第85話「空想科学」
「今日も、新しい朝がやってまいりました。希望と喜びの一日を、送りましょう」
「中之島くん、お早う」
「お早う、部長さん」
「せ、中之島先輩」
「お早う、樟葉。――気ぃつけろや、ライ」
「お早うっす、先輩。――すんません」
「お早う、樟葉くん。それは何?」
「これっすか? 漫画っすよ。だいぶ前に、ドラマか映画になった奴っす」
「オーエルが、朝起きたら、上司と入れ替わってたって話やんね?」
「そうっすよ。中之島先輩が、おおっぴらに家で漫画が読めるようになってらしいんで、色々と貸してるんっす。はい、先輩」
「おおきに、樟葉。前の分を返すわ、ほら」
「面白かったっすか、こっち?」
「落ちが、今ひとつやな」
「これは、読んだことあらへんわ。どんな話なん?」
「読んでみるっすか? あ、でも、上巻がないっすね」
「無くても、ええんと違うかな。ざっと、説明するとやね、この、表紙に書かれてるのが、主人公。ほんで、このサラリーマンが、ある日に街中で、自分とそっくりな人間を見かけるねん」
「ドッペルゲンガーやね」
「そうっす。主人公は、こっそり、そいつの後を追うんすけど、そこで、自分が住んでるのんと、ほとんど同じようなマンションに、そいつが入っていくのを突き止めるんっす」
「そのあと、何やかんやで、何とか、そいつのマンションに侵入することに成功するんやけど、おっと。これ以上は、言われへんわ」
「主人公のドッペルゲンガーの正体が、そこで明らかになるんやね?」
「そうなんっすよ。あとは、読んでみてのお楽しみっす」
「でも、あの落ちはなぁ」
「腑に落ちへんのん?」
「俺は、あれでええんと違うかって、思うんすけどね」
「よぅ、考えてみぃ。もしも、自分が主人公と同じ立場やったら、納得するか?」
「まぁ、納得しないっすね」
「不条理ものなの?」
「そんなところや」
「時に理不尽なのも、リアリティがあってええんっすけどね」
「その辺も、読んでみて判断させてもらうわ。じゃあ、借りるわね」
「どうぞ、どうぞ」
「これの前に、樟葉に借りた漫画のほうが、面白かったんやけどなぁ」
「何て漫画なん?」
「マイナーなんで、タイトルを言うても、ピンと来ないと思うっす」
「内容は、大きく、二本立てになっとって、一つは、過去の自分と入れ替わる話で」
「もう一つが、未来の自分と入れ替わる話っす。二つが、お互いに連関し合うて、複雑になっていくんっす」
「へぇ」
「口で説明するより、実際に読んだほうが早いやろうって。百聞は、一見にしかずや」
「そうっすね。明日にでも、持って来るっす」
「急がなくても、ええのに」
「早いうちに、約束しといたほうがええんやで、部長さん。樟葉は、三歩も歩いたら、歩く前のことを覚えてへんのやから」
「いくらなんでも、それは無いっすよ、先輩」
「どうやろうな。今日、会うてすぐかって、前の約束を忘れかけとったやないか」
「約束って、何なん、樟葉くん?」
「それは、言えないんっす。とにかく、明日、持って来るっす」
「それじゃあ、明日、お願いね」
「忘れるなや」
「了解っす。任せてください」