第43話「時間です」
「悪いな、急に」
「良いのよ。今日は、お父ちゃんもお母ちゃんも、帰りが遅いから」
「わーい。夏海お姉ちゃんのお家だ」
「こら、走るんやない」
「おっと。これは、このあいだの青衣殿ではないか」
「あ、朱雀。あんたも帰ってたんや。お風呂は沸いてる?」
「今しがた、沸かしたところだ。しばし、待たれよ」
「朱雀お兄ちゃん、この前はチョコ、おおきに」
「これはこれは。ご丁寧に。そして、こちらからも、感謝の意を」
「下らない小芝居を打たんと、早う上に行って、宿題を済ましや」
「言われずとも、自室に直行するわ。臨兵闘者皆陣列在前」
「印を切るな。あたしは物の怪か。そうや、冷蔵庫に頂き物のゼリーがあるんやった。取ってくるわ」
「ゼリー」
「お前は、ここで待っとけ。あんまり人様の家の冷蔵庫を、見るもんやない」
「はい、どうぞ」
「オレンジだ。いただきます」
「いただきます。あれ? これ、底の裏に何か書いてあるなぁ。六芒星にエスか?」
「あ、そっちやったんか。朱雀のサインやねん、それ。取り替えるわ」
「どこの家でも、他人に食べられたくない冷蔵庫の食べ物には、必ず名前を書くんやね、お兄ちゃん」
「書くのは、お前だけやけどな」
「はい、春樹。給湯器が壊れたんやって?」
「壊れてはないんやけど、ガス会社の人が、設備の定期点検に来てな。給湯器の取替えが必要なことが判明したんや。まだ二・三日は、工事が必要らしい」
「昨日は、お母ちゃんと二人で、秋お姉ちゃんの家に行ったんよ」
「へぇ。よかったね、青衣ちゃん」
「俺は、銭湯に行ったんや。浴槽は広うても、夕方は混雑してるから、ゆっくり出来へんもんやな」
「取替えが必要って。そんなに古い給湯器やったん?」
「浴槽のすぐ横に据え置かれてて、排気管が窓から外へ、穴を開けた金属板に管を通し突き出てるタイプでな。一応、隙間は樹脂で埋めてあるんやけど、窓の建て付けが悪うなってるから、隙間風が入る代物なんや。おまけに、カランの床は玉砂利が埋め込まれたコンクリートやからな」
「お湯に浸かるまで、寒いんよ」
「古民家再生とか、和モダンとか言うて、和風建築がこのごろの流行してるけど」
「真冬の純日本家屋に住んでから言うてみぃって話や」
「お兄ちゃん、あれは?」
「あれって?」
「あぁ、忘れるところやった。いかなごの炊いたんを持ってきたんや。お湯をいただくお礼にな」
「気ぃ使わんでええのに。おおきに。もう、そんな季節やね」
「コープさんに、くぎ煮セットが並んでるもんね」
「専用の宅配サービスと一緒にな」
「各々がた、湯船の水分子の動きが、人間の体温に程近い温もりをもたらしたぞ。水温は、華氏百四度を超えておる」
「お風呂が沸いたんやね。どっちが先に入る?」
「俺はあとで良いから、青衣を先に」
「そう。じゃあ悪いけど、朱雀と一緒に入ってな。ほんなら、一緒に入ろっか、青衣ちゃん」
「はい、夏海お姉ちゃん」
「フッ。無邪気なものだ」
「まだ、小学生やからな」
「これから、血潮が凍るような思いするとも、知らずにな」
「何の話や?」
「きゃあ」
「朱雀。脱衣場の扉のすりガラスに、内側からゴム手袋を貼りつけるんやない」