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テクニカルアーツ  作者: 乾紅太郎
第一章 黒き龍と新緑の少女
11/16

誰も知らない、どこか

「……生きて、るよな?」


 目を開ければ飛び込んできたのは満点の星空、隣ではエヴァルが主の目覚めを喜んでか尻尾をぶんぶんと回している。


「えっと、スタグレ回避しようとして」


 そこからどうなったか、記憶が定かでない。窓から何かの弾みで飛び出したにしては、周囲の景色に違和感がある。


「ミケル!」


 呼んだところで返事はなく、あるはずの車も道路もどこにもありはしない。


「本格的に迷子か……置いてかれたか? えっと時間は……え、圏外!?」


 目を疑い、機械を疑い、電源を入れ直し、再び表示される圏外。そして何より、彼が意識を失ってから5分と経過していない。


「ここアルスペリアだよな!?」


 国内はおろか大陸であろうと機器の仕様には問題ないはずだが、現実は画面の通り。アレッドと世界を繋ぐ線は完全に途切れていた。


「エヴァルだけが救いか、野宿はいいけどとりあえずここどこだよ」


 星を眺めたところでアレッドに星座の知識はおろか、星の知識すらない。月が昇ってきた方角から東西南北は分かるが、それが分かったところで根本的な解決には繋がらない。


「日付が変わらない内に何とかしたいけど、圏外だもんな……本当に奥地なんだな」


 ただただ続く草原に、街灯の一本もない。


「エヴァル、もう少し頑張ろう」


 地を蹴り、加速。何が起こったか分からないことだらけだが、とにもかくにもここから動かなければ始まらない。


「まずは……っと!?」

「わっ!?」

「おわっ!?」


 相手の声に慌てて止まり、辺りを見回すこと数秒。どこにもいない、と首を傾げるアレッドのシャツが引っ張られた。


「ん?」

「……おじさんは、誰でしょうか?」


 年齢はアレッドから見て13、4を超えたくらいだろうか、ショートの髪を小さく後ろにまとめた子供が不思議そうにアレッドを見上げていた。


「18なんだけど、君は?」

「じゅうはち? 変な名前ですね」

「違うそれは年齢、名前は……」

「名乗れない様な立場なんですか?」

「ミケル」


 ここで躊躇えば怪しまれる、と適当に名前を言ったところで結果は見えていた。


「嘘ですね」

「ど、どうしてそんなこと言うのかな?」

「最初にはっきりと答えられない人は、その間にどんな嘘をつこうか考えている人です」

「アレッド、君は?」


 淡々と答えられては、彼も諸手を挙げて降参するしかない。ここで誰かと出会えただけ奇跡的、従順な姿勢を見せておかないとまた一人ぼっちだ。


「リア、本当に来たんですね……」

「リア?」

「はい、お姉ちゃんに付けてもらった名前です。お姉ちゃんの名前から取ってもらいました」

「お姉ちゃんがいるのか?」


 家族がいるなら、近くに村でもあるのかもしれないとアレッドの期待が高まる。


「今はいませんが、遠くにいると聞いています」

「あ、そう。でも家は近くにあるんだな?」


 夜に10歳位の女の子の家を尋ねる18歳の男、何やら事案になりそうな光景だがその方が助かるのというのも何とも情けない。


「はい、ですがここに何の用ですか? ここは化け物の集う場所、力の無い者がいても食われるだけです」

「化け物なんてそんな旧時代のお伽噺だろ? そんなのよりアーツの方がよっぽど――」

「いますが」


 振り向けばそこは、お化けランドだった。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「あれは大人しいので襲ってきません」

「大人しい?」


 再び振り向いて状況を確認すると、白く大きな熊が鰐の様な口を開いて片手を挙げていた。やあ、元気? みたいな。あるいは、今日って月曜日? の様な。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「臆病なんですね」

「いや、あれはないだろ」


 走りに走り、逃げに逃げ、アレッドは振り切ることに成功していた。端から相手が追ってきていたのかどうかも怪しいが。


「もういいですか?」

「ああまあ、な。ごめん、思わず抱えちゃって」

「丁度こっちが家ですが、どうします?」

「どうしますって?」


 文句も言わず、首を横にちょこんと傾けながら発した問いの意味が分からずアレッドが逆に問い返すと彼女は木々の向こうを指さした。


「来ますか?」

「行っていいのか?」

「はい、中の子も一緒に」

「どうして分かった?」


 思わぬ幸運、と喜んだアレッドの表情に警戒の色が表に出る。エヴァルは未だ体内に入ったまま、先の走りでも光の表出はそれほど目立っていた訳でもない。


「前に来た人が、アレッドって人がここに来るって言ってましたから」

「俺の他にも誰か来たのか?」

「ジュリウス、そう名乗っていました」


 風が、そよいだ。


「おお、お湯が出る」


 リアに連れられ、アレッドが迎え入れられたのは古びた木造二階建ての家。まずはお風呂、と言われるがままに服を剥ぎ取られ彼はひとまず落ち着きを取り戻していた。


「しかし何だあれ、あんなの見たことないぞ」

「ここに着替え、置いておきますから」

「ありがとう!」


 言葉が通じることから他国の可能性は考えにくく、お湯が出るのであればインフラが整備されているのも間違いない。


「けど、家に入ってからも圏外は変わらなかったな」


 洗面器の中で苦行に耐えるかのように身をプルプルとさせているたエヴァルが、10を数え終わって飛び出す。常時あらゆる方向からランダムに力が加わる液体は空気と違って制御が難しいようで、エヴァルのお風呂はいつも短時間だ。


「まあ、風呂に入れただけでも良かったか」


 風呂から出れば、アレッドの鼻孔をくすぐるいい匂いが漂ってくる。


「出たらそこで待ってて下さい、お腹は空いてますか?」

「なあ、俺まだ名前しか名乗ってないんだけど」


 嘘を見破る冷静さを持っている割に、アレッドが罠かと思うほど妙に警戒心が薄い。

 加えて他に住人らしき人物も見当たらず、全てが作り物めいている。


「一人で住んでるのか?」

「アレッドさん、ここには自分の意志で来ましたか?」

「……いや、だから困ってた。正直、君に会えてほっとしてる」

「実は先週まで二人でした、私で最後だと思ってたんですけどまだいたんですね。アーツが一緒なのは初めてですけど」

「何の事だ?」


 エヴァルが場の緊張感からか、アレッドの膝の上に乗ったまま視線をリアから逸らさない。ただそんな警戒も意に介していないのか、リアは机の上にお皿を並べてまたキッチンへと戻っていく。


「今日はお肉なんです、好きですか?」

「ジュリウスが来たって言ってたよな?」

「はい、最後に来たのはずっと前ですけど」

「ずっとって?」

「ずっとです」


 どこかはっきりしない回答しか得られぬまま、アレッドの前にステーキが置かれた。サラダまで加われば、本部で食べる物と遜色がなくなる。


「どっから調達してきたんだ?」

「どうなんでしょうか、誰かと食べるご飯は久しぶりなので。奮発してくれたのかもしれません」

「そうだ、ここ電話は?」


 埒が明かないとばかりにアレッドが話題を変える、せめてその調達してくれている誰かと話せればと思ったのだが。


「使えません、使う必要あるんですか?」

「いや、ほら誰かと連絡とらないと」

「どうして?」

「いや、重ねて聞かれても」


 当てが外れたか、とアレッドが言葉に詰まる。リアの考えていることが、全く推測できない。


「意味がありません」

「そのいなくなった子はどこに行ったんだ?」

「誰もが最初は気にするんです、私もそうでした。どうして私はここにいるんだろう、お母さんはどこに行ってしまったんだろうってそんな事ばかり考えてました」

「君はいつからここに?」

「とりあえず食べましょう、きっと一か月後には貴方が説明しなくちゃいけませんから」


 リアが食べ始めるのを見てから、アレッドは恐る恐るそれを口に入れた。


「美味しい」

「ありがとうございます」


 淡々とお礼を告げるリアに、アレッドはもしゃもしゃしながら疑問点だけが募っていく。何かの特殊な施設なのか、あるいは全てリアの妄言か。

 古いとは言え住むには申し分のない環境、それとは対照的な感情の薄い少女。こんな光景を見たことがあったようなと思い浮かべて――。


 ――所詮、この世界は嘘ばかり――


「どうしました?」

「いや、ごめんちょっとぼけっとしてた」


 浮かんだ光景を振り払って、アレッドが皿を片づけようと立ち上がって初めて明りの下で少女の首元を見た。


「……そういうことか」


 このタイミングであの時を思い出したのは偶然ではなかった。アレッドにとって決して忘れ得ぬ記憶が、こうして現実として現れたのだから。


「見たんですね?」

「隠す気もなかったようだけど?

「いつか、貴方もこうなりますから」

「俺をここに連れてきた奴は多分、そうは思ってないと思う」


 力を家の中、全てに張り巡らせる。通常の人の持つ感応波は微弱、それは例えキメラになっても強化されることはないが人の感知だけが目的であればそれで十分。

 サッカースタジアムよりも遥かに狭い面積を対象とするのであれば、その精度は更に高まる。


「下か、地下があるんだな? 何人かいる」


 役目を終えたエヴァルがアレッドの足からひょっこり顔を出すと同時に、アレッドはこの場所に対する一つの結論を出した。


「リアって名前だったな、そうかリフィアとか言ってたもんな。なるほど、携帯も通じない訳だ」

「お姉ちゃんを知ってるんですか!?」

「初めて感情が動いたな、知ってる。それにもしかしたら」


 先の索敵で階段の場所もはっきりしている。後は実際に目で見て進むだけ、あの時と同じ様に。


「またそのお姉ちゃんと会えるかもしれないぞ」


「暗いので気を付けて下さい」

「電気とか通ってないのか?」


 暗い階段を手探りで降りていく中、15段目を数えた辺りでリアが立ち止まった。


「この先ですが、直視できます?」

「隠しておくのは卑怯だから言っておく、それ俺3年前に経験した」

「……はい?」

「その因子は2歳以上には適合しないって話だったんだけどそうか、3年も経ったんだもんな」


 突然変異か、あるいは誰かによって作り出されたか。その辺りはリーフが既に突き止めているはず。その辺りの対策は彼に任せ、アレッドはアレッドの出来る事をするだけ。


「一体、何者なんですか?」

「言ったろ? アレッド・ハートレッド」

「名前しか聞いていませんでした」

「照明が無いなら持ってくる、見たくないというのなら俺一人で見るけど。どうする?」

「説明役は私です、取ってきますから待ってて下さい」

「そっか、それとそれくらいの方が俺も話しやすい。ロボット相手にしてるみたいで気持ち悪かったからな」


 少し感情が動き始めた彼女を走っていくのを見送って、まだ見えない暗闇に彼はそっと話しかけた。


「ごめんな、間に合わなかった」


「持ってきました」

「懐中電灯? 何か最近こういうのよく見るな」

「こういうの?」

「初めて使うんだよ。おお、光った」


 電池式の懐中電灯、そもそも電池が使用されなくなって早数年。それ以前の記憶がない彼にとって、この感覚は新鮮で興味深いものがあった。


「向けるのは私ではなくて向こうです、覚悟した方が――」

「いい、彼らに失礼だ」


 白い何かが、子供の体を覆うようにして被さっている。もぞもぞと動くそれは、痩せこけ人だったモノをその最期まで食らい尽くす。

 骨の一つも残らず食らい尽くせば、それはまた別の宿主を探して繰り返す。その決して長くない寿命が尽きるまで、何度も何度も繰り返す。


「終末期か、もう長くないな。一週間前までいたって言ってたの、あの子か?」

「本当ならあのステーキ、一緒に食べるはずだったんです」


 この檻の中でどれだけの人が食い尽くされ、そしていくつのキメラが朽ち果てていったのか。


「君はいつからここにいるんだ?」

「覚えてません、100を超えたところで数えるのを止めましたから。ある日ここに連れてこられて、その時は私のほかに4人いました」

「ずっと見てきたのか」

「一人じゃありませんでしたから、でも……お姉ちゃんはずっと一緒だったんです。私が来る前からここにいて、それから誰がいなくなっても私だけはいるからって。最後まで私が一緒にいるからって、そう約束して」


 そこで言葉は途切れた、アレッドも促そうとはしなかった。その記憶はリアとリフィアだけのもの、そしてそこで終わらせていいものではない。


「そうだよな、幾らなんでも圏外ってのはおかしいよな」


 国内において、電波が通じないというのは何かの干渉なしには有り得ない。そしてこんな広範囲に影響を及ぼせるアーツなど、彼にはバルデルしか思い当たらない。


「俺だけは対象外ってか? ありがたいな」

「あの、何かおかしいんですか?」

「どいつもこいつも俺に何をさせたいのやらって思ってな、次に会ったらどうしてやろうか……」

「あ、あのっ!」


 リアの手を引いたまま階段を駆け上がるアレッドが、外に出て思い切り叫んだ。


「いるんだろ! 出て来い!」

「わぁ……大きい」


 アレッドの予想通り現れた黒龍だったが、リアの反応は予想からは外れていた。目が見開かれ、アレッドの手を握る力がきゅっと強まる。


「あれ? 見るの初めてか?」

「こんなの、ここにはいません」

「まさか野生化したのが手当たり次第に取りついてんのか? いや……もしかしてそういう実験場なのか」


 先ほどの熊もどきを思い返してアレッドが様々な考えを巡らせるも、それもリーフに調べてもらえばいいこと。連れてきた犯人が分かった以上、何度でもここには来られる。


「次はどこへ行けばいいんだ? お望みの所へ行ってやるよ」

「あの……私は」

「残ってもいいけど、ここにそのお姉ちゃんは戻ってこないと思う。戻って来ても、それはもうお姉ちゃんとは呼べない何かだと思う」

「でも、私はもう」


 掴んでいた手を放して、アレッドがしゃがんでリアに視線を合わせる。


「100日以上も症状が止まっているなら、君はきっと特別な何かだ。多分、俺とは比べ物にならないくらいの」

「お姉ちゃんの居場所、知ってるんですか?」

「いや、でも二日連続で会ったんだ。俺は行くけど、どうする?」


 中のあの子はもう助からない。それは彼が口に出すまでもなく、また出すべきことも出なかった。それを考えるのも、選ぶのも全て彼女だけに許されたこと。


「行きます、行かせて下さい」

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