鍋焼きうどん 前編
分けてしまったので「前編」では食べ物は出てきません……。
世界樹――世界の創造から存在し、天地をも貫くその大樹は「世界の壁」と呼ばれる程大きく、世界の中心に厳かにたたずむ。
世界樹とその地表に大きく隆起した根を国境とし、世界樹の周りには大小様々な国が栄えている。
世界樹のもたらす豊富な資源により近隣の国は長らく安定した生活を送ってはいるが、世界樹自身は生き物にそう寛容ではない。
世界樹そのものに手をかけようものなら容赦なく生き物を襲う。
世界樹にはその全てを手に入れようとした愚かな者たちが築いた国の跡が今なお残っている。
今も国を築こうとする者、古代の遺跡目当ての者等が多数世界樹に挑んでいる。
……まぁ、その例に漏れず私も古代の遺物目当てでここまで登って来たんだけどね。
言っておきますが私は国を作りたいとか、はたまたトレジャーハンターとか冒険者とかそんな事じゃないんですよ。れっきとした考古学者です。……見習いですが。
この世界樹に挑むにあたり何年も地質や出没する魔物の統計を調べた結果、一番良いと判断した南方のリヒト公国から登り始めて一か月。「第五の時代」と呼ばれる遺跡を過ぎたのはいつだったか……。
第五の時代の遺跡だけでも十分価値があったのだが欲張ってしまった。より上の――古い時代の遺跡に急ぐあまり注意を怠ってしまった。
登るルートを調べた際、一際注意していたはずなのによりにもよってミノタウロスの巣の近くを通ってしまった。
いや、ミノタウロスに襲われて生きていただけ幸運なのだが、逃げる際に世界樹の亀裂に滑落し身動き一つ取れなくなってしまった。
ここに落ちた事でミノタウロスからは逃げ切れたが、結果としてはゆっくり死んでいくかそうでないかの違いだけだ。根本は何も変わっていない。
世界樹の隙間から小さな空を仰ぎ見る。
今更欲張りすぎたかな、とかそんな反省をしたところでどうにかなるわけでもない。
むしろ喜ばしいと思う事にした。
国を築き、滅び、誰もいなくなったそれは世界樹の成長と共に天に昇っていく。
一番新しいとされる第五の時代しか見れなかったが、それはもう素晴らしいものだった。
当時の、今はもう失われている建築技術を駆使した建物はそれだけで見惚れるものだが、それ以上に世界樹に溶けるように朽ちていくその様が声が出ない程に、たまらなく、美しかった。
何者も寄せ付けない世界樹の上は世界樹固有の生態で成り立っている。
今私が居る世界樹の隙間も例外ではない。
私の周りには、蕾の先が少し開いたような形状の花が一つの茎から鈴生りに咲いていて、その一つ一つがそれぞれ色とりどりに発光しているのだ。それだけでは無い、よく見ると周りの苔に付着している水のような物も柔らかく暖かい光を放っている。
この発見だけでも十分な価値がある。
自分がゆるゆると死に向かっていると言うのに危機感を抱かないのはこの目の前に広がるこの幻想的な光景のせいだろう。
このままあの遺跡のように世界樹に溶けるように消えていくなら、この世界の一つになれるならと思うと死もたいして恐れるものでもないと思えてくる。
だってここに鳥か蝶でも飛んでいれば、絵本に出て来る天国そのもの……ん? 今穴の入り口に何か見えたような……?
気のせいかと思った矢先、ぬっと何かが首を出した。あれは……。
「バジリスク……!?」
確かに鳥の事を考えてはいたけど……バジリスクは鳥の体に蛇の尾を持つ魔物で、大きさも人一人乗れる位はある。確かに天国に連れて行ってくれると思うが、違うそうじゃない。
バジリスクは中を確認したのか一度頭を穴から抜くと、今度は蛇の尾をゆっくりと穴の中に這わせ始めた。
相手を石化させるとされる蛇が眼前まで迫る。
石化するのも悪くないか……? そう思った矢先蛇はなぜか私の襟に噛みつき、そのまま入り口までズルズルと私を引き上げ始めた。
悪いが私は疲れと混乱と痛みとかそんな感じでしっかりと物事が把握出来ていない。
ただされるがまま蛇に身を委ねているとバジリスクの足元にゆっくりと降ろされまじまじと見られる。
ひとしきり放心状態の私を眺めたバジリスクは軽々と私を背に乗せると、何事も無かったように世界樹を登り始めた。
思考が付いていけない………………あっそうか、巣に持って帰って食べるのか! なるほどそうかそうか。
たぶん着地してはいけない所に思考が着地していると思うが、他に理由が見当たらないのだ。
「……なぁ、お前の巣は近くなの? そのカギ爪ここを登るのに便利そうね。バジリスクってもっと剛毛かと思ってたけどふかふかなのね」
自分でも驚く程冷静……冷静というか何と言うかだけど。
一方的にバジリスクに話しかけていると、第四の時代と思われる遺跡が現れた。
バジリスクは迷わず遺跡の中を進み、世界樹にぽっかりと空いた巨大な洞の中に入って行く。
入り口もだが洞の中はもっと巨大だった。
洞の中にも朽ち果て、世界樹に飲み込まれてる建物がいくつもあるが、バジリスクは洞の奥の何の変哲もない扉の前でピタリと止まった。
……ここは第四の遺跡のはずなのになぜかこの扉の様式は最近の物に見える。しかも朽ちるどころが手入れがされているようにも見える。
ぼんやりとバジリスクの背から見える扉に疑問を感じていると、バジリスクが器用に足で扉を開ける。
「いらっしゃいませー!! ……って、え!?」
扉が開いた瞬間威勢のいい声と、その声の主と思われる女性が顔を出した。
こんなところに人!?
扉の奥からは賑やかな人の笑い声や言い争う声などが聞こえる。
完全停止している私をしり目に、バジリスクはそ目の前の女性に私を見せるようにしゃがみ込む。
少しの間私を見たまま硬直していた女性は、目と口をこれでもかと言うほど大きく開け、驚きの表情と共に私に飛びついて来た。
「だっ大丈夫ですか!? すぐに中に……ブラン……ブラーン! 世界樹から人が来たー!!」
その女性は私をバジリスクから降ろしながら扉の向こう側に向かって叫び出す。
すると先程まであれだけ賑やかだったのが嘘のように静まり、けたたましい足音と共に数人の男性が扉から飛び出して来た。
「おい! ねぇちゃん大丈夫か!?」
「動けるか!?」
飛び出して来てはしゃべり、べたべたと確かめるように触っていく男性達。
絶賛思考停止中の私は、そんな男性達の後ろ――扉の中を見て余計に意味が分からなくなっていた。
そこは遺跡なんかではなく、常に人が入っているのが一目で分かるほど手入れが行き届いた空間。しかもその様式は現代建築のそれだったのだ。
第四時代が滅んだのはいつだったっけ……?そんな太古の遺跡になぜこんな所が……?
バジリスクに遭遇してから停止していた思考が、扉の向こう側から漏れ出してくる暖かな雰囲気と人のぬくもりによって、少しずつ動き出してきた。
「あ、あの……ここは?」
今発する事が出来る精一杯の疑問を言ったつもりだった。が。
「おぉ! 良かったしゃべれるのか!」
「寒くないか? うわぁ……ボロボロだなぁ」
「腹減ってないか? ったく、こんな軽装で世界樹登るなんざ……」
一声。
たった一声発した瞬間また男性達が口々に話し始め、バジリスクから私を受け取るとそのまま歩き出した。
心配されてる? 安心されてる? ダメ出しされてる? 色々な感情を受け取りつつまたされるがまま身を委ねていると、扉をくぐってすぐのところにある、背凭れの無い椅子を二つ並べその上に丁寧に寝かされた。
この内装は……
「やぁいらっしゃい。世界樹から直接人が来るなんて何年振りだろう? ……なにか食べれそうかい?」
コトリと音を立て、目の前のテーブルに水の入ったグラスとボトルを置いた男性が何とも間の抜けた調子でふんわりと聞いて来た。
頭の中で言われた事を反芻していると、盛大に腹の虫が鳴いた。
「あははっ大丈夫そうだね。ちょっと待ってて、すぐ何か作るから」
男性はとびきり嬉しそうに笑うと急いで戻って行き、それと入れ違いに最初に扉から飛び出して来た女性が駆け寄って来る。
「今バジリスクから話は聞いたよ! 良かったー滑落現場が近くで」
そう言いながら濡れたタオルで私の顔を拭き始めた。
「バジリスクから聞いた……? ここは何? お店なの……?」
私はゆっくりと体を起こし座りなおすと、改めて周りを見渡した。
木製品を基調とした落ち着いた雰囲気の内装にカウンター、テーブルが二つ。奥にも一つ部屋があるようだ。
「そうですよ! ここはごはん屋さんです! まぁ……立地がこんななのは店主のブランが元々ここに住んでたからとか色々と……」
「住んでいた?」
ぼうっと周りを見渡しつつ、元気な声に耳を傾けていたら予想外の言葉が耳に入った。
すると先程私を抱えて運んでくれた男性の一人が、威勢良くテーブルを挟んだ反対側の椅子に座ると口を開いた。
「聞いた事ねぇか? 竜の巣と財宝の話」
竜の巣と財宝……世界樹に住んでいる竜がこの世の全てを手に入れる力と財宝を持っているって言う話ね。これはあくまで子供に世界樹の存在と怖さを伝える為に出来た、そう、絵本になるような御伽話。
そんな子供騙し……そう顔に出ていたのか、男性はにやりと笑うと話を続けた。
「その竜ってのがそこでニコニコ料理を作ってるブランさんって訳だ」
「……は? 何を言って」
そこまで言うと、ぐにゃりと視界が歪みそのまま倒れこみ意識を失った。