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テクニカルアーツ  作者: 乾紅太郎
第一章 黒き龍と新緑の少女
4/16

キックオフ

 グレム・シルヴァンス、56歳。シルヴァンス家の遠縁であり、主要企業とは言わないまでもかなり大規模な企業の役員に若い頃から就任。

 能力は可も不可もなく、他の企業とのきな臭いやり取りはあるものの総じて堅実な経営を好むタイプ。


「何か、普通ですね」

「でしょう? 我々もなかなか取っ掛かりが掴めないんですよ」


 エヴァルがエナードの運転する車の後席で硬直している中、アレッドはその座り心地を満喫しつつレポートに目を通していた。

とはいえ、出てくる感想は月並みなものしか出てこないが。


「ルーア達は?」

「車を用意してます、貴方の乗ってきた車は別の者に持ってこさせますので。念の為に彼女達の車にも運転手は付けてます、彼が変な気を起こしても大丈夫ですよ」

「至れり尽くせりどうも、まああいつなら返り討ちにするでしょうけど」

「これから働いてもらいますから、これくらいは」

「シルヴァンス家ってかなり大きいですよね?」

「内情でしたら私よりもグローゼス家の当主様に聞いた方がより詳しいお話が聞けるのでは?」

「どうですかね、どこまで話してくれるのやら」


 少なくともエレファントバーガーは必須。それを抜いても彼にとって彼女は非常にやりにくい存在で、早い話が天敵。


「それでも、目を掛けられているとは羨ましい」

「分かりにくい人ですよ」

「私の上司もそんなのばかりですよ、そちらの白封筒の中に例のリストが入っています」

「多い……知ってるのも何人か」

「仕事で?」

「まあ、何件か」


 数百の名前が記載されている中、何人かは敵対もした相手。表に出せないような話もあり、彼の脳裏にいくつかの苦い記憶が蘇る。


「何せ数が多すぎて、そこからの線は諦めました」

「賢明ですね、騒動を起こすのはいつ頃に?」

「試合終了間際です、負けている方が勝っている方に文句を付けるような形にしようかと。我々はその反対側に、力は届きますか?」

「届きます、俺も調査済みみたいですね」

「いえいえ、実際に目にするのは初めてですから」


 アレッドが視線を転じれば、のどかな田舎道にぽつぽつと家が立ち並び始める。


「ライレフです、試合開始30分前。もう入場もかなり進んでいるでしょう」

「銃の携帯は?」

「我々は一応、貸与も許可されてますのでいざという時には貴方も。使えますよね?」

「型式は?」

「ES-ST3」

「訓練は受けてます」


 アルスぺリアの陸軍も採用しているシンプルな拳銃、軽い上にコストも安くEAEでも女性を中心に愛用者は多い。

 乱戦向きではないが、今回のようなケースであれば十分だ。


「ならば結構、飲み物の持ち込みはOKですので」

「コーラを」

「Lサイズを差し上げますよ」

 

 ライレフスタジアム、収容人数は5万7000人。このスタジアムをホームとするライレフサンダースは12年前に1部落ちした後は2部で苦戦を強いられ続け、今季も中位に甘んじており今や古豪と呼ばれて久しい。

 それでも今もなお、この街の住民は試合ともなれば家族でこのスタジアムへと出かけるのが日常として続いている。


「凄い人だ……」

「これだけいれば多少の騒ぎも不自然ではないでしょう。折角のお休みですし前半くらいは仕事を忘れて楽しまれては?」

「本当に休みなら楽しめたんでしょうけどね」


 一般の入場口ではなくスタッフ用の裏手から場内に入り、会議室の様な場所に通され待たされること数分。


「お待たせしました、どうぞ」

「これは?」

「ライレフサンダースのユニフォームです」


 青の生地に黄色の模様があしらわれた、文字通り雷柄のユニフォーム。


「ちなみに相手は?」

「ケルトユナイテッド、こちらも古豪ですよ」

「もう試合開始ですけど、これ着るんですか」

「貴方はともかくスーツ姿は少し浮いてしまいますから、着替えた方が気分も乗りますよ」

「もしかしてサッカー好きなんですか?」


 これから仕事に向かうとは思えない浮ついた声にアレッドが一つピンときて尋ねてみれば、


「私はこれでも経験者でしてね」


 ユニフォームを慣れた手つきで着こなすエナードがウインクと共に即答され、


「……楽しんでるなあ」


 アレッドは仕事との付き合い方を今一度、考え直そうと決心した。


「うぉおおおおおおおお!」


 男同士の体のぶつかり合い、ボールが弾み青空に映え、ゴールに吸い込まれていくその一瞬。


「ああああああああああ!」


 フィールド上で22人の男たちが躍動感あふれるプレーで観客を沸かせる前半44分、アレッドは非常にハードな仕事に身を費やしていた。


「うーん……」


 エヴァルの姿はどこにもなくアレッドもただ席の上で腕組みをしているだけなのだが、その実は異なる。


「どうです?」

「怪しいのは特に、武器の携帯もありませんしグレムにも動きがありませんから」

「ルーアさんからも特に連絡はありませんし、何が狙いなのか……」


 エナードがアレッドの返しに眉を顰める。公式に発表された観客数は1万8500人だが、その実数は1万7659人。

 これだけの人数の中から怪しい人物を割り出せというのも無茶があり、実際にそれは無茶だった。


「動いてくれるまで待つしかないでしょうね、スコアレスでは観客の盛り上がりも最高潮という訳ではありませんし」

「しかし凄まじい、これだけの人間を見ているのでしょう?」

「どんな人間でもある程度のパターンに分ける事はできますから、後はその中からおかしいのをピックアップすればいいんですけど」


 そんなアレッドの奮闘にも関わらず、その成果は芳しくなかった。いるのは本当に楽しんでいる観客ばかりで、最も浮いているのは誰かと問われれば彼自身と答えるしかない。


「もうすぐハーフタイムか……ちょっと外を見てきます」

「誰か付けましょうか?」

「ご心配なく、後半までには戻ります。もしかしたら今は外でこっちの様子を伺っているのかもしれません、それに」

「それに?」

「いくら俺とルーアでも完全に密閉された空間にいられたらアウトですから、その線も探っておきたいんです」

「このスタジアムにそんな場所は……」

「まあ、念の為です。何かあればすぐに連絡を入れますから」


 アレッドが軽く地を踏む、それだけで彼の体がふわっと浮き上がる。


「ほう……そういう使い方もあるんですか」

「こっちがメインですよ、少し浮いちゃったのは正直ちょっとしたミスですね。自然に歩くのって難しくて」


 そう言い置いて去っていくアレッドを見送って、エナードは視線をフィールド上に戻した。


「確かにスパイラルアーツが欲しがるだけの事はある」


 スタジアムの香ばしい匂い漂う売店を抜け、アレッドが外に出て背を伸ばす。


「ずっと座りっぱなしなのもきついな」


 試合中のせいか、人影もまばら。住宅地からは距離を置いて建設されたスタジアムの為、周囲は駐車場しかない。


「車の中も……銃器の類なら気づくんだけど」


 そもそも、グレムの狙いも分からないままに怪しい人物を探すのにも限界がある。

もう諦めてホットドッグでも口にしようかとアレッドがスタジアムに戻りかけたその時、一台の車が彼の前を通り過ぎた。

 乗っている人物を半ば反射的に判別して、アレッドが車に注意を向ける。若い男と女が一人ずつ、それだけならデートとも思えるが持っている物が極めて物騒だ。


「S-AT7?」


 拳銃ではなく、サブマシンガンに分類される小型の機関銃。取り回しに優れ連射も可能な白兵戦用の銃器であり、サッカー観戦に持ち込める物ではない。


「味方? でも配置図になかったはず」


 柱の陰に身を寄せ、視線に頼らずエヴァルの力を車一台に集中させる。


「何か話してるな」


 ルーアと違い、彼が感知できるのはその動きのみ。口が動いている事が分かったところで、それが人形なのかロボットなのかの判別もできない。


「とにかく出てこい、話はそっから――」


 と意気込んだアレッドが降りてきた人物を目にして、息を呑んだ。

助手席から降りてきたのは白のローブを頭から羽織った女性らしき人物。まるでどこかのファンタジー小説から抜け出てきたような格好だが、彼が息を呑んだ理由は彼女にではなかった。


「ジュリウス……?」


 濃い茶の髪に意志の強さを示す凛とした瞳、以前はよく性別を間違われていた中世的な容姿そのままに大きくなったジュリウスがそこにはいた。


「スーツかよ、どこの所属だ?」


 迎えなのかスタッフらしき人物と一言二言交えた後、アレッド達とは違う通路から入っていく。


「VIPかよ、大した待遇――」


 だな、と追いかけようとしたアレッドの足は携帯の着信によって止められた。


「そのまま追いかけてどうする気?」

「……仕事中じゃないのかよ」


 ルーアの指摘に、アレッドが追跡を諦めジュリウスが乗っていた車の傍まで歩を進める。

細かな違いはあるものの、アレッドの乗ってきたものとそう違いはない。


「トイレって言って抜け出しちゃった、ずっと傍にいたら気が狂いそう」

「俺の音まで聞いてたのか?」

「あんたのその状態の音は誰よりも目立つの、前も言ったでしょ?」


 車内には物一つなく、これが彼らの私物でないとアレッドは推測を立てた。彼らもアレッドと同じく、仕事中の公算が高い。


「この音……銃器?」

「S-AT7、この目で見た」

「……テロ?」

「その可能性はないと思う、持ってたのジュリウスだった」

「ジュリウスって、あのジュリウス・シュバルマン?」

「そのジュリウス」

「分かった、そっちに私の力も絞ってみる。あんた最後にあったの何年前?」

「3年前、あれから一度も会ってない」


 車の車種、ナンバーを控えてアレッドがその場を離れる。ロックを解除しようと思えばできなくはないが、あまり痕跡を残したくはない。


「相手は知ってるの? あんたがここにいるって」

「どうだろうな、もう一人も誰か気にな――」

「待って、グレムが動いた」

「動きがあれば連絡くれ、俺は席に戻ってる」

「同行できるか分からないけど、できるだけ頑張ってはみるから」

「了解、また後で」


 再入場してみればハーフタイムもそろそろ終わるのか、買い物やトイレを済ませた観客たちが席に戻っていく。

 エナードもどこかで休憩しているのか姿がなく、ルーアの言う通りグレムの姿もない。


「グレムはともかくエナードさんまでか」


 何もできずやきもきするアレッドを余所に後半の始まりを告げるホイッスルが高々と響いた、その瞬間。強烈な発砲音がスタジアム中に響いた。

「銃声!?」


 誰もが次の行動をどうするか決めかねる中、改めてアレッドがスタジアム中に力を張り巡らせるが感知できる銃器は2種のみ。

 一つはエナード達が持つ物で、もう一つはジュリウス。


「けどESシリーズはここまで銃声が重くないはず、もしかして録音してどっかで再生してるだけか?」

「何だよあれ!」


 ただのはったりかもしれないとアレッドが考えを改めようとして、観客達の声によってすぐにその考えを捨てた。この試合、余興を一つ用意した。

 試合の情報が表示されているはずの電光掲示板に、赤い文字で表示された一文。その一文にスタジアム中の視線が集中する中、続いて表示された一文にアレッドの背筋が凍った。

 全ては亡き、アラン・シックルの為に


「……まずい」


 選手、観客、スタッフその全員がその一文の意味を理解しあぐねている中、アレッドは席から離れ通路を走っていた。

背筋に嫌な汗が流れ、先の文章が頭の中を駆け巡っている。


「エナードさんは……出ない、どうなってんだ? ルーアは……こっちもかよ」


 力を張り巡らせたところでどこに人がいるかは分かっても、その判別は容易ではない。

アーツと共にいるルーアの特定は容易いが、電話に出られない状況下にいる彼女との接触が吉と出る保証はない。


「とりあえず動いてるし大丈夫そうか、他に簡単そうなのは……」


 と、考えてアレッドは歩を外へ進めた。大半の人間とは明らかに違う物を携帯している、となれば銃器が最も手っ取り早い。

 とはいえエナードを始め拳銃を持っている人物の反応は複数。その中の誰が味方で誰が敵か分からない以上、確実な人物に当たるしかなかった。


「確かこっから入っていったよな」


 試合は通常通りに行われているのか時折スタジアムに歓声が上がるが、アレッドにとってはあまり好ましくない状況だ。


「あんなのあったんだから少しは警戒しろよ」


 アレッドの読み通り、通路の先に何人かの反応が返ってきたのを感じて彼は歩を止めた。

通路の中央に男が一人、その先に扉が三つ。それぞれに何名かいるが、まずはジュリウスだ。


「どうっすっかな、強行突破……ん?」


 念の為にほかの二つの部屋も見たアレッドが返ってきた反応に眉を潜めた、アイアの反応。ということはその傍にいるのは、主だ。


「あいつがさっき歩いてた場所ここまで繋がってるのか?」


 とはいえ、いる事が分かってもここからでは連絡の取りようもなく。


「仕方ない、ルーアには察してもらおう」


 連絡が通じないのであれば、とアレッドが彼女に繋がっているであろう扉をコンコンとノックした。

もちろんそれはアレッドの手ではなく、エヴァルの力によるものだが。


「何かありましたか?」

「よし」


 予想通りルーアが顔を出し、何やら男と少し会話を交わした後に男が扉の向こうへと消えていく。


「はい出てきなさい泥棒さん」

「泥棒ってなんだよ、こっちは何が何だか分からない中ここまで来たってのに」

「あんまり出てきて欲しくはなかったけど、あんたなら来ると思ってた」

「で、どういう事だよ?」

「今からちょっと話してくるから、あんたこれ持ってなさい」


 少し疲れた表情のルーアが奥の扉を指し示し、小型の黒い機械をアレッドに手渡す。

あれだけ嫌がっていた仕事にもかかわらず、彼女はここまでつつがなく仕事をこなしていた。


「盗聴器? 俺も入るってのはできないのか?」

「この場にいるアルスペリア側の人間で存在を察知されていないのあんただけなの、こう言えば分かるでしょ?」

「……もしかしてエナードさん」

「中にいる。想像以上の大物だったってこと、私だって緊張してるんだから。どんな立場の人物か分からないけど、手の内は隠しておきたいの」

「理解した、どこにいればいい?」


 あまり長居もできないが、かといってここまで小型では離れすぎては受信できなくなる。


「一旦、どこかに隠れて……20分後くらいにスタジアムに着いた風を装いなさい」

「あの表示を見て急いで駆け付けたってか? そこまでジュリウスが読むか?」

「来るでしょ、お互い何年の付き合いよ?」

「でも俺なんて前半は呑気に応援してたんだぜ? 相手も俺がいるって分かってるだろ?」

「あんたが前半ここにいてもいなくても彼らはどっちでもいいのよ、後半にいてさえくれたら。あのメッセージの意味、あんたにはよく分かってるはず」

「……この場所はエナードさんが指定したんだぞ? どうしてそんな簡単にそいつらの都合のいいように事が運ぶんだよ」


 これでは全てジュリウス達の掌の上だが、アレッドすら計画を知ったのは今日。

加えて、スパイラルアーツのあれは綿密な打ち合わせの元にしか成り立たない。それを知っているからこそ、ルーアもこう返すのが精一杯だった。


「隠れてなさい、私もまだあまり状況を把握してないから。聞いた上でどうするかはあんたが決めればいい」


 アレッドがやや距離を取った天井の裏に身を潜めたのを見計らって、ルーアが扉をノックする。


「はい」

「ルーア・リヒテッドです」

「どうぞ」

「失礼します」


 ドアの向こうから聞こえてきた澄んだ男性の声に答えて、ルーアが一つ息を吐いてノブを捻る。

中にいるのはエナードとジュリウスとグレム、そして得体の知れない女性が一人の計四名。


「巻き込んですまないね」

「いえ」


 エナードの小さな謝罪に短く答え、ルーアが部屋にいたアイアを抱き抱えた。


「いい子ですね」

「ありがとうございます」


 白いローブで覆われ、その容姿の一切が窺えない少女に一応の敬意を持ってルーアは椅子に腰を下ろした。

 普段は物置なのか部屋の奥には備品と思われる段ボールが転がっており、使えるのは簡素な椅子が二脚だけ。VIPを迎え入れるにはあまりにも粗末すぎる部屋の中で、グレムとジュリウスは文句一つなく壁際で彼女の様子を窺っているばかり。

 ルーアでなくとも気味が悪いとしか言えない空間だった。


「わざわざすみません、お仕事中でしたか?」

「いえ、それで私は何をすれば?」


 誰に問いかければいいのか判断の付かぬまま、ルーアは名も知らぬ少女に問いかけた。どう見てもキーマンは、彼女以外にありえないと彼女の勘が告げていた。


「お手伝いをして頂ければそれでよいのです」

「お手伝い?」

「はい、今日は私の力を彼に示す日ですので。そして、彼がその力を私に示す日でもあります」

「彼とは?」

「アレッド・ハートレッドさんです」


 扉の手前に立っているエナードが軽く咳払いをし、ルーアが姿勢を正す。ここまでは彼女らも想定内であり動揺もない、問題はここからだ。


「アレッドは私の同僚ですし、そちらにいる――」

「ええ、ジュリウスの友達ということでよくお話を聞いております」

「失礼ですが、ジュリウスさんとは?」

「志を同じくする者、とお答えしておきましょうか」


 非常に落ち着き払った声に、ルーアが追及の矛先を変えた。グレムが動くだけあって、ルーアに負けず劣らず感情の読めない相手。

 であればやりやすそうなのは、寧ろ表面上だけは落ち着き払っている彼の方が相手としては容易い。


「アレッドは来ると思いますか?」

「……どうでしょうか」


 心拍数上昇、とルーアが心の内で手ごたえを掴む。アイアの力をコントロールし、ジュリウスのあらゆる変化を見逃さない態勢を整え追撃に入る。


「あんな大掛かりな手紙を送らなくても、電話一つで彼はここに来たと思いますよ」

「あれは私のみの判断ではありません」

「大切そうに握りしめてますけど、その銃は宝物か何かでしょうか?」

「……」


 返ってきたのは沈黙。その間グレムは何のアクションも示さず、少女も黙って見守るのみ。それでもルーアにとっては十分だった。


「私に向けられては困ってしまいますから、できれば目の届かないところに置いて頂けると助かるのですが」

「私は貴方に行動を指示される立場ではありません」


 力を手にしたばかりの子供、これがルーアが抱いた印象だった。アレッドやリーフに比べ数段落ちる、楽なのは結構だが歯ごたえがなさすぎる。


「では誰の言うことなら聞くのでしょうか?」

「……少し、席を外します」

「すぐに戻ってきて下さいね」


 立ち去ろうとしたジュリウスの足を止めて、少女は彼の手を取った。透き通るほどに真っ白な手は、ルーアやエナードから見ても不自然なほど生気がなかった。


「貴方は私にとって必要なのですから」

「すぐに戻ります」

「そう苛めることもない、彼はまだルーキーなんですから」

「少し緊張しているようでしたから、緊張をほぐして差し上げようかと思いまして」


 静かに扉が閉じられた後、グレムが苦笑と共にルーアの身体に舐めるような視線を向ける極力、嫌悪感を抑えてはいるがこれがずっと続くようでは体力よりも精神が持たない。


「直に落ち着くでしょう、この方がいらっしゃる限り大丈夫。君達はここにいるだけで結構、変な動きはしない様に」

「もちろん、心得ております」


 エナードが一礼して部屋を後にし、グレムもルーアの肩に手をぽんと置いて退席していく。


「二人きりですね」

「…ええ」

「そう緊張なさらないで、彼に対して危害を加える気はありません」


 少女の声帯があるはずの位置が何の動きもなく、声の抑揚も抑えられている。人形か、と疑えど脈拍は正常値。


「すぐに全て分かります、すぐに」


 その正体を図りかねる中、スタジアムでは今日最大の歓声が響いた。


「……どうしたもんかな」


 天井裏で窮屈な態勢を強いられていたアレッドはグレムとエナードを見送った後、下に降りていた。

出てきたそれらしい言葉は力を示す、との意味の分からない抽象的な言葉のみ。これでは動きようがない。


「やっぱり、言う通りにしておくしかないか」


 先の歓声は彼にも届いており、ホームチームが先制ゴールをあげたことはすぐに理解できていた。


「にしても」


 と、通路を逆戻りしながら先のルーアとジュリウスの会話を思い返す。


「ルーアがよほど怖かったのか、あるいはそれだけ大きな作戦を控えてるのか」


 彼らしくない、とアレッドは感じていた。動揺は彼にも手に取るように分かり、余計なことまで口にする始末。


「まだ気にしてんのかな、あのおっさんの肩持つ訳じゃないけどあんまり苛めるなよ」


 この少し多い独り言はルーアに向けられたもの、外に出てみれば追加点が入ったのかまた大きな歓声が彼の耳に届いた。


「勝ちそうだな」


 後半も残り20分、本来なら嘘の暴動に備えているはずの時間も今は昔。


「それは喜ばしいことなんですがね」


 アレッドが振り向けばスーツ姿のエナードが苦笑を示しつつ、レプリカのユニフォームを名残惜しそうにスタッフに手渡している。


「待っててくれてありがとうございます」

「聞いていていたのでしょう?」

「一通り、とんでもなさそうですね」

「ええ、まあこういったケースも想定内ではありますから。これだけの大観衆の目があればそこまで大それたこともできないでしょう」

「あの子、何者か分かります?」

「調査中です、ただどうやら正規のルートで来たようではなくてですね」

「グレムとも違うんですか?」

「違いますね、この国の発着記録を全て当たっているところです。飛行機は隠せても、滑走路はこの国は7本しかありませんから」


 他国への行き来は飛行機が大半であり、客船は今や金持ちの道楽か貨物が精々。陸路はない為に他の国よりも手段の特定は容易だが、例外があることもまた事実。


「俺はスタンドにいます、その方がいいですよね?」

「我々は外と中それぞれに、増援も手配してるんですが……」

「その口ぶりだと、まさか」


 思わせぶりな言葉にアレッドが尋ねると、返ってくるのはアレッドの想像通りの返答。


「あまり上からの食いつきがよろしくない」

「……知ってるんでしょう、どんな力を持っていようと単独で入国するなんて不可能です」

「だとすれば、調べるのも徒労に終わるでしょうね」

「できれば、今日のこれも徒労に終わってくれるとありがたいんですけどね」

「チームの勝利とともに祈るとしましょう」


 その言葉を最後にアレッドが向かったのはスタジアム、ではなく入場窓口。本来ならチケットの販売時間は終わっている頃合いだが、一つの予感があった。


「すみません、チケットを一枚。場所はどこでもいいですから」

「どうぞ、リフィア様からお預かりしております」

「ありがとう、ところで彼女はどこにいるか知ってます? 連絡が取れなくて」

「いえ、私はただこちらをアレッド様にと」

「はは、言葉が足りない子ですいません」

「……ご丁寧だな、こっちは名乗ってもないのに」


 何も知らないままここに来たら、その時点でアレッドは相手に聞いている。そんな不自然な対応をした理由など、彼には一つしか思い浮かばない。


「最初からいるって気づいてるならあんなややこしい真似するんじゃねえよ」


 手渡されたチケットはホームのゴール裏、先の部屋とは正反対の位置。


「ジュリウスに何を吹き込んだか知らねえが」


 瞳に宿る怒りを仕舞い込んで、アレッドが地を蹴った。それも全て、終わった時に聞けばいい。


「ここ、だよな?」


 ゴール裏、ホームチームのファンで沸き返っている中を抜け見つけた席を見て、アレッドは露骨に嫌そうな表情を前面に出した。

 それこそ特等席とも呼べそうな一番前の席が一つだけ、ぽかんと空いている。


「これならさっきの席の方がよかったかな」


 敢えて相手の狙いに乗った形だが、ユニフォームを着ていてなおその罪悪感は果てしない。


「いつから読まれてたんだよ、こんなのすぐに用意できる場所じゃない」


 チケットの販売時期すら知らないが、予約開始すぐに埋まりそうな席だ。そこがずっと開いていたというなら、それは偶然ではない。


「後半38分、点差は2点……」


 アレッドの視線の先で、ボールが高く蹴り上げられた。太陽に届かんとばかり高く高く上がったボールを追って観衆の目線が上に向き、そして視界から消えた。


「は?」


 声を思わず挙げたのは彼だけではない、選手達も足を止め何事かと見上げるばかり。


「ボールが消えた……?」

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