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無知

らのまが 2016年 5・6月号 掲載作品

 悲劇は唐突にやってきた。俺は、何も知らなかったんだ。

夜中に手洗いへ行こうとした俺は、いつもと同じようにゴキゲンだった。口笛も吹けなければ鼻歌も歌えないが、とても心地よく過ごしやすい夜だった。あぁ、夜はいい。静かな夜は、特に好きだ。暗い闇の中に自分の存在が溶けていくようで、普段よりも足取りは軽かったかもしれない。まぁ、それは特別、俺の未来を変えるようなものではなかったけど。

甘い香りに誘われるように、家の廊下を歩いていく。床の冷たさを感じながら歩き、においの元を探す。窓の外に浮かぶ月が、いつもよりやけに綺麗だったことを覚えている。

不思議な香りは、みたこともない家の中から漂っていた。家の中に、家? 疑問が頭に浮かびはしたものの、脚は自然と家へ向かっていく。

そして、家へと足を踏み入れた途端。

俺は、唐突に歩けなくなった。困惑と恐怖で、思い切り身体を動かした。だが、俺が再び自由になることはなかった。もう、逃げることは出来ない。それを悟った瞬間、咄嗟に上を向いた。それは、予感といってもいいかもしれない。

 窓から漏れる月の明かりが、消える。

 巨大な女が、俺を見下ろしていた。

 来るべき瞬間が来たのだと思った。巨大な生物が俺達の住処をうろついていることは知っていた。いや、俺達がやつらの生息域に好んで暮らしていたのだから、やつらがいることの方が自然なのだ。

 だが、知らなかった。今この時が、その『瞬間』だったなんて。

 巨大な女は俺を指差し、金切り声を上げた。悲鳴とも、絶叫とも言い換えることができるそれは、家中に響き渡った。その声に反応して、もう一人の巨人も現れた。女よりも更に大柄で、筋肉があることもわかる。それは、眠気で目をこすっている男だった。女は悲鳴を上げるばかりで、俺に近づこうとはしない。身動きが取れなくなっているのは、少なくとも彼らふたりのうちどちらかが罠を仕掛けたからに違いないのに、女は俺にトドメを刺そうとはしない。

 粘着質な罠に身体を絡めとられた俺を殺すくらい、女には簡単だ。ただ、手を汚したくないという気持ちだけが、彼女の動きに制限をかけている。それを憎いとは思わなかった。俺は所詮、嫌われ者なのだから。

 寝ぼけていた男が、ようやく覚醒したらしい。俺を見下ろして、顔を顰めた。武骨な自分の掌と、醜い俺とを見比べる。そして、手を振り上げる。もしかしたら、かもしれない、と繰り返し続けた言葉がついに現実となったのだ。

 奴が拳を振り下ろすと共に、内臓がつぶれた。外骨格が砕け、八本あった脚が折れ曲がる。二度と歩くことは出来ないだろう。しかし、それ以上に怖いものがある。

 俺は、生命力だけが自慢だ。例え首だけになったとしても、一週間は生きていられる。だから、怖い。痛みよりも、これから襲い来る飢餓や渇きの方が――。

 潰された家の窓から、巨人が俺を見下していた。怖いもの見たさか、それとも。

 家を俺ごと持ち上げて、男がふと思い出したように呟いた。

「あれ? ゴキブリホイホイって、潰さなくても良かったっけ?」

 既に死ぬことが確定している俺は、苦し紛れに笑った。

 あぁ、こいつだって何も知らなかったんだ、と。


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