第62話「上辺だけ」
「南方」
「何、春樹?」
「この前、市営総合運動場に行った時に、朱雀くんのハンカチを、青衣が持って帰ってしもうたらしくってな。アイロンまでは、掛けてへんのやけど」
「青衣ちゃんが持っとったんや。洗濯物の中にあらへんかったから、どこかで無くしたんやろうなぁと思うとってん。おおきに」
「礼を言うんは、こっちや。おおきに、どうも。ところで、南方」
「何か質問?」
「あぁ。南方家では、持ち物に、名字しか書かへんのか? 青衣の話を聞くまで、どっちのハンカチか、分からへんかったんやけど」
「ペイズリーは、朱雀のなんよ。東野家では、違うのん?」
「俺の家は、フルネームで書くことが多いんやけど、普通は、そうと違うか?」
「南方って、滅多に居らへんから、名字だけ書いとったら、間違いないんよ。それに、こうしておいたら、あたしから朱雀に引き継ぐ時に、書き換えへんくて済むんよ」
「なるほどな。青衣に引き継ぐ時は、上からシールを貼ったり、布を当てたりしてるからなぁ」
「手間なんと違う、それ?」
「面倒やけど、同じ名字の人間に、取り違えられでもしたら、嫌やからなぁ」
「よくある名字やと、そういう時に不便やね。珍しい名字やと、それはそれで、不便な時もあるんやけどね」
「たとえば、どんな時なんや?」
「判子を買いに行っても、たいてい、棚に置いてへんから、別に注文せなあかんねん」
「それは、たしかに面倒臭いな。判子の発祥の国、中国では、サイン社会になってるっていうのに。いったい日本は、いつまで、判子を使い続ける気なんやろうな?」
「お役人さんや、議員の先生たちが、紙の書類でスタンプラリーをしているうちは、続くんやろうねぇ」
「サインでは、信用できへんって言う割には、勤め終わりに入ったお店で、サインして支払いするんやろう? 知らんけど」
「よぅ、そういう話は聞くわ。火の無いところに、何チャラかんチャラで」
「あながち、作り話でもないんやろうなぁ」
「この世のすべてを知る男、中之島正です。遅れて、誠に申し訳ございません」
「やっと来たな、中之島」
「どれだけ待ったと思うてるんよ。そもそも、副長が持ち込んだ話やないの」
「遅刻に際しては、すべて、中之島正の軽率な行動に起因しています。深く反省し、この通り、陳謝いたします。今回の不祥事を教訓と致しまして、今後は、再発防止に、一層の努力を注ぐ所存であります。この度は、慙愧に堪えない行為に及びましたことを、お許し下さい」
「マスコミ向けの、謝罪会見みたいやね」
「あるいは、読み直すほどに理解が遠のく、役所文書か。向後の具体案が出ないあたりが、そっくりやな」