第78話「水面下で」
「だんだん、暑うなってきたね、冬彦さん」
「そうだね、華梨那さん」
「ポロシャツを着てる子も、ちらほらと居るね」
「本当。気が早いね」
「でも、行きしなと帰りしなは、まだ肌寒いから、上着は手放されへん」
「そうだね。日中は、晴れると暑いけどね」
「ねぇ。この夏、一緒に海に行かへん?」
「海かぁ」
「乗り気やないねぇ」
「そんなことないよ。良いよ。行こう」
「やった。じゃあ、決まりやね」
「泳げへんくせに、海に行くって言うたんか。何でまた、そんな安請け合いを」
「だって、落ち込ませたくないじゃないか」
「合理性を重視する、いつもの冬彦らしくないセリフやな。まぁ、ええわ。それで、俺は何をすればええんや?」
「水泳を習ってたんでしょう? 泳ぎを教えてよ」
「小学生の時の話やぞ、それ。西園寺に聞いたんやな?」
「誰から聞いたか、なんて、今はそんなこと、関係ないじゃないか」
「教えてもええけどな。冬彦にとっては、しんどい思いをするやろうなってことが、目に見えてるからなぁ」
「そこを、何とか。経験者は、東野くんだけなんだ」
「大した経験やないけどな。まぁ、泳がれへんまま大人になるよりは、ここで、克服したほうが、ええのんかもしれんな」
「引き受けてくれるんだね?」
「あぁ。そのかわり、それなりに覚悟をしとけよ」
「もちろんだよ」
「連休で、子供連れのファミリー層で混雑する、市営総合運動場のプールに、やって参りました」
「何で、副長くんまで?」
「一人では、手に負えへんかもしれへんなぁと思うてな。応援を要請したんや」
「さぁ、泳いで、泳いで、泳ぎまくりましょう」
「人選ミスじゃないかい?」
「そんなことは、あらへん。まずは、水に身体を慣らすところからや。一メートルぐらいの深さまで、歩いて行こう。俺が、右腕を持っておくから、中之島は、左腕を持ってな」
「了解ですよ、会長。さぁさぁ、ずんずんと行きましょう」
「待って。いきなりだよ」
「ええから、俺たち二人を信頼して、歩いてみぃ?」
「そうですよ、会計さん。ここは、海のない埼玉やないんですよ? 泳げなくて、どうします」
「埼玉県民を、何だと思ってるのさ」
「金槌の集まりと違うんか? いやなら、ここで止めてもええんやで?」
「ここで止めたら、格好悪いですよ、会計さん」
「僕個人としての問題を、埼玉県民としての問題にされては、たまらないからね。誤解を解かないと」
「よし。その調子で行こう」
「大丈夫か、冬彦?」
「しっかりしてくださいよ、会計さん」
「けほっ、ごほっ。何とか」
「問題は、息継ぎやな」
「会計さん、沈みやすい体型ですからね」
「まだ、一人で泳ぐのは、無理だよ」
「休憩時間が終わったら、一段階前に戻って、やり直そうか」
「諦めずに、再チャレンジですよ、会計さん」
「そうだね。頑張ろう」
「よし。鐘が鳴ったから、再開するで。ここで逃げたら、一生、逃げ続けなあかんからな」
「心配しなくても、今度は、うまくいきますよ、会計さん」
「ここまで来たからには、クリアしないとね」