第66話「七八九」
「今度の模試では、大学名や学部学科を、試験前に記入することになるんやったよな、南方」
「短大や専門学校なら、コースを書かなあかんのよね、春樹」
「少し、無理かもしれないと思うレベルの進路、本命か、それに近いレベルの進路、ワンランク下の進路の三つを書けって、イノシシは言うとったな」
「少し、無理かもしれないって、例えば、トーダイの医学部とか、キョーダイの法学部とかになるんかな?」
「確実に、イー判定やな。少しどころか、よくよくのことが無い限り、受からへんやろうな」
「合格率、二割以下」
「進路の変更を、お勧めいたします。そんなこと、いちいち言われんでも、分かりきっとる」
「抜き打ち、生徒会室チェックよ」
「あ、バブル姫や」
「あら、赤本を並べてるのね。進路の話かしら? 先生にも、聞かせてちょうだい」
「点検せんで、ええんですか?」
「形だけのものだから、適当で良いのよ」
「ええ加減やなぁ」
「朝から晩まで張り詰めてたら、ふっつり切れちゃうじゃない。適度に手を抜くのが、ポイントよ。それで、二人は、どこを目指してるの?」
「俺は、文系二類なので、公立大学の法学部に進めればええかなって。公務員になれたらええやろうと思うてて」
「あたしは、文系一類やから、短大の英米科に進もうかなって。ツアーガイドになれたらええなって考えてて」
「私立は受けないの、東野くん?」
「私学を受けると、我が家のプライマリーバランスが赤字になるのが、目に見えとるんで。妹のことも考えなあかんし」
「南方さんが短大なのも、弟くんのためなの?」
「やっぱり、四大は厳しいかなって」
「先生は、何で、英語科教員になろうと思うたんです?」
「本当はね、通訳か、外交官になって、世界を股にかけて活躍したかったのよ。でもね、病弱な兄を残して、日本を離れたくなかったから、国内に留まることにしたの」
「自分の夢と、家族との時間を天秤に掛けて、後者を選んだわけですか」
「そういうこと。すごく悩んだんだけど、自分の意志で選んだことだから、後悔はしてないわ。弟や妹のためを思うのは、すごく立派なことだと思うんだけど、自分を誤魔化す妥協案として、それを利用してはいけないわ。もしも、今の進路から予想される未来図が、なりたい自分を思い描いた時に浮かぶそれとかけ離れているのなら、きっと、後悔するわ。本当にやりたいことなら、教員は全力で応援するから、よく考えてみることね」
「でも、現実を見ないと」
「そりゃあ、貯金もないのに、今すぐ世界一周したいとか、身体一つで、空を自由に飛びたいとかは、土台無理な話よ。そうじゃなくて、こうするしかないと一つに絞り込まずに、一度は捨てた選択肢が、本当に実現不可能かどうか、視点を変えたり、視野を広げて見つめ直すことも、時には大事だってことよ。あら、ごめんなさい。歳を重ねると、説教臭くなってしまうから嫌ね。早い話が、もっと気楽に捉えたらってことよ。それじゃあ、お邪魔さま」
「……適当に見えて」
「案外、色々と考えてはったんやね。あっ、バインダー」
「肝心なものを忘れとる。感心するのは、早合点やったな」




