第72話「感染」
「インフルエンザが治ったと思うたら、花粉症で。やっと、そのアレルギーが治まったと思うたら、今度は、寒暖差で風邪を引いたんか。忙しない奴やなぁ」
「日中の陽の力を欺く、月夜の陰の力に油断するとはな」
「南方も、困った奴や。今月の半ばから、服装移行期に入ったから、気ぃ付きそうなものやのに。おっ。そろそろ沸騰してきたな。うどん玉を、湯がいていこうか」
「笊のまま、鍋に入れるのか?」
「このほうが、吹き零れにくいし、すぐにお湯を切れるからな」
「大根の蜂蜜漬けしかり、熱冷ましにキャベツを使うところしかり。そういう豆知識を、一体全体どこで入手するのか、非常に気になるのだが」
「親が共働きやったら、共感できると思うんやけど、小さい頃に、じっちゃんばっちゃんに預けられることが多くてな」
「ばあちゃんの知恵袋、という訳か」
「そういうことや。これからは、男の子でも、一人で身の回りのことができなあかんって言われてな。おおかた、じっちゃんが、家事を何の一つも、満足にできへんひとやったからやろうけどな。俺が、小学校の低学年の時に、亡くなってもうたから、青衣は覚えてないらしいんやけど」
「歳の差を考えれば、まだ、物心がついていなかったのであろう。無理もない」
「その頃には、もう、自分の名前を言えたり、一人で着替えたり、歯を磨いたりできたと思うんやけどなぁ。ノートに、よぅクレヨンで落書きされたりしたし。さて。そろそろ、火を止めようか」
「それでは、湯切りを」
「待った。こっちの蛇口から、水を流しておかへんかったら、流し台が、べこんってなる」
「ごちそうさん」
「食欲は、あるみたいやな。でも、熱はまだ、八度を下回らへんなぁ」
「食い意地が張っていることだな」
「他人を、食いしん坊扱いするんやない。ごっほ、ごほ。うぅい」
「咳も、止まらへんし。もう少し、快復まで時間が必要やな」
「さながら、泥酔した中年サラリーマンではないか」
「誰が、おっさんや。朱雀」
「南方。そう、かっかするんやない。治りが遅うなるで?」
「こちらは、一生寝込んでいてくれたほうが、危害が及ばずに済むので、大歓迎だがな」
「治ったら、覚えときや。ゲッホン」
「本調子やないんやから、もう、喋るな。今は、挑発に乗ってる場合と違う」
「そうだ。それ以上、菌をばらまかれては、敵わないからな」
「朱雀くんも、大概にせなあかんで」
「お早う、秋ちゃん」
「お早う、夏海ちゃん。もう、具合はええのん?」
「すっかり、元気になったわ。あ、副長や」
「これは、これは。書記さんと、我らが記者倶楽部隊長ではありませんか。もう、お加減はよろしいので?」
「おかげさんで」
「お早う、みんな。もう、風邪は治ったのかい、南方さん」
「もう、大丈夫やで。熱も、下がったし」
「そっか。そうそう、西園寺さん。文書庫の鍵は、持ってる?」
「あれは、今、春樹くんが持っとるはずよ。うちも、定例会用に、見ておきたい資料があるから、使いたいんやけどね」
「朝のバスで、会うてはらへんのですか、書記さん?」
「それが、会うてへんのんよ」
「中之島くん」
「その声は、出屋敷先生」
「もうすぐ、ホームルームやで」
「もう、そんな時間でしたか。それでは、先輩。のちほど、お目に掛かりましょう」
「またな、副長。春樹、まだ、来てへんのやろうか?」
「二組にも居ないとなると、その可能性が高いね。僕も、朝から見掛けてないんだ。あっ、野田先生」
「ん、どうした。呼んだか、北条?」
「えぇ。東野くんが、まだ来ていないのですが、先生のほうに、何か連絡はありませんでしたか?」
「あぁ、東野くんなら、体調不良で休むそうや」
「そうですか。それだけです。それじゃあ、僕は、この辺で」
「うちも、三組に戻るわね」
「また、あとで」
「ほんなら、二組のホームルームを始めるで。席に着きや」