第49話「エピソード記憶」
「昨日、九月一日は、一斉避難訓練やったな」
「何で、始業式の日にするのんやろう?」
「別に、始業式に合わせてるんと違う。大正十二年の同じ日に、関東大震災があったからや」
「一月十七日と一緒やね」
「そうやな。どっちにしても、俺らの生まれる前やけどな」
「天災は、忘れた頃に、やってくるっていうもんね」
「人災と違って、天災は怒りや哀しみのやり場がないのが、一番辛いところやな。直接、被害に遭うたことなくてもや。新潟とか、福島とか、熊本とか。あちこちで地震は起きとることから分かるやろうけど、いつ、地震が起きてもおかしくないんや」
「せやから、こうして非常持ち出し袋を点検してるんやね?」
「そういうことや。よし。点検終わり」
「古いほうの保存食は、どないするのん?」
「パンと水は。明日の朝食やな」
「乾パンと氷砂糖は?」
「乾パンは、今日のおやつやな。氷砂糖は、白砂糖の代わりにするか」
「了解。ほんなら、早う支度して行こう」
「十一時か。早めに行って、席を確保せんとな」
「久し振りやったね、回転寿司」
「ここは全皿百円やから、安心して食べられたな」
「せやけど、レーンにお寿司が回ってへんかったんは、がっかりやわぁ」
「注文したら直行で来るのは、有り難いことやけどな」
「流れとっても、山葵抜きでないと食べられへんけどねぇ」
「玉子や穴子は大丈夫やけど、イカは、とても食べられへんもんな」
「お兄ちゃんも、あんな刺激が強いもん、よぅ食べるわ」
「俺も小さい頃は、サビ抜きやないとあかんかったからな。あがりは、熱過ぎたな」
「猫舌やなくても、すぐには飲まれへんやろうね」
「もう少し、利用者目線で考えて欲しいところやな。……ミドリハシ。欄干に仮名書きする時には、バシと書かずに、ハシと書くんやけど、何でか知っとるか?」
「それ、理由があるのん?」
「橋の欄干に清音の仮名書きするのは、架ける川が濁らないようにっていう縁起を担いでるんや」
「へぇ。こっちは、何て書いてあるのん?」
「慶応元年……、それより下は読まれへんな。慶応が何年続いたかは知らんけど、明治の少し前に架けられたみたいやな」
「今が平成で、その前が昭和やんね。その前が明治?」
「ちゃうちゃう。昭和の前は大正や。ん? 待てよ。来る前に家で話してた時、大正年間のことを言うたけど、正しく理解できてなかったんか、青衣?」
「へへへ。あっ、河童や」
「笑うて誤魔化すな。あと、河童は想像上の生き物や」
「信じへん人には、見えへんよ。それに、相撲好きで、皿が乾くと干からびてしまうって言うやない」
「深いところまで行くと、尻小玉を抜かれるとか、どんな病気も治る妙薬を持っているとかな。でも、それは、水遊びの注意喚起の教訓や、病苦から逃れたいという願望を反映したものなんや。現実には居らへん」
「つまらへんなぁ、お兄ちゃんは」
「悪かったな、現実主義で。民話の大半は、細切れに何度も注意したり、直球の表現をするより、一つの物語に譬えたほうが、記憶の中に残りやすいという、昔の知恵の結晶や。今みたいに、記憶媒体が無かったからな」
「大きな出来事は、忘れへんようにせんとね」




