カレー
腹ぁ減ったなぁ。最後にまともな食事をしたのはいつだったか。
白銀の雪に埋もれる街並みの片隅を、どこへ行くわけでも無くただダラダラと歩きながら、鳴り止まない腹をさすりふと考えを巡らす。
普段はギルドで薬草の採取やペット用の花ウサギの捕獲など、簡単な依頼をこなしどうにか食いつないでいたが、最近はめっきりそう言う依頼が無い。
元々一年中雪が降る北方だが、寒くなってきた近頃は薬草なんて生えないし、花ウサギも暖かい場所に行ってしまう為そう言う依頼は自ずと無くなってしまう。
少し待てば俺でも出来る依頼くらい出てくるだろうと楽観視していたが、そうこうする間に依頼を求めて他の街に移動する金どころか、今日の宿代すらも払えなくなってしまった。
腹がすいたら街共用の井戸の水をがぶ飲みしてやり過ごして居たが、そろそろそれも限界だし、何よりこんな雪深い北方で野宿をするなんざ自殺するのと一緒だ。
今日も一応ギルドまで行ってはみたが、案の定出来そうな依頼なんざ無く今に至る……。
はぁっと白い息を吐き出し顔を上げると、通りに面する店からは暖かい空気が漏れ出し、窓から少し覗き込めば串に刺さった肉やチーズの塊なんかがゴロゴロと陳列されている。
何やってんだろうな、俺は。
武芸に秀でた血気盛んな風土の西方に生まれたせいか、物心ついた時にはすでに冒険者になって一旗上げると決めつけていて、それを何の疑いもせずに成人してすぐに家を出て冒険者ギルドに登録した。
が、一旗上げるどころか食い物を買う金すら無い現実。
俺は魔術なんか使えないからひたすら剣や斧で攻撃するスタイルだが、だからと言って取り立てて強いわけでも無く、その辺の下位の魔物なら倒せる程度の実力。
そう、冒険者としてまるっきりパッとしない実力の俺は、討伐の為臨時パーティーを組むときに数あわせで呼ばれる位の存在。
こんな現実なら早くに西方に戻っておけば、ここでのたれ死ぬような目には遭わなかったかもな。
眺めていた店から貴族と思われる人が出て来て馬車に乗って帰って行く様を見届けると、『住む世界が違う』って言葉を実感させられる。
もはや笑うことしか出来ないでいると、店先に何か光る物が見えた気がする。
光に吸い寄せられる虫のように、本能的に何も考えず近づいてみると、堅く踏みしめられた雪の隙間に紫色の珠が落ちていた。
宝玉? みたこと無い色合いだが魔石か? さっきの貴族が落とした物だろうが……。
その珠を拾い上げ、馬車が走り去った方向に視線を移すが、もう影すらも見えない程遠くに行ってしまったようだ。
出て来た店の店員ならさっきの貴族が誰か分かるはず。渡せば無事に持ち主の所に戻るはずだが……。
情けないことに自分の器の小ささに嫌気すら覚える。
見た限り俺も知らないような貴重な宝玉か魔石だ、売ればそれなりの値になるだろう。
しかも俺はもう空腹で倒れ込む寸前だ。
もしこれを無事に貴族に届けても報酬は貰えるかも知れないが、『盗んだ』と言われたらそれまでだ。
だったらこのまま売って金に……いや、いくら何でも矮小過ぎるだろ。
だが……。
珠を握りしめたまま必死に格闘するが、寒さと空腹、それと日が落ちかけているせいもあってか、陥落するのは早かった。
……売りに行こう。そしてその金で飯を食って西方に帰ろう。
値段は分からないが飯を食ってもそれなりに金は余るはずだ。
そうと決まれば魔道具屋は……っと。
ただでさえ怪しい身なりだと言うのに、珠を握りしめ小走りに周りを伺っている今の俺は相当不審者に違いない。
だがもう限界なんだ。生きるためには仕方が無いんだ。
少し走った所の魔道具屋の扉に手をかけ、深呼吸をしてからゆっくりとドアノブを回す。
もうすこしで美味い物が食える……腹いっぱい美味い物が!
バチンッバチバチバチ!!
「いてっ!」
なんだ静電気か?
扉開けた瞬間、周りにも聞こえたであろう程の音量で、前進に雷が走ったような不思議な感覚があった。
が、自分の手を確認する為下げた視線の先、自分の足下を見て言葉を失った。
確かにさっきまで雪が多く積もる北方にいたはずだが、自身が立っている店内の木の床と扉の先、本来なら雪がある場所には雪は無く、代わりに何も無い黒い空間だけがあった。
とっさに扉から離れ、尻餅をついたまま後ずさりながら確認すると、黒い空間の遠くの方に小さく見慣れた街並みが見える。
なんだ、何が起こったんだ?
「いっ……ぐっ」
「ブランさん大丈夫かよ? って、誰だあんた? 新規の客……?」
突如後ろからかけられた声に飛び起き、また入り口付近まで戻り改めて声の主を確認する。
目の前には俺を不思議そうな顔で眺める帯刀した若い男と、その奥には頭を抱えるようにうずくまっている男が一人。そのうずくまっている男の前には割れたガラス瓶や木のトレイが転がっていた。
と言うか俺は魔道具屋に入ったはずだ。ここはどこだ? まさかこの珠には呪いがかけてあったのか!?
状況が飲み込めず無言のまま辺りを見回していると、うずくまっていた男がふらふらと立ち上がり、すぐそばにあった椅子に腰掛けた。
「うぐぅ……。なんか、アイラちゃんの時より痛い……。あぁリックさん、今ちょっと危ないから扉に近づかな……っ」
「ちょっとブラン、あんた誰彼構わず扉を開くからこう言う事になるんでしょ?」
奥に座っていた髪の長い女が、苦しそうにうずくまっている男の頭をぽんとひと叩きし、まさに今近づくなと言われた扉を何事も無かったかのように閉め、また奥の席へと戻って行った。
「だ、って……ノルベルトさんかと思ったんだもん。気付いた時にはもう半分扉が開いちゃって……っ、あー痛いぃ」
「あぁ、あれノルベルトさんの珠? あの人の珠は色んな人を連れて来るわね」
「ノ、ノルベルト……」
その名前は聞いたことがある。
確か北方を代表する美食家で、王宮付きの食材屋でもあったはずだ。
まさかそんな奴の物を拾ってただなんて……。
逃げ出そうと少し後退りしたが、そう言えばさっき見た扉の向こうは確か真っ黒な空間だったし、うずくまっている男もはっきりと危ないと言っていた。
とことん俺ってついてない……!
「……という事はお前さん、盗人か?」
テーブル席に座りずっと押し黙っていた壮年の男が、壁際に立て掛けていた剣を取り歩み寄って来た。
さっきの男も帯剣はしていたがどこにでも居る青年のような身なりだったが、壮年の男はしっかりと王宮仕えの騎士の紋入りの甲冑を着込んでいる。
あの紋章は確か東方のものだったか……西方の騎士だったら即切り捨てられてたかもしれないが、だからと言って今の状況が良い訳でもない。
「待ってくれっ! 盗んだんじゃない、話を聞いてくれっ!」
渾身の力説。
珠を拾った経緯から生い立ち、境遇まで全て少し盛り気味での力説はどれ位の時間がかかっただろうか。
帯刀している男二人は終始俺の話しに耳を傾けていたが、奥に座る女は早々にどこかへ行ってしまったし、その女の連れと思われる子供はカウンター席で美味そうに何かを飲んでいる。
うずくまっていた男はしばらくの間カウンターで呻いていたが、今は奥の小部屋に座りぼぅっと事の成り行きを見守っていると言った感じか。
で、俺は全てを出し切った訳だ。
どう足掻いたって怪しいし言い訳すればする程余計胡散臭いだろうが、全力で無実を語ったわけだが……。
顔を上げるとそこには終始変わらぬ表情の壮年の男と、もはや聞いているのかすら分からない程そうでも良さそうにしている若い男が、それぞれ俺を見つめたまま口を開こうとしない。
気まずい。逃げ出したいがこの状況で逃げ出すのは罪を認めたと一緒だろう。
「……とりあえずご飯食べる?」
「「喰う!」」
真っ先に口を開いたのは奥の小部屋に座っている男。
男は俺の動揺をよそに、元気な二人の返事を聞いてから椅子に掛けてあったエプロンを手に取り、そのまま当たり前のようにカウンターの奥でなにやら作業を開始した。
雰囲気的にここは飯屋なのだろう。
魔道具屋に入ってなぜここに出たかは分からないが、きっとあの男がここの主なのだろう。
その証拠に今まで剣を握り締めたまま微動だにせず俺の話を聞いていた男二人が、さっきの『ご飯食べる?』の一言を聞いた瞬間即剣を置き、カウンター席まで移動し何事も無かった様に会話に花を咲かせ始めていた。
「あー腹減ったー! なんかすっげぇ良い匂いだな!」
「ブランさん、まだ髪がバリバリ放電しているが大丈夫なのか? ノア、危ないからもうちょっとブランさんから離れとけよ?」
……俺の事忘れてないか? って、もしそうなら逃げるチャ……
「って、おーい。いつまで床に座ってんだよ? 早く席座れよ」
「はっ?」
忘れてなかったって言うか、俺も良いのか?
ひとまず当たり前の様に自分の隣の椅子を引き、ここに座れとばかりに見つめてくる若い男の横に遠慮がちに座り、カウンターの奥で作業するこの店の店主と思われるエプロンの男の手元を覗き込む。
なにやら底が深い鍋いっぱいに煮込み料理と思われる物が入っていて、今はそれを温め直している様だが、それがどうにも食欲をそそる香りを放っている。
他の店では嗅いだ事が無い強い香りを放つのは何かの香草か香辛料か? これ程の物になると相当な値が張る……と言うか手に入れる事すら困難なのではないのか?
無一文の自分がそんな物を……と頭では思っても、数日水だけでしのいで来た体は正直で、早くくれとばかりに腹は盛大な音を立てていた。
「ふふふっ。賄い用で作った簡単な物だけど、どうぞー。いっぱいあるからお代わりしても大丈夫だよ」
順番に目の前に置かれて行く皿の上には、見た事も無い白いつぶつぶした物の上に、これまた見たこと無い茶色いソースがかけられた物。
そのソースの中には良く知っている芋や肉らしき物が多少見え隠れしているが、それ以外は何なのか検討すらつかない物だった。
添えられていた木の匙で食べる物のようだが……得体の知れない物を前に、少し躊躇していると、隣に座っている若い男は皿を持ち上げ、匙で口にかき込む様に一心に食いついていた。
「おぉっカレーか! 久し振りに食べるな。ノアには少し辛いかも知れないが大丈夫か?」
「辛い。けど美味しい……辛い」
ふと視線を移せば先程まで険しい表情だった壮年の男も、隣の子供の面倒を見つつも美味そうに口に運んだいた。
どうやら辛味のある相当美味い物らしい。
再び自分の目の前に置かれた皿に視線を移し、意を決して匙をつかみ思い切り一口頬張る。
頬張る瞬間までは、正直味なんかどうでも良かった。ただ腹が減り過ぎていて食える物なら何でも食いたい。そう思っていたんだが。
「っ!? 美味い!」
それは想像の遙か上を行く美味さだった。
最初に口に入れた瞬間に来る味は聞いていた通り辛味だった。
だが子供には少し辛いかもしれないが、大人にはそれが良い具合に食欲をそそり次から次へと口に運び込まなければ気が済まなくなってしまう。
それとこの白いつぶつぶした物だが、それ単体ではほんのり甘いだけで取り立てて他に特徴がある訳でも無いが、この辛いソースとの相性は抜群に良い!
少し味気無かった白いつぶつぶはソースがたっぷりと絡み、ソースの刺激的な辛さが少し押さえられ、いくらでも食べる事が出来そうだ。
しかも一緒に煮込まれている芋や肉は歯が要らない程に柔らかく煮込まれ、口の中で儚くほろほろと崩れ、旨みのみを残し無くなってしまう。
「えーと、お代わりいる人―?」
「「「はいっ!」」」
気付けば大人三人は即食べ終わり、お代わりまでし始めた。
やはり子供には少し辛かったのか、三人分のお代わりを出し終えた店主が、子供の皿に何か追加でかけていた。
よく分からないがきっと辛味を押さえるものだろう、その証拠にそれをかけてから子供はあまり辛そうにせず、美味しそうにゆっくりと一口ずつ頬張っていた。
バッタン!
二杯目のカレーに手をつけ始めた時、勢い良く開いた扉から入って来たのはいつの間にか出かけていた女と、血相をかいた北方独自の服を来た男が一人。
その男は俺と隣の女に何かを確認する様に交互に視線を送った後、すがり付く様に俺の元まで走って来た。
「そなたか!? 私の『鍵』を拾ってここまで届けてくれたと言う御仁はっ!?」
「はっ!? えっ……もしかして、ノルベ……」
もしかしなくてもこれがあの有名なノルベルトだろう。
どう言う訳か分からないが、一緒に入って来た女がここまでノルベルトを連れて来たって事だろう。
「おーノルベルトさん、またここに来れて良かったなー! ははは! 何か街に落っこちてたのをこの人が拾ってくれたらしいぞ」
「全く。そう易々と無くすのであれば子供の様に首から下げたらどうだ? ふはは」
「いや、面目ない。リック殿にディル殿……」
何だ? いつの間にか俺は盗人から落し物を届けた人になっていたのか? 確かに盗んではいないが届けたって訳でも……。
「ねぇノルベルトさん、そう言えばその人今仕事が無くて困ってるらしいわよ? 何か仕事があったらそれのお礼に雇ってあげたら? それがダメなら……ディルさんにリック、何か騎士団の下働きとか仕事無い?」
いつの間にか子供の隣に座った女が、子供を撫で回しながら信じられない程図々しいお願いを口走った。と言うこの若い男も騎士だったのか。
正直その話は物凄く嬉しいのだが……。
「何とそれは誠か!? ふむ、では冒険者家業が無い時はうちの御者でもお願いしようか。仕事柄外出が多くてな、遠方に出る時は腕の立つ御者が居れば護衛を頼む必要もなくなるし、その分多めに手当てをつける事も出来るしな」
これは夢なのか?
こんなトントン拍子に話が進むなんて。
「ひとまず落ち着いたみたいで良かったね。もしお金が無くなって困ったらここに泊っても良いし、食事の支払いもいつでも良いよ。むしろお皿洗ってくれたらそれだけで良いって言うか……最近グレンさんそんな感じだし」
「泊るところが無ければうちに来れば良い。娘のアイラの相手でもしてやってくれれば助かる。……それにしてもグレン殿は傭兵家業は向いていないようだな」
何故かこんな怪しい俺なんかよりも、その知り合いのグレンと言う男の方に話がそれていってしまった。
ひとまずどうにか生き延びれそうだ。
腕の立つ御者か……最近さぼり気味だったし、少しは訓練でもするか。




