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祭囃子の丘

らのまが 2015年 5・6月号 掲載作品

 遠くから祭囃子が聞こえる。

 外はもう日が落ちて薄暗くなっている。ねっとりと熱い空気の中、わずかに歩を早める。あまりのんびりしていると、ツキミとの約束の時間に遅れてしまう。

 祭囃子が大きくなるにつれて、同じ方向に向かう人が増えてくる。それもそのはず、この暑い夜にわざわざ外出する奴らなど、せいぜい夏祭りを楽しもうという気骨あるものくらいなものだ。

 人の流れからふと外れて、ツキミとの待ち合わせ場所へ向かう。というかツキミの家に向かっているという方が正しい。

 ツキミ――舞鶴月見とは幼いころからの付き合いで、小学校六年間同じクラスだった、いわゆる腐れ縁というやつだ。そのためある意味、他の異性とは少し違う関係となっている。友達以上恋人未満というと少し違う気もする。仲のいい双子のきょうだいといえばちょっと近いかもしれない。

 ひたすら頭をひねりながら歩いていると、ツキミの家の前にたどり着いた。ためらうことなく呼び鈴を鳴らす。ピンポーンというありきたりな呼び鈴の音の後、家の奥からパタパタと足音が聞こえてきた。ドアが開くと、そこには赤い浴衣を着た少女――ツキミが立っていた。

「こんばんわ、レン。ちょうど私も着付け終わったところだよ」

 月見は無邪気な笑顔でそう言うと下駄をカラコロと言わせながら僕のいる門まで来た。普段おろしている髪は結い上げられており、頭の後ろに小さくまとめられている。赤い浴衣には丸っこくて白い花の模様があしらってある。普段見慣れない様子のツキミを見ると、なぜか言葉が出なくなった。

「レン、甚平似合ってるよ」

 ツキミがはにかみながらそう言った。何というか、照れる。


***


「お、おう。お前も……似合ってんじゃねーの」

 私が精一杯の勇気を振り絞って褒めると、レンはちょっと照れながらそう返してくれた。その言葉はさっきまで私の着付けを手伝ってくれていたお母さんの「似合ってるわよ、かわいいわね!」という言葉よりもずっと心に残る。私はあんまりにやけないよう平静を装いながら、レンと一緒に歩き出した。レンは私があまり早く歩けないと分かっているのか、いつもより少しゆっくりと横を歩いてくれている。やっぱり気遣ってくれているのだろうか。

 レン――鷹見蓮とは小さいころからいつも一緒にいた。小学校六年間同じクラスだったし、中学に入って違うクラスになっても気軽に話せる数少ない異性だ。友達からは「あんたたち付き合ってんの?」などと言われるけど、私はまだそこまで踏み出せてない。何度も、何度も踏み出そうとしているけど、なかなか進めない。

 私がこうしていろいろ考え込んで無口になっていても、レンは文句ひとつ言わず、一緒にいてくれる。やっぱりレンは本当に優しい。

 ゆっくり歩いていたのに、いつのまにか夏祭りの屋台が見えるところまで辿り着いた。少し遠くには盆踊り会場が見えており、上半身裸のおじさんがどんどんと和太鼓を叩いているのが見える。和太鼓は祭囃子の音頭を町中に轟かせていた。

「なあ、なんか食べないか? ちょっと腹減ってさ」

 レンが素っ気ない口調でそう言ってくる。ふと見ると、周りの食べ物の屋台に目が釘付けになっている。毎年のことだが、レンは祭りの間ずっと何かを食べ続けている。

「仕方ないなあ。何から食べる?」

「たこ焼き、たこ焼き食べようぜ! そのあと焼きそばで、次は焼きトウモロコシな!」

「そんなに慌てないの。じゃあ、いこっか」

 食べ物に興味津々なレンについて屋台へと向かった。


***


 ヤバイヤバイ。

 何故かいつも通りにツキミと気軽に話せない。格好がいつもと違うからだろうか? とりあえず気まずさを、屋台に食べに行くという名目でごまかしたが、まだ心臓がドキドキしていて面と向かって話すことができない。なぜかぼんやりする頭のまま、熱々のたこ焼きを口に放り込む。

「アチッアチッ」

「もう、レンがっつきすぎだよ」

 ぼんやりしていたら口の中をやけどしてしまった。ツキミは微笑みながらたこ焼きを頬張り、さっきまでの俺と同じようにハフハフと熱そうにしている。

「やれやれ、熱々なのはいいんだがなかなか食べづらいな。先に焼きそばでも食うか」

 俺はそう言って焼きそばに手を伸ばした。

「あーずるいー。私も食べるー」

 ツキミは俺よりも先に割り箸を割って焼きそばをつっつき始めた。俺は割り箸を二膳用意した屋台のおっちゃんを恨めしく思いながら、満足そうなツキミの姿を見られて少し嬉しくなった。

「うーん。焼きそばおいしい」

「ツキミ、青のりついてんぞ」

「え!? 嘘!」

「嘘」

「もおー! レンったらー」

 頬を膨らませて怒るツキミの姿もまたいとおしく思える。今日は俺自身おかしくなってしまったのだろうか。胸にこみあがる気持ちを抑えつつ、次の屋台に向かう。

「よし、次は焼きとうもろこしだ」

「あ、ちょっと待って。……はい、あーん」

 ツキミは先程食べかけていた、少し冷めているたこ焼きを俺の前に差し出した。

「……あ、あーん」

 恥ずかしいと思いつつ、ツキミにすすめられるがまま口を開く。ツキミは器用に俺の口に、ほどよく冷めたたこ焼きを放り込んだ。

「うふふ」

「な、なんだよ」

「なんでもなーい」

 ツキミは嬉しそうに笑い、最後に一つ残ったたこ焼きを美味しそうに食べた。

「それじゃあ次の屋台、行こっか!」

「おう」

 くるりと踵を返して先を歩くツキミの後ろ姿がどこか艶かしく見える。いったい俺はどうしたんだろうか? 首を捻っていると、笑顔のツキミが俺の手を引いた。

 ツキミは何故か屋台ではなく神社の方に向かっていた。

「おいおい、ツキミどこ行くんだよ。屋台はあっちだぜ?」

「いいからいいから~。ちょっと来て!」

 ツキミは下駄をカラコロ言わせながら、スキップでもするかのような軽い足取りで俺の前を進む。

 屋台が途切れるあたりにある横道に入り、丘の上に続いている無駄に高い階段を昇っていく。さすがのツキミも階段では足取りが重くなった。

「ううっ、ハア、ハア」

「無理しやがって……。ほら、つかまれ」

「うー。レンありがとー」

 俺はツキミの手を引いてゆっくりと階段を昇る。二人とも息があがり、じっとりと汗をかいていた。

「とう、ちゃーく!」

「おー。着いたな」

 階段を昇りきり、鳥居をくぐった。

 肩で息をするツキミを傍目に、俺は神社の境内を眺めた。明かりのない境内は、空に浮かぶ上弦の月と零れんばかりの星の明かりに照らされて、薄ぼんやりと影を浮かべていた。神社をとり囲むような鎮守の森は、わずかに吹く少し湿気た風を受けてサワサワと葉擦れの音を立てていた。

「で、ここになんか用があったのか?」

 ようやく回復したツキミに言葉をかける。

「うん、もうすぐだよ」

 ツキミは昇ってきた階段の方に向き直り、空を見上げた。つられるように俺もそちらに向き直る。

 空には溢れんばかりの星が浮かんでいる。視線を下げると遠くに見える住宅街の明かりと、眼下に浮かぶ屋台の明かりが眩しい。

 次の瞬間、ドーンという爆発音とともに色とりどりの光の華が空に咲いた。屋台のある道に沿うように流れる川辺から、花火が上がった。

 ドーン、ドーン、ドーン。

 連続していくつもの光の華が空に咲き、薄暗い境内に原色の光が瞬く。

「知ってたのか?」

「え? 何が」

 花火の大音響に負けないよう、自然と声が大きくなる。

「花火、今年やるって」

「単純な推理よ!」

 ツキミはこれが言いたかったといわんばかりのどや顔をした。いったいいつ目星をつけたのやら。

 ふと横を見ると、ツキミはキラキラと瞳を輝かせて花火に見入っている。花火よりも無邪気な微笑みが眩しくて視線を前に戻した。


 打ち上げ花火は、ほんの五分ほどで終わってしまった。あたりには火薬が弾けたあとに残る焦げ臭さだけが残り、再び境内に静寂が戻った。

「はー。なんだか意外に早く終わっちゃったねー」

「ちょっと物足りない感じはするな」

「レンの事だから、どっちかって言うと『食べ足りない』じゃないの?」

「まあ、それもあるかな」

 俺はツキミと軽口を叩きながら、モヤモヤした気持ちを打ち明けようかと俊巡していた。今日は何故かずっとツキミのことが気になる。

「なあ、ツキミ」

「なあに? レン?」

「実はさ、今日――」

 そこまで言ったところでレンは異変に気づいて口をつぐんだ。

 静かすぎる。花火が終わってから風一つ吹いていない。それでいて、漂う臭いが火薬の臭いから腐臭に変わっている。先程まで空に浮かんでいたはずの月や星は見えず、ただただ黒いだけの空が広がっていた。

 ツキミも異変に気づいたのか、おもむろに立ち上がった。

 その時、ツキミが背後から何者かに捕まれるのが視界の端に映った。

「ツキミ!」

「い、いやあああ!」

 振り返ると、幼児ほどの身長の黒い影がいくつもおり、ツキミを神社の方に引きずっていた。

「いったい、何なんだよ⁉」

 俺は黒い影からツキミを引き離そうとしたが、思いの外黒い影は力が強くツキミに近づくことすらままならない。

「レン、レンー!」

 ツキミは悲痛な叫びをあげながら境内の奥にある、古びた神社の中に飲み込まれた。

 その瞬間、先程までの異様な光景はかききえて、再び静寂が戻った。風が吹き、周囲の森がサワサワと葉擦れの音をたてる。

「ツキミ!」

 俺はツキミが飲み込まれた神社の扉を開けた。

「う、嘘だろ? ツキミ……」

 そこにツキミは、いなかった。


***


「う、ううん」

 全身に鈍く走る痛みで私は目が覚めた。半身を起こして辺りを見回す。簡素な祭壇、天井近くの神棚、硝子のはめ込まれた障子の扉、入り口の近くに置かれた古い賽銭箱。どうやら私は神社の中に居るようだ。

「……」

 とりあえず自分の身に何が起きたのかを今一度考えてみる。

 階段の上でレンと話していて、背後に気配を感じて立ち上がりつつ振り返ると、真っ黒な影のようなものに体を掴まれて引きずり回され、気づいたら神社の中にいた。言葉にするのは簡単だが、だからどうということもない。

「レン……」

 そうだ、レンはどうしているだろう。レンは無事なのだろうか。私が引きずり回されているとき、私の名前を呼んでいたと思う。とりあえずここから出てレンを探さなければ。

 そう思い立って硝子のはめ込まれた障子の扉に手をかけた。

 ガタリ。

 開かない。

 いくら力を込めても全く扉は動かない。最初は片手で、次は両手で、最終的にはぐーで殴ってみた。

「な、なんでぇ?」

 少し手を痛めることになったが、それでも扉はガッチリと閉ざされたままだった。

「無駄だよ」

 声変わりする前の少年のような声がした。振り返ると扉のそばに置かれた賽銭箱の上に、銀髪の少年が座っていた。

「ひゃぁぁぁ!」

 驚いて思わず大声を上げてしまった。距離をとるように後退り、何かに足を引っ掻けて転んでしまった。

「まさかここまで驚かれるとはなぁ……逆に傷つくなー」

「あ、あなたはいったい何なの?」

 私は足をもつれさせたまま半身を起こし、唐突に現れた少年に問いを投げかけた。

「明確な名前がある訳じゃないかな。だが敢えて言うとすれば、君たちが言うところの神様ってやつじゃないかな」

「それは、どういう――」

「どういうことかさっぱりわからないって顔かな? それは」

「……なんでわかったの?」

「神様だからさ」

「説明になってないよう……」

 思わず頭を抱えそうになりながら自称神様をまじまじと見つめた。薄暗い神社の中でも輝いて見える銀色の短い髪と、同じ色の瞳。小学生と言っても通じそうな華奢な体躯。変声期を迎える前の少年のような声。紺色の甚平。

「そんなにじろじろ見られてもな」

「あ、ゴメン」

 少年――もとい神様は居心地が悪そうにもじもじとした。思わず見入っていたのがバレてしまった。

「この格好が珍しいのかな? そうは言ってもこの造形は君たちヒトが思い描いたものなんだけどね」

「?」

「僕は君たちヒトが込めた祈りや願いによって生まれた。この見た目だって、君が思い描いたからこそできた代物なのさ」

 どうやら懇切丁寧に教えてくれているようだが、私にはサッパリ意味がわからない。

「……キミ、分かってないだろ」

「なんで分かったの⁉」

「それは神様じゃなくてもわかるかな……」

 神様はあきれた様子で首を振った。しかしすぐに顔をあげてニヤリと笑った。悪戯を思いついた子供のような、無邪気な悪意を感じた。

「そんなことよりさ、僕と遊んでよ。生まれてこのかたずっと一人でいるから寂しくてたまらない。君が癒してくれると嬉しいのだけど」

 少年の顔には相変わらず悪意に満ちた笑顔が貼りついており、とても不気味だ。わずかに悪寒がする。

「どうしたの? 僕の言うことが聞けないのかな?」

 少年が少し声のトーンを落とした。すると、私の体は私の意思と関係なく立ち上がった。

「そう、それでいい」

 少年が私の手を取り、外へと誘う。神様の手は仄かに暖かいが、レンのそれとは全く異なる感覚だ。神様が手を触れただけでさっきまで開かなかった扉はひとりでに開いた。外は薄暗く、風もないせいかじめじめとした空気が澱んでいるように感じる。そしてむせ返るほどの腐臭が漂っている。空には下弦の月が鈍く輝いており、星はほとんど見えなかった。

「さあ、皆と一緒に遊ぼう」

 少年に手を引かれたまま、神社の中から境内に出る。境内には、先ほど私を引きずり回した黒い影がたくさん蠢いていた。

 私は拒否することもできず、なされるがまま黒い影に囲まれる。

「皆、何して遊ぼうか?」

 オニゴッコ。

 カクレンボ。

 ハナイチモンメ。

 イロオニ。

 ケンケンパ。

 カゴメカゴメ。

 カゲオニ。

 黒い影は虚を吹き抜ける風のような声を発した。

「いくつか君たちじゃできなさそうなものも混じっていた気がするけど……。まあいいや。それじゃあまずは花一匁でもしようか」

 ワーイ。

 ワーイ。

 すぐさま黒い影は横一列に並んだ。私の左手を神様が握り、右手を黒い影が握った。影に握られた方の手が妙に冷たい。


 かってうれしい はないちもんめ

 まけてくやしい はないちもんめ

 となりのねえさんちょっときておくれ

 オニがいるから行かれない

 おかまかぶってちょっときておくれ

 かまがないからいかれない

 ふとんかぶってちょっときておくれ

 ふとんやぶれていかれない

 あのこがほしい

 あのこじゃわからん

 このこがほしい

 このこじゃわからん

 そうだんしよう

 そうしよう


 黒い影は先ほどとはうってかわって、子供のような可愛らしい声で歌を歌う。それが逆に不気味で仕方ない。

 いったいどうすればいいのだろう。

 助けて――誰か――誰か――。


***


「くそっ。ツキミ、どこだ!」

 ツキミが引きずり込まれたとおぼしき神社をくまなく探してみたが、誰もいなかった。古びた賽銭箱とボロボロの祭壇、半壊した神棚があるだけだった。硝子障子の割れ具合から見ても、かなり長い間放置されていたことが見てとれる。

「何なんだよ、いったい」

 俺は頭を抱えて賽銭箱の前にうずくまった。

「どこいったんだよ……ツキミぃ」

 せっかくいい雰囲気になって、気持ちを伝えられるところだったのに。なんでこんなことになったのか。目頭が熱くなる。泣かないようにしていたのに、ツキミの前では頼りがいのある男性を演じていたかったのに。

 まるで神隠しだ。いたはずの場所から唐突に消える。だが、しばらくしたら戻ってきてくれるなんて保証はどこにもない。俺が、俺が見つけてあげなくては。

 その時、鼻に刺さるような臭気を感じた。この臭いは、さっき感じた――。

 俺は顔をあげて臭いの元を探った。さっきツキミが神隠しに遭うときに感じた腐臭。

 境内の中を歩き回る。鼻に感じる微かな臭いを手がかりにして。

 臭いの元は意外に早く見つかった。神社の裏手にある枯れ井戸から臭いがする。果物が腐ったような、古くなった生け花から漂うような、特有の腐臭。

 井戸の蓋を取って底を覗いても、真っ暗で何も見えない。

 試しに小石を投げ込む。音がしない。

「ツキミー! 聞こえるかー!」

 声をかける。返事はない。

 どうしたものか。飛び込んで怪我でもしたら大変だ。だがここが尋常でない雰囲気を持っているのも確かだ。

「ええい! どうにでもなれだ!」

 俺は覚悟を決めて井戸の中に飛び込んだ。

 すぐに視界が闇に閉ざされ、落下していく感覚が身を包んだ。枯れ井戸とは思えないほど落ちていく時間は長く――。


***


 あれ、何か、忘れてる。

「あはは、楽しいねお姉さん」

 傍らで、神様が笑っている。私の手を握り、楽しそうに笑っている。

「ふう、けんけんぱも飽きちゃったし、次は籠目籠目でもしようか」

 遊んでいると、一つずつ何かを忘れる。何かが、記憶から欠落していく。


 かごめかごめ

 かごのなかのとりは

 いついつでやる

 よあけのばんに

 つるとかめがすべった

 うしろのしょうねんだあれ


 みんなの声がする。私も声をあわせる。

 ツキミちゃん、つぎオニだよ。

「うん、わかった」

 私は輪の真ん中に入り、目を固く閉じた。


 かごめかごめ

 かごのなかのとりは

 いついつでやる

 よあけのばんに

 つるつるすべった

 なべなべそこぬけ

 そこがぬけたらかえりましょ

 うしろのしょうねんだあれ


「ツキミ!」

 どこかで聞いた声がする。いつも横にいてくれて、支えていてくれていて――

「ツキミ!」

 大切な、私の――

「れ、ん」

 思い出した。思い出せた。

「レン!」

 閉ざした目を開き、声のする方を向いた。そこには確かにレンがいる。こちらに手を伸ばしているレンがいる。大切な、私の初恋の相手が。

 伸びてくる黒い影の手を振りほどき、まとわりつく闇を払いのけ、レンの手を掴んだ。暖かい。人の温もりが伝わってくる。

「帰ろう、ツキミ」

「ありがとう、レン。大好き!」

 私は思わずレンに抱きついた。二度と離さないように、二度と離れないように。

「お兄さん、よくも邪魔してくれたね」

 振り返るとそこには怒りに身を震わせる神様の姿があった。銀色の髪を逆立て、赤く血走った銀色の目を剥いている。

「ツキミを返してもらうぞ。この子は俺の大切な女性ひとなんだ」

「ほざけ、人の子風情が! 神に逆らうことがどういうことか、思い知らせてやる!」

 神様が合図すると、黒い影が一斉に私たちの方に向かってきた。

「走るぞ!」

「うん!」

 私はレンに手を引かれながら走り出した。振り返りはしない。ただレンの手の温もりを感じながら、レンの背中を見ながら走る。境内を横切り、神社の脇を駆け抜ける。井戸の前でレンは手を放し、私に目配せをしてから、真っ暗な井戸の中に飛び込んだ。

 心配ない、ついて来い。そう言われたような気がした。

 私も先に飛び込んだレンに続いて神社の裏にある井戸に飛び込んだ。

 視界が闇に閉ざされてしまう寸前、上を見たとき見えたのは、泣きそうな顔でこちらに手を伸ばす神様だった。


***


「もしかしたら、神様も本当は遊びたかっただけなのかもしれないよ。寂しいとこだしさ」

「それでもツキミは譲らない。例えそれで神様を相手にすることになっても」

 神社のある丘から立ち去り、夜更けの道を俺とツキミは歩いていた。屋台はどこも店じまいをしており、祭囃子も聞こえない。道を通る人もまばらになっていて、祭りのあとのわびしさを醸している。

「でも、あんまり無理はしないでね」

「そうさせてくれよ、ツキミ」

 二人で手を繋ぎ、歩調を合わせて歩みを進めた。長年連れ添った夫婦のように。

「神様ってさ、ホントは人の心の中にこそ居るモノなんじゃないかなって思うんだ」

「それは、あの神社の神様がってことか?」

「ううん、どんな神様にも言えること。だって人に崇め奉られないと神様は神様って言えない。だからこそ人の中から生まれ出でるモノだと思うの」

「そう、かもな」

 俺はふと神様の容姿を思い出した。昔の自分と同じように華奢で、か弱い。幼い彼はともすればふと消えてしまうかもしれない。だとすればむしろ俺たちが守る立場に立つべきではないのだろうか。

「今度、金平糖でも持っていくか」

 独り言は星のきらめく月夜の闇に溶けて消えた。



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