どうしたエイル?」
楽しく戯れているところすいませんね。こっちの用事はすぐ終わらせるからね。
ロダから「好きにしていい」と許可を貰ったので、再び騎士のおっさんの元に戻った。
「やるだけのことはやってみます。ただ、見つけられるかどうか保障はできませんけど」
少し考えなくてはならない。
二頭目の黒皇狼がどこにいるのか。
そして、どうすれば探し出すことができるのか。
わかっている材料で、もっと掘り下げた探索の方針を定めたい。