ドナー隊の遭難
らのまが 2016年 5・6月号 掲載作品
※残酷な描写注意
ある男の汚れた日記
十月二十二日
寒くてたまらない。楽な仕事だと聞いていたのに、なんでこんな目に合っているのか。洞窟で山越えをさせるはずだった十人ばかりの女子供と肩を寄せ合って縮こまりながら救助を待っている。何もしないでいると、あらゆる問題が襲いかかってきて、気が狂いそうになる。その為にたまたま子供が持っていた筆記用具を取り上げて、この日記を書いてきた。
今まではできるだけ楽観的なことを日記に書くようにしてきた。現実を直視し、絶望することに飽き飽きしていたからだ。だから今日は比較的、吹雪が収まっている、故郷が懐かしいなどできるだけ現実から逃避したことを書いてきた。
だが心の中から湧き出てくる不安がどうしようもないのだ。今思うと山越えの日程自体がおかしかったのだ。夏が終わるまでに山を越えなければ、極寒の雪山に閉じ込められ、下山することがほぼ不可能になる。だから七月には出発し、九月の初めには山を越えなければならない。それなのに今回の山越えは八月に出発して十月の中ごろに山を越える日程だったんだ。
もちろん俺は疑問に思った。当然この仕事を紹介した奴に聞いたさ、こんな日程で大丈夫なのかって。そうしたら山越えをさせる人数が少ないやら、いい道具を支給するとか、理由をべらべら喋りやがった。冷静に考えればすぐわかるんだろうが、前払いのまとまった報酬がもらえることに完璧に注意を持ってかれていた。自分が情けないね、金に目がくらんでこんなギリギリな生活を強いられるとは。
実際もう持ってきた食料には、ほとんど手を付けてしまった。荷物の運搬に使っていた馬も十頭いることはいるが、痩せてきた馬だけで、この冬を乗り越えられるのかはわからなかった。節約するしかない。
救助隊が来て助けてくれるか、物資を持ってくることを祈ることしかできない。
十一月二十四日
くそったれめ!
何が救助隊だ。来たことはいいが、たった四人で少しの食料を持ってこられても意味がないんだ。むしろ食い扶持が増えるだけ悪影響だ。
何が救助だ! 状況は悪化しているだけじゃないか。
死にたくねぇよぉ……
十一月二十九日
時間が経って大分落ち着いた。悪い事ばかり言っていても仕方ないもんな。実を言うとは救いも少しくらいはあったんだ。俺は数週間前からなぜか咳が止まらなかったのだが、救助隊は薬などの医療品は多くの種類を持ってきていた。これがあれば、このくそったれな咳とおさばら出来る。
もう一つはなかなか優秀なリーダーが救助隊の中にいた。名前はルイス・ケスバーグと言っていたか、テキパキと状況の改善をしてくれて、とても助かっている。火おこしなどの面倒臭い作業もすぐにやってくれるんだ。話してもいいやつでな、こっちを元気づけようとしてくれる。聞いてもないことまで喋ってくるのがたまに傷だがな。
男の日記はここで途絶えている。
ルイスの日記
十二月五日
男が死んでしまった……
私が到着した時から咳をずっとしていたが、まさか死んでしまうとは思っていなかった。風邪ではなく肺炎だったのだろうが悲しい。そんなに話したわけでもないのに、心に穴が開いたようだ。
雪が多く積もっているから、土に埋めることはできない。雪に埋めるだけしかできないが、簡易的な墓をつくってやろう。
他にも体力の限界がきている子供も何人かいる。体力を少しでも持たせないと、もっと被害がでてしまう。食料の配分を真剣に考えなければまずい。
一人でも無事に家に送り届ける使命が私にはあるんだ。
一月一五日
もう吹雪が収まってきてもおかしくないはずだ。十二月頃には幾分収まり下山が出来るのが普通だが、一向にやむ気配がない。むしろ強くなってきている感じさえする。
体力がなくなってきている女子供たちに、元気をつけさせようと大目に食料を配分したのは間違いだったか……。
もう食料はない。私たちが乗ってきた馬も全部たべてしまった。みんなの限界はとうに過ぎている。このままでは死を待つのみ、二回目の救助隊がくるのを待つしかない。
一月二十八日
つらい……つらい 帰りたい
テントに使われていた皮を茹でて、柔らかくしたものをしゃぶって飢えを凌いでいるが、もう無理だ。
なにか食べたい食べたい食べたい食べたい
二月二日
うまかったなぁ、こんなにうまいものは食ったことがない。なんというか脂の旨みが凄いんだよ。焼いてもうまいし、シチューのように煮ても絶品だ。こんなに身近に食料があったなんてなんで気付かなかったのだろう。
まだまだ肉は残っているから楽しみだ。次はどうやって食べようか。
二月二八日
食料が大分減ってきたが、まぁ大丈夫だろう。もう少し経てば、自分で下山もできる可能性が増えるし、救助隊も来るだろう。もう女一人と子供が四人、男は二人しか生きていないが、なんとかなるさ。
三月五日
救助隊が無事やってきた。今さら来られてもなぁ、来るならもっと早くに来てほしかったのだが、まぁ嬉しいことは嬉しいな。自分で下山する手間が省ける。
救助隊は生き残っていた人たちを連れて行こうとしたが、一人の子供が熱を出していて、このまま無理に下山させると死んでしまうかもしれない。母親も病気な子供を一人おいていくのが嫌なようで子供と一緒に山に残りたいと救助隊に申し出た。そこで救助隊は俺と子供一人と母親を残し、もう一度救助が来るまでに子供の体調を整え、下山する体力をつけるように言って、それまでの食料と薬をたくさん置いて行ってくれた。母親はヒステリックに叫んでいたが、俺がいるということで安心してくださいと救助隊に諭され、救助隊は引き揚げた。
別に要らないんだがなぁ、他のものを食う気にならないし。
三月二八日
救助隊が再びやってきた。母親と子供はどこにいると尋ねられたが、こう言ってやったよ。
「そこにある鍋の中にいるよ」