第60話「月下氷人」
「坂道、きつくないかい、鳳さん」
「これくらいは平気ですよ、北条さん。この一年、バスのロータリーから赤レンガまでの急坂を、歩いて上ってたんですから」
「そう。でも、無理だったら、いつでも言ってね」
「都心から、ずいぶん遠くまで来ましたね」
「埼玉だからね」
「この黄色いお花、何て名前でしたっけ?」
「フリージアだよ。花言葉は、あどけなさ、純潔、慈愛、親愛の情だよ。菊や樒だと、お盆に来る親戚と被るから、春と秋の彼岸は、季節の花を持っていくことにしてるんだ。あ、ここだよ」
「西園寺いわく、冬彦は、墓参りに行ったそうや」
「春休みやから、居ると思うたんやけどなぁ」
「アポイントメントを取るべきでしたね、隊長」
「冬彦が、こっちに来る前に住んでたところって、埼玉やったよな、南方」
「そうそう。どのへんやったかなぁ。初めて聞いた時、お餅を連想したんやけど」
「中之島ヒント。オーストラリア」
「さっぱり、手掛かりが掴めへんなぁ。たしか、山菜の名前にあったんやけど」
「さっきの話ですけど、北条さんは、好きな人は居らんのですか?」
「気になる人は居るよ」
「誰ですか?」
「機が熟したら、告白するつもりだよ。それまでは、内緒」
「二年生ですか?」
「それは、どうかな」
「機が熟したらって、いつになるか、分かりませんよ? 早いこと、言うてしまったほうが、ええんと違いますか?」
「大学に合格したら、ずっと前から好きだったって言うよ。それで、良いんだ」
「北条さんの、臆病者。卑怯ですよ。目の前のことから、逃げてるだけやないですか」
「そこまで言われると、心外だな」
「結果がどうなるか、なんて気にせんと、素直になればええのんや。あっ、その、わたし」
「君の気持ちは、よく分かったよ」
「待って、北条さん」
「何も言わないで、じっとして。一度しか言わないから、よく聞いてね。……入学式の受付で、一目見た時から、ずっと気になっていました。付き合ってください」
「華梨那ちゃんと、北条くん。うまくいってたら、ええんやけど」
「秋。ちょっと、こっちに来て。手伝ってちょうだい」
「はい、彪子伯母さん」




