心世界Opener
心世界Opener
ええっと、どこまで話したっけ?
――そうだ。
数ヶ月前に道端で生肉とエンカウントして、「なんで道端に生肉が落ちてるんだ? 一体どこのファンタジーだよ」と心の中でツッコミを入れたその日、「心の扉を開錠することができる」とかいう厨二な転校生が俺のクラスにやってきて、あれよあれよという間になんだかよくわからない争いに巻き込まれて、今に至る。
というところまで、だ。
今。
長倉悠里は俺をかばうようにシェラザードの前に立ちはだかっていている。
俺はといえばなんとも情けないことに、ちょっと殴られたり蹴られたりしただけなのに地面に突っ伏して意識が半飛びになっている。
というのが現在の状況だ。
シェラザードはいわゆるビキニアーマーに、ひらひらした布地をたっぷり使った、一昔前のアニメとかに出てきそうな服を着たいい女だ。
……なのだが、いかんせん俺らの敵だし、俺の内臓あたりを狙って殴る蹴るの暴行を加えた張本人であるので、ちょっとお近づきにはなりたくない種類の女でもある。
ついでに言うと、シェラザードの周りにはもやっとした黒い影のような者たちがわらわらと取り巻いていて――言わずもがな、そいつらは俺たちの敵だ。
なので、まあつまり、俺たちは絶体絶命の大ピンチといったところだ、というのを付け加えなければならないだろう。
そして。
俺をかばってシェラザードと対峙している、悠里もまた満身創痍だ。
悠里は――。
「ユウリは上手いことあんたを利用しているようだね。――はんっ、なにが『交換条件』だ? あんた、ユウリに騙されてるって、知ってるのかい?」
悠里は、シェラザードの言葉にかたく口を結んだ。
――『交換条件』。
そう。
悠里が転校してきた日、俺はうっかり誤解でシェラザードの仲間に殺されかけた。
……のを、悠里が俺を助ける代わりに、俺が悠里の手伝いをすることになった。
という約束。
「あんたはユウリに『助けられたつもり』なんだろうけど――良いことを教えてやるよ。そもそも、あたしたちがあんたをユウリの仲間だと思い込んだのは、ユウリのせいなのさ。ユウリが『鍵』を使って、そういうふうに――あたしたちが誤解するように仕向けたんだ」
悠里が右手に握っている携帯電話にはアンティーク調の「ハートの鍵」の形をしたストラップがぶら下がっている。
いや。
違った。
それは「ハートの鍵」の形をした――ではなく、文字通り、「ハートの鍵」なのだ。
心の扉を開錠するためのキーアイテム。
この「鍵」の中央には「パワーストーン」をはめるくぼみがあって、ストーンの属性によって開けられる心の扉が決まるので、「鍵」本体のみではほとんど役に立たない。
ストーンの属性はおおざっぱにいうと、「喜」、怒り憎しみの「怒」、失望やら絶望やらの「哀」、ぶっちゃけ喜とどう違うのかいまいちよくわからない「楽」に分けられる。
悠里はそのうちの「楽楽喜怒」と、「喜喜楽」、「哀」の三種類のストーンを持っていた。
――ていた。
過去形だ。
それらのストーンはすべて敵に奪われてしまっている。――現在進行形。
シェラザードは、悠里から奪った最後の石をかざして、言う。
「このストーンの正体がなんなのか、薄々気付いてるんだろう? ユウリは、あんたからストーンを奪うつもりで、あんたをそばに置いてるのさ。ストーンを奪われた人間がどうなるかは――あんたも、分かってるはずだね?」
薄々もなにも、悠里に付き合ってさんざんな目に遭ってきたのだから、俺だってそのくらいの事情はしっかりと把握している。
パワーストーンの正体は、喜怒哀楽、感情――心の、結晶だ。
そんな大層なもんを無理矢理奪えば当然、心が壊れてしまうに決まっている。……のは、これまでの事件でシェラザードに「実演」されるのを目の当たりにしたので、知っている。
心が壊れてしまった者は、心の扉を開くことができないため廃人になる。
……が、しかしちなみに、「開錠者」と心世界の「主」がお互いの合意のもとストーンの貸し借りを行えば、心が壊れることはないらしい。
そして悠里は、壊れた扉を唯一開けられる「すべての属性を持つパワーストーン」を探して、この街にやって来たという経緯があり――。
俺は、悠里の今までの行動が腑に落ちた。
――俺は。
「あんたは、万能鍵を作るための候補者というわけだ」
俺は半飛びの意識の身体を鞭打って顔を上げた。
「悠里」
と呼んだつもりだったが、声は出なかった。
代わりに血やら胃液やらが俺の口から「ごふっ」と噴き出して――無論シェラザードに内臓を強打されたせいである――、不快なことこの上ない。
……のだが、悠里は振り向いた。
俺は、見た。
ぎゅっと口を結んだしかめっ面の。
泣きそうな顔。
シェラザードはにんまりと笑って、楽しげに言った。
「さあ、『立ち上がれ』。あんたの敵は目の前にいる」
頭の中にシェラザードの声が響くような感覚があった。
ということは、どうやら鍵を使っているようで、俺を操る気だ、と思ったが、俺はシェラザードに言われるままに立ち上がった。
悠里は武器を構えた。
――が、俺は、悠里が俺を攻撃したりするようなことはできない性格であることを知っている。
しかし、悠里に武器を向けられて、なんだかとても腹立たしい気分でもある。
頭の中はぐるぐるしていてろくに回らないが――いや、むしろ回っているのか? しかし、「こう」するのが一番正しいような気がする。
俺は。
たじろぐ悠里の腕をつかんで、「鍵」を奪った。
***
昔。
あたしが「開錠」の能力に目覚めた最初のころの話だ。
あたしは自分の力を、単に他人の心が覗ける能力だと思っていた。
そのころは知るよしもなかったけれど、パワーストーンがなければほとんど役に立たないこの「鍵」は、実は、相手があたしに心を開いている場合は、ストーンがなくても心の扉を開くことができるという例外がある。
だから、あたしはクラスメイトとか自分の友達の心を覗いて彼らの「特別」になるのも簡単だったし、自分でも、あたしは特別な人間なのだと過信していた。
しかし、この能力を使い始めたころから、あたしの母親が刺々しくあたしの交遊関係に口出しするようになったので、あたしは母親を煩わしく思うようになっていて――。
ある日のことだ。
なにがきっかけだっただろう? 些細なくだらない口喧嘩だったような気がするけれど、とにかく、あたしは母親と喧嘩をして、ついにあたしの堪忍袋の緒が切れた。
あたしはあの人よりも優位に立ちたかったんだと思う。
心を覗いて、弱味とか痛み処とか揚げ足とりができそうなところとかを暴いてやろうと思った。
「……嫌な世界」
母親の心世界に入って辺りを見回してみて思った感想が、それだった。
蕀だか有刺鉄線だかのようなものがあちこちから生えて絡まった世界だった。
構造物すべてが棘の蔓だか線だかに覆われているので、心の表面は見えても、それに触れることはできなかった。
自然の構造物としては不自然なほど守りが固い。
……が、あたしは母親に自分の能力のことは話していなかったから、まさか心を覗かれることを想定してこうなっているわけではないだろうと思った。
なので、まったくこの人はどれだけ性格が悪いんだろうと呆れた。
あたしは一通り奥に進んで――。
中心にたどり着いた。
そこにはパワーストーンがあった。
あたしはそのころはそれがパワーストーンだなんて知らなかったけれど、本人の心に影響を及ぼしているものであることはなんとなく分かっていた。
こんなストーンなどなくなってしまえば、もう少しまともな性格になるかもしれない。
そう思って、あたしは――。
そのストーンを、もぎ取った。
あとはまあ、シェラザードにやられてさんざん見てきた通りのことが、その人にも起こっただけ。
心の扉を壊してしまった。
どうにもならない。
とあたしは途方に暮れたわけだけれど、さらに悪いことに、ストーンを奪うときに、その人の本心がほんのちょっぴり見えて――その人は、あたしの父親が「開錠者」であるから、あたしも「開錠」の能力に目覚めてしまうんじゃないかとか、できればあたしには開錠の能力なんて目覚めないで普通の生活を送らせたいとか思っていた。ということを知ってしまって、あたしは自分がとんでもなく子供であると思い知った。
だから、あたしは壊れた扉を開くための方法を探して探して探し回って、この街に来たのだ。
「悠里の助けたい『大切な人』って、自分の母親だったんだな」
そう。
今さらあの人が望むような「普通の女子高生」になんてなれるわけないし――なりたくもないけど、あの人の心は、なんとしても直したかったから――。
……って、ちょっと。
なんであんたがあたしの心世界に入って来てるのよ?
「そりゃあ俺が『鍵』を使ったからに決まってるじゃないか」
ストーンもないのに? ありえない。
「おいおい、悠里が今自分で言ったんじゃないか。『自分に心を開いている相手の扉なら、ストーンなしでも開けられる』って。悠里、お前なぁ、お前がわりと俺に、気、許してるって――自分でも気付いてなかったのか?」
気付くもなにも、許した覚えなんてないんだけど!
「まったく、心の中でも素直じゃないんだからなあ……」
――で、なに? あたしのストーンを奪いに来たの?
「うん? なんだ? 俺がシェラザード側に寝返ったとでも思ってんのか? そんなわけないだろ。俺は、悠里が他人を騙してストーンを奪えるような奴じゃないってことくらい知ってるんだよ」
けど、あたしは――。
あたしは、最初のころは……本当に、あんたを騙そうと思って近付いたのに。
「ああ、それって、シェラザードが俺を悠里の仲間だと思ったように、悠里も俺のことをシェラザードの仲間だと勘違いしてたせいだよな。俺はどうも昔から勘が良くて、他人からも『心ん中でも見えてんのか?』とか言われてて――まあ、だからこそ、『万能鍵』候補なんだろうけど」
……あんた、愚痴吐きに来たの?
「違う。『外』にはシェラザードがいるってのに、そんな悠長なことやってられっか。俺は、悠里に助けてほしくて、ここに来たんだ。――俺のストーンを使ってシェラザードを退けてほしくて」
正気?
「当たり前だ。俺が『悠里にパワーストーンを貸す』代わりに、悠里が『俺を助ける』。ほら、ちゃんと交換条件になってるだろ? 悠里、――『助けて』くれないのか?」
呆れた奴ね。
ああもう、いいわよ。助けてあげるわよ。
あたしは――。
――俺は。
***
「――あんた、馬鹿なの?」
敵を退けて開口一番の言葉が、それだ。
シェラザードは「貴様ら、いったいどこにそんな力が」とか「覚えておきな!」とか言っていたような気がするが、正直覚えていない。
悠里はいつもの怒ったような顔で、俺を介抱する。
「しかもこれ、『万能鍵』じゃあないじゃない!」
ストラップの『鍵』が揺れる。
その中央のパワーストーンは一瞬きらりと光って、俺の中に戻ってきた。
俺のストーンの属性。
楽楽楽。
とっても能天気な属性だ。あっはっは。
「笑い事じゃあないってばっ」
悠里が救急車を呼びながら、怒鳴った。
俺は実際には笑う気力すらないから、笑っていると思うなら――なんだ、やっぱり俺のこと信頼してるってことだ。
「悠里」
俺はまた、呼んだ。
いや、やっぱり声は出ないので呼んでない。――けど、伝わったはずだ。
これからもよろしく。
と俺は思った。
悠里はむすっとした顔で、頷いた。
「あんたのためじゃないから」
え。それなんてツンデレ?
「……『交換条件』なんでしょ……っ!」
悠里がまた怒鳴った。
悠里はさらにむすっとした顔になったが、内心ではきっと俺と同じ気分だ。
俺は――いや、悠里も、心の中で、朗らかに笑った。
(完)