カツ丼
「……ブランさん?」
仕事も早く終わり、今日はこれからどう過ごそうか等と考えていると、ふと見知った顔が視界に入った。
昼過ぎの活気ある街の中、行き交う人達より少し背の高いその男は、すっぽりと外套のフードを被り、店先の商品を眺めながらふらふらと歩いていた。
「あれ……? リックさんだ。今日はもうお仕事終わり? 早くない?」
「夜中から警備してたからね。さっき交代したところ。ブランさんは……買い出し? 珍しいね」
丈の長い外套にすっぽりと身を包んでいたのでぱっと見では分からなかったが、大きな紙袋を抱えていた。
「ハーブがね、無くなってるのをすっかり忘れてたんだ。今日は採りに行くのも面倒臭くて……」
ブランはそう言うと、猫や犬みたいに小さなあくびをし、眠そうに目をとろけさせている。
「そっか。今日は星の日か」
一週間の内、ブランは星の日だけ眠る。
陽の日、月の日、花の日、星の日、砂の日、水の日、空の日。
曜日なんか気にしてなかったけど、今日は星の日か。じゃあ明日か……。
眠たそうにしているブランの荷物をすっと持ち、近くの扉までぐいぐいと引っ張って行く。
「ブランさん、何か力の出る物食いたい!」
扉に手をかけると同時に指輪がぼんやりと光り、そのまま扉を開けるとブランの店に出る。
ブランの店は世界樹の上にあるが、一度行った者はブランから『鍵』が貰える。
その鍵を持って『店に行きたい』って思いながら扉を開けると、ブランの店に行ける。
まぁ、俺達人間で言うところのマジックアイテムみたいな物かな。
「えー、リックさん今日お店休みだよ? あんまり手の込んだもの作れないよ?」
店に入るやいなや、いつものカウンター席に座った俺を困ったように覗き込んで来る。
それでも追い返さないところがブランっぽい。
「簡単な物で良いからさっ。……俺、明日から魔物討伐隊と一緒に行かなきゃいけないんだよ、だから……」
近年俺の住んでるリヒト公国は治安の良さから国民が一気に増え、それに伴い居住区と食料不足が問題になっていた。
その解決の為、未開拓だった東方の山脈を切り開く事となったのだが、そこは手強い魔物の巣窟となっていた。
その討伐と開拓をする為、国中から傭兵や冒険者等、腕に自信のある者が集められたんだが、俺達騎士も数人指揮をとる為同行することになった。
正直、無事に帰って来れるか分からない仕事だし、無事に帰って来れたとしてもいつになるか……。
妻も子も居ないからどうでも良いんだが、それでもやっぱり嫌だと思っちまうよな? こんな任務。
ブランは俺の言葉を聞き、少し悩んだ末口を開いた。
「そっか。じゃあ適当に作るから待っててね」
ブランは東方の開拓と討伐隊募集の事は知っているはずだが、いつもと変わらないふんわりと間の抜けた口調だった。
そのいつもと変わらない様子に少し唖然としつつ、不思議と気持ちが少し楽になった。
ぼんやりとカウンター越しにブランを眺める。
スープを作ってるのだろうか? くつくつと沸く鍋に色々入れていく。
すると今度は肉を揚げだした。
異世界のだか旧世界のだか……確かブランは自分の料理をそんな風に言っていた気がする。
確かに他の店では、肉が泳ぐ程贅沢に油を使った料理は見たことがないな……。
そうこうしているうちに、店内に芳ばしい香りが充満する。
「はいっカツ丼定食だよ! 今日は豪華に味噌汁じゃなくて豚汁にしてみました」
「早っ!?」
目の前にとんっと置かれた物に視線を落とす。
野菜の塩漬けと汁物、それとトレイの中央に構えるこれが恐らくカツドンだろう
この辺ではこの店でしか食べられないコメの上に、さっき揚げていた肉を……煮たのか? 折角揚げた肉を煮て、それを乗せたのか?
この店に通い初めてかなり経つ。
最初は『揚げる』事自体に驚いたが、一口食べたその日から、もう揚げ物の虜だった。
そんな完璧な揚げ物をさらに煮たのか?
ふとブランを見ると、カウンターの端に座り、今にも寝てしまいそうに体をふらふらと揺らしている。
……寝ぼけて作ったのか?
子供のように眠気と闘っているブランを見たらふっと笑みが零れ、軽い気持ちで肉を一口頬張る。
しゃおっ
じゅわ
煮込まれた部分の衣は、しっかりとダシを吸い込み、たっぷりの肉汁と一体になって口中に溢れかえる。
また、一部揚げたままの食感を残す所は、上質な油でカラッと軽い口当たりに揚がっている。
「旨い……!」
そのまま肉と一緒に煮込まれた卵とコメをガツガツと口に運ぶ。
旨い!
旨い!
旨い!
肉、卵、コメ、肉、卵、コメ……それをひたすらに繰り返す。
ふと野菜の塩漬けに手を伸ばす。
さっぱりとした口当たりと食感、ほのかに鼻に抜ける柑橘系の香りが口の中を一気に占領する。
では汁物……トンジルは、と……。
ずずず……
力強いカツドンと爽やかな塩漬け、それに全てを包み込むような旨味と、カツドンとはちょっと違う肉の甘みを持つトンジル。
さっきまでカツドンの中で繰り広げられていた旨味のリレーは、気付けばトレイ全体に広がり、一時も手を休める事が出来ない。
「ブッブランさん! トンジルお代わり!」
気付けばトンジルを二回、カツドンを一回お代わりしていた。
「ぶあーっ! 食ったー……!」
はちきれそうな程食べた俺は、カウンターでぐったりと余韻に浸っていた。
「あははっ気に入ってくれた? カツ丼って勝負事とか負けられない時に食べるものなんだってさ」
「勝負事かー……丁度良いなー、旨いし」
カウンターの端で眠そうに身を丸めるブランと、食後の微睡みの中にいる俺。
なんとも居心地の良い時間。
「このまま明日なんか来なきゃ良いのにな……」
騎士としては言ってはいけない本音が、ついポロリとこぼれる。
「んー……? あぁ、討伐だったっけ? じゃあ……よいしょっ……これ御守りー」
ブランは寝言のようにポツポツと話ながら、手にすっぽりと収まる位の紫色の物を差し出してきた。
光沢のあるそれを受け取りながらまじまじと眺める。
「武器にでも盾にでも……好きな所に……ね。あ……首から下げたりしても良いよ」
「あぁ、ありがとう……これは?」
もう眠気の限界なのか、会話のペースが普段以上に遅い上に、肝心な部分がほとんど説明出来ていない。
「ん……僕の……うろこぉ……」
消え入りそうな声でそう呟くと、すぅすぅと寝息を立て始めた。
って
僕の鱗?
僕の鱗?
僕の……鱗?
頭の中でブランが言った言葉がエコーのように繰り返し再生される。
理解したと同時に叫びそうになった。
自分でもよく叫ばなかったと誉めたい!
ブランからそれを受け取ったまま硬直している手に視線を落とす。
…………竜の鱗。
『御守りー』じゃねぇよ。
伝説の世界樹の竜の鱗なんて御守りどころの騒ぎじゃないだろうが。
震える手でそれをそっと懐にしまい、冷静さを取り戻す為すっかり寝入ってしまったブランに外套をかける。
「んー……」
動物のようにもぞもぞと身じろぎするブランの手の甲を見ると、少しだけ赤くなっていた。
あぁ、そこの鱗ね……。
無防備な姿のブランを見ていたら、悩んでいた事がどうでもいいものに思えてきた。
偉大な竜の加護があるんだ、魔物討伐隊だってどうにかなるだろう。
って竜に魔物の討伐のお守りを貰うってどうなんだ……?
カウンターに適当な代金を置き、扉に手をかけ街に戻る。
思ったよりも早く任務を終えそうな確信を胸に、すっかり日も傾き始めた空を眺めながら家路についた。