第80話「迂回して」
「うわぁ、雨か。ついてない。あ、タクシー」
『日経平均株価、前の日の終値は、一万六千飛んで九十六円三十四銭。トピックスは……』
「どちらまで?」
「光町一丁目」
「はいよ。近くまで来たら、お知らせします。すんませんが、タバコは、ご遠慮願います」
「分かったよ。……時化た車だな」
「ご協力、おおきに」
『交通情報をお伝えします。県道七百十七号線、東行き、南町、東町間で一キロ、西行き、港町、浜町間で三キロ、同じく、橘町、光町間で二キロの渋滞となっています……』
「やっぱり、この時間は、混むんやなぁ。仕方ない。こっちにするか」
「おい。光町だって、言ってるだろうが」
「どうしても、と言わはるんやったら、このまま県道で上がりますがね。経験から言わせてもらえれば、三十分は一寸擦りですよ?」
「確かなのか、それ?」
「下道を通った先で、県道にすいすい車が流れてたら、運賃を勉強してもええですよ。爪を噛んだり、足を踏み鳴らしたりする時間は、短いほうがええんと違います?」
「そこまで言うなら、下道にしろ。あと、個人タクシーの、しょぼくれた運転手に、指摘される筋合いはない」
「さいざんすか。……職に貴賎も無かろうに」
『大相撲本場所。五月場所は、明日、両国国技館で、初日を迎えます……』
「五月の連休が明けたら、五月場所か。今度は、誰が綱を取るんやろう。ねぇ、お客さん」
「あいにくだが、相撲には興味はなくてな。野球にもだ」
「それは、また、ストイックなことで。少し、身の上話でもしましょうかね。私には、高校生の娘と、中学生の息子がありましてね……」
『お前さんのところの蒟蒻は、これっぽっちだって見せやがるから、こんなに大きいと言ってやったんだ。それで、十でいくらだと抜かすから、五百だって突き出したら、三百に負けろって……』
「それで、娘を殴ったほうの子供が、突き指しましてな。ハッハッハ。おっと。お客さん。見ての通りですよ。遠回りをして正解だったと、思いませんかね?」
「ふん。一回なら、まぐれかもしれないだろうが。雨も上がったし。ここで降りる」
「そうすると、二千四百と……」
「五千円で足りるな? 釣りはいらない。あと、この名刺を、貰っていく」
「これは、おおきに。ご贔屓に、どうぞ」
『偉い評論家も言っていたが、テレビは、白痴の元だ。ニュース以外は、見ることを禁ずる』
「はい」
『漫画は、悪書だ。読んではいけない。ましてや、漫画を描くなど、もってのほかだ』
「はい」
『一番になれない男は、中之島家に必要ないぞ、浩』
「はい、お父様」
「内田」
「何でしょうか、旦那様」
「南方という女子生徒について、何か知っているか? 正の高校に通っているそうなのだが」
「存じております。正坊ちゃんの、倶楽部の先輩でございます」
「そうか。正の先輩か。よし、正を呼べ」
「はい。ただいま」
「お呼びですか?」
「そこに座れ。正。お前は、日本で二番目に高い山を知ってるか?」
「北岳です。標高は、三千百九十三メートル」
「では、日本で二番目に大きな湖は?」
「霞ヶ浦です。面積は、百六十八平方キロメートル」
「日本で、二番目に長い川は?」
「利根川です。長さは、三百二十二キロメートル」
「クッ。ハッハッハ」
「父上?」
「これでは、話が先に進まない。傑作だ」
「申し訳ありません」
「かつて、自分が父親にされて嫌だったことを、息子に繰り返して、息子がその時にどう思うか聞こうと思ったが、これは、駄目だ。もう良い。お前も、高校生だ。好きなことを、好きなだけやれ。何も言わない」
「本当に、良いんですか? 漫画を読んだり、コーラを飲んだりしても」
「どうせ、隠れてやっていたんだろう?」
「うっ、それは」
「隠さなくて良い。咎め立てはしない」
「そのぅ、友人宅で、何度か」
「その中に、南方家は入るか?」
「大変、申し上げにくいのですが」
「入るんだな?」
「はい」
「夜中に叩き起こして、悪かったな。もう、下がってよろしい」
「おやすみなさい、父上」
「……お前は、俺と同じ轍を踏むなよ、正」




