第45話「厨房に入る男子」
「レパートリーを増やそうと思うて、冬彦くんからレシピ・カードを借りたところまでは、ええのんやけど」
「今ひとつ、分かりにくいな、南方」
「これは、料理のプロフェッショナルにしか解らぬよう、呪文が鏤められているのではないか?」
「これでは、埒が明かへんね、朱雀さん」
「こうなったら、玄介さんと黒江さんに、直接教わるしかなさそうやね」
「そうやなぁ。今日は、冬彦が居らんからなぁ」
「それしか、残された道はあるまい。迷うことはない」
「お願いしてみよう。頼みかたひとつや」
「ほんなら、実習の前に、講義から始めるわな」
「よろしゅう頼みます、玄介さん」
「よろしく頼む」
「まず、水の量やけど、ひたひたが、材料が見え隠れする程度。かぶるくらいは、材料が丁度、顔を出さない程度。たっぷりは、材料がすっかり浸かる程度なんや。メモは、追い着いてるか?」
「早かったら止めますから、続けてください」
「我輩の速記術の前に、書き漏らしはない」
「続けるわな。分量についてやけど、塩は、ひとつまみが、三つ指で抓んだ量。お焼香と同じやな。少々やったら、二つ指で抓んだ量。不吉やから、お焼香では絶対やったらあかんで。次に、米の分量やけど」
「米一合が百八十シー・シーで、百五十グラム。炊くと、三百三十から三百四十ぐらむになるんですよね?」
「一膳は、百五十ぐらむだったな」
「これは、知ってたんやな。次は、調味料について。さしすせそが何を指してるかは、さすがに知ってるやろうから、砂糖と塩の性質の違いだけ、おさらいしておくわな。砂糖は、材料を柔らかくして、味が染み込み易くする性質を持ってるんやけど、塩は、その反対に、材料に素早く染み込んで、材料を固くして味が染み込まないようにする性質があるんや。同時に入れたら、塩のほうが先に効果を発揮してまうから、必ず、砂糖から入れるようにな」
「あまりにも当たり前過ぎると、レシピには書いていないからなぁ」
「砂糖は、どんな種類でも同じなのだろうか?」
「ええ着眼点やね。砂糖にも種類があるんや。白砂糖、三温糖、きび砂糖、黒砂糖は、サトウキビから作られて、精製の違いでしかないんやけど、甜菜糖は、砂糖大根から作られるから、今の四つの代用にはお勧めせぇへん」
「砂糖なら、どれも同じという訳ではないのんか」
「盲点だったな」
「最近は、あらかじめ合わせた状態の調味料が、スーパーやコンビニに所狭しと並んどるけど、合わせ酢にも色々あるんや。酢と醤油を半々で合わせたのんが、二杯酢。酢に、醤油か塩、砂糖か味醂を合わせると、三杯酢。酢に、醤油と柑橘類を合わせたら、ポン酢。この場合の柑橘類は、酢橘、柚子、かぼす、橙あたりが定番やな。他にも、卵の黄身、砂糖、塩、酢、だし汁を湯煎で攪拌してつくる黄身酢ってのもある」
「売り物を、いくつも買うて揃えるより、自分で作ったほうが経済やな」
「流しの下や、冷蔵庫のドア・ポケットを、徒に占拠せずに済みそうだ」




