100.メガネ君、黒皇狼の討伐を見届ける
姉の動きは、昔から知っているものとあまり変わらない。
型も技もない。
ただ敵を倒すことを目指して効率的に……いや、率直に「本能のまま」に戦う。
優れているのは直感と、それに伴う反射神経。
動作の全てが速いのだ。
状況を介せず、思考を巡らせる時間を飛ばしている分だけ、異常に速い。それは昔からあまり変わっていないように思う。
だが、会わなかった二年で、すっかり武器の使い方は学んだようだ。
そして、魔物との戦い方も。
「――おっさん、『叩き込んだ』!」
黒皇狼が暴れる前に、ホルンは退避していた。
喉を貫いたダガーを残したままで。
刃渡りからして、あれで致命傷を狙うのは無理だったのだろう。
「叩き込んだ」。
恐らく「闇狩り」の魔物特攻の力のことだ。
魔物は、身体に持つ魔核という石から、肉体を強化する力を得ている。
わかりやすく言うと、「常時肉体強化の素養」がある。
刃が通らなかったり矢が刺さらなかったりするのも、この「肉体強化」があるからだ。
それを無効化するのが、ホルンやリッセが持つ「闇狩り」という「素養」だ。
俺も一応リッセの「闇狩りの剣」を登録はしてあるし、今改めてホルンの持つ「闇狩りの戦士」を登録して、「闇狩り」がダブッてしまったわけだけど。
「闇狩りの力を込めたダガーを残した」のも、黒皇狼の「肉体強化を無効」するためだ。
これで、全員の攻撃がもっと効くようになるはず。
それにしても、「闇狩り」はあんな使い方もできるのか。
そして、姉があんな使い方をするなんて。
仲間に頼るようになったんだなぁ。
危険であれば危険であるほど、ことさら自分だけでやりたがる奴だったのになぁ。
「――ルハインツ! 今から狼を転ばせる! てめえらは喉を狙え! 俺は心臓を狙う!」
「――承知した!」
グロックの言葉に傷顔のおっさんが返事をし――
「アイン! 左前足!」
更なる指示が飛んだ瞬間、声に重なるような速さで、戦場を鋭い一矢が駆け抜けた。
俺と同じように、森に潜んで狙いを付けていたのだろうアインリーセが放ったものだろう。
すごいな。どこにいるかまったくわからない。大した隠密技術だ。
彼女は狩人っぽくはなかったけど、狩人に近い技術を持っているのかもしれない。
ドォォォン!!
矢は、グロックの注文通り左前足に当たった。
だが、それは矢の当たった音ではなかった。
更に言うと、矢では空気が震えるような衝撃や砂埃が舞うような風は、起こらない。
強烈な衝突音がして、四肢を張る黒皇狼の左前脚が、右前足に交差するように大きく横に払われた。
俺は咄嗟に「体熱視」で、矢が飛んできた場所を見た。――アインリーセらしき赤い光が見える。場所は動いていない。次の矢を番えようとしている。
――「視え」た。
「素養・最大衝撃」。
確か、攻撃に衝撃を上乗せする魔法の一種だ。
……そうか、弓と相性がいい「素養」か。だからアインリーセも弓を得物に選んだのか。
そして、ホルンの「闇狩り」とも相性がいい。
「闇狩り」が効いている時は弓矢が効くし、弓矢が効けば――
「グゥゥゥゥ!?」
「最大衝撃」がなんの抵抗もなく通用する。
黒皇狼の身体すら倒すくらいの攻撃が、可能となるのだから。
ここまでに騎士たちが溜めていた足へのダメージが、ホルンとアインリーセの一押しで決壊したのだろう。
黒皇狼は前足を払われ、左肩から地面に倒れた。
すぐに立ち上がろうとするが、足へのダメージのせいか、それとも矢の衝撃が残っているせいか、左前足に力が入らないようだ。
ここには、無防備にもがく黒皇狼を見逃す者はいない。
「――うおおおおおおおおお!!」
走る騎士のおっさんが裂帛の声を上げ、間合いを詰めると高らかに大剣を振り上げる。
足、ふくらはぎ、腿。
腹筋、背筋、肩。
首、目、腸にさえも力が満ちているのがわかる。
そして、込められた力で肥大する両腕の肉。
力が入っていない場所がないというほどの力を込めて、黒皇狼の喉を目掛けて全身全霊で刃を振り下ろした。
同じく。
「――おらぁぁぁぁあああああ!!」
短槍を持ったグロックが、渾身の力を込めて黒皇狼の胴体――心臓を狙って突進した。
こちらは力ではなく技だ。
見た目では、普通の突きにしか見えなかったが……しかし動く獲物の心臓を寸分違わず一突きできるなら、大した技術だと思う。
そっけなく、そしてさらりと見える技というのは、それだけ練度が高いということだ。
磨き抜いた技の集大成が、シンプルな一突きに集約されているのだろう。
ほかの人たちもなんやかんや仕掛けているが、決定打はあの二人のどちらかだったと思う。あるいはどちらも、かもしれない。
こうして、黒皇狼の討伐は終わったのだった。
「……ふう」
ほっと息を吐いた。
俺は最前線にはいなかったけど、狙われたら瞬殺される立ち位置にいた。なんとか無事に終わって安心した。
それに、人死にが出なかったのも嬉しい。
犠牲が出るとやっぱり素直に喜べないからね。
狩りにいくらか貢献できたなら、俺から言うことはない。
見ていただろうリッセもだが、俺も充分いい経験をさせてもらった。
これで再びどこかで黒皇狼と遭遇しても、多少は冷静に対応できるだろう。勝てるかどうかは別として。
それに使えそうな「素養」も増えた。
特にアインリーセの「最大衝撃」は、俺の欲しかった火力である。これが登録できただけでも、参加した価値があったと思う。
よし、じゃあ降り――
「援護射撃!! 早く出てこい!!」
…………
騎士のおっさんが、援護射撃をしていた誰かを呼んでいる。
それに、見るからに怒り心頭のグロックが横に並んでいる。
…………
「うん」
俺は大きく頷いた。
よし、俺の仕事は終わりだ。俺の戦いは終わったのだ。
謝っても許してもらえないなら、もう謝る理由はない。一応黒皇狼を探すのにも、狩りにも貢献したし、もうそれで、ね。それだけでいいと思いますよね。ここで俺が怒られたところで誰も得しないし、そもそも俺はすでに反省していて後悔もしているわけですから。怒られたところで結論は変わらないですし。ね。いいよね。
「――呼ばれているようだが?」
…………
「いつからいた?」
「割と早い段階だよ。ホルンがヘイヘイ言い出した時かな」
……ほんとに。本当にすごいな、黒皇狼を狩れる冒険者ってのは。本当に人間なのか。野生動物より静かで気配もないなんてどういうことなんだ。
「お久しぶりです。ロロベルさん」
「そうだな、少年。元気そうで何よりだ」
そう言えば、「黒鳥」と一緒にもう一人、王都から来ていたんだったね。特徴的な髪形の女性が。
そして、かなり長いこと、背後を取られていたと。一緒に木の枝に乗っていたと。
「もしかしてロロベルさんも……あ、なんでもない」
――もしかしてロロベルさんも暗殺者関係?
思わず聞こうとしてしまったが、もし違ったらロダの口封じが待っている。こんなところで大して審議を確かめる必要がない博打は打ちたくない。
「もしもの時を考えて、君の護衛のつもりで近くにいたんだがな。杞憂で済んでよかったよ」
ああ、それはそれは。お世話になりました。役に立つ立たないって問題じゃなくて、結局出番がないのが一番いいポジションだもんね。
「話はハイディーガに戻ってからにしようね。じゃあ俺はこれで」
「呼ばれているが? 行かないのか?」
…………
あれ?
「……もしかして逃がす気がないですか?」
「そうだな」
がしっ、と、肩を掴まれた。
「――君はちゃんと叱られておくべきだと思うからな。心当たりはあるだろう?」
「え、なんのことですか? ちょっとよくわかんないですけど」
「ボインとか。おっさんは悲しい生き物じゃないとか。二人と付き合いたいとか。
もう一度聞くが、心当たりはあるよな?」
…………
……あ、そうですか……