馬頭の嘶き、死を呼ぶ旋律
幻怪戦士たちは、駿河の山道で鬼の部隊の襲撃を受けた。
火を噴く赤鬼と、地獄の獄卒の一角・牛頭を何とか制した一刀彫の雅、蝦夷守龍鬼、河童の煤。
一方、からくりの裕は、青鬼の毒ガス攻撃に倒れた花魁の悦花を庇いながら、最強獄卒・馬頭に対峙していた。
波動によって自在に矢を操る裕。
青鬼たちを殲滅した彼の前に、冥界の獄卒の頂点に立つ馬頭が立ちはだかった。
矢を構える裕。
「さあウマ野郎、覚悟しやがれ」
「ふふ、青鬼の毒ガス攻撃に対して防毒面とはな」
マントを翻しながら、馬頭の大きな蹄が地面を蹴り上げた。
「余興はここまでだ」
「ああ、さっさと終わらせてやるよ」
呼応して叫んだ裕にとって、真上に飛び上がった馬頭はいい標的。
「座標設定完了っ」
遮るものもなく、裕の脳内ではじき出される物体落下の位置計測に狂いは無い。 裕のゴーグルに映し出された丸い照準を囲む矢印が赤く点滅している。
「敵を捕捉。もらった」
計十本の矢が、裕の手から放たれた。指先から矢じりへ、糸を引くような波動の線がキラリと輝いて見える。上空から飛来する馬頭に向かって速度を上げながら、左右から挟み撃ちするように空気を切り裂き幻ノ矢が進む。
「逃がしはせん」
幻ノ矢は裕の指先の動きに反応して遠隔操作される。
しかし馬頭は眉ひとつ動かさない。
「ああ、逃げなどはせぬ」
両脚、両腕、両肩、胸、脇腹。左右から次々に幻ノ矢が、空中の馬頭に突き刺さった。
「ぬるいな、これしきの矢」
馬頭は顔を紅潮させ、全身の筋肉をぐっと膨隆させた。
「なにっ」
突き刺さったはずの幻ノ矢は、馬頭の身体から滲み出る黒いオーラによっていとも簡単にはじき出されてしまった。十本の幻ノ矢はもはやただの棒切れの如く、ゆらりと地面に落ちる。
落ちてきたのは矢だけではない。青龍偃月刀を振り下ろしながら裕の頭上を影が覆う。
「あっ」
驚き、そして油断。裕が慌てて飛び退いた距離よりも、馬頭の刀のリーチは長かった。
「うがっ」
額から下へ、ゴーグルを真ん中で切り裂き右肩に至る線条が、湾曲した刀身に沿うように刻まれた。少し間を置いて、真っ赤な飛沫が噴き上がる。
「がははは」
大股でゆっくりと近づいてくる馬頭。
「逃げ足だけは速いな」
裕は震える手で右肩を抑えながら、迫る馬頭を睨み上げながら後ずさりする。
「矢が、矢が効かないとは…」
「ふっ、俺をそこいらのオニと一緒にするんじゃねえよ」
「ちっ」
至近距離から投じた複数の幻ノが地を這うようにして進み、舐め上げるように馬頭の胸元に迫る。
「こんなもの」
青龍偃月刀の長い柄がクルリと回転し幻ノ矢を次々と打ち払う。矢に込められた光の波動は馬頭が放つ黒い闇の波動の前に、火が消えるように萎んでしまう。
「まだまだ」
同時に上方に放った矢が、馬頭の脳天めがけて急降下。
「俺の目に死角は無い」
馬頭は青龍刀を真上に掲げ、迫る幻ノ矢に叩きつけた。キンという短い金属音を何度か響かせ、矢は力なく落ちた。
その隙に裕は馬頭の背後に回り込んで距離をとっていた。
「この間合いなら」
サッと弓を構えて幻ノ矢をつがえる。力の限り、弦も切れよとばかりに弓を撓らせ矢を射った。唸る三本の矢。
「だから」
馬頭が振り返りざまに突進してきた。
「言ったろう、俺の目に死角は無い、と」
太い脚で泥を蹴り上げながら、向かってくる矢を一本、二本、そして三本とも刀の柄で叩き飛ばした。
「そして、そんな矢は効かぬ、とも」
気づけば馬頭はもう目の前。裕が慌てて矢を手に持ち振り下ろされる青龍偃月刀に合わせる。
「うっ」
だが馬頭の突進の勢いと長い柄の遠心力が生み出す力の前に、幻ノ矢は魚の小骨のように簡単にポッキリと折られてしまう。裕の鼻先を青龍刀の切っ先がかすめる。
「ふっ、次はその鼻を切り落としてくれる」
勢いを止めず、青龍刀を左下から切り上げる馬頭。裕は反射的に身をぐいと反らして刃先をやり過ごすが、刀が生み出す風圧に押されそのまま後ろに倒れこんでしまった。
「死ね」
真上から青龍刀が振り下ろされる。一瞬早く裕の両脚が地を蹴った。くるりと後方に回転し身構える。力強く振り下ろされた馬頭の青龍刀は勢いよく地面に切り込み、岩盤に刃先をめり込ませた。地鳴りとともに黒煙が立ち上る。
「む、むっ」
あまりの勢いに、めり込んだ青龍刀が抜けない。
「今だっ」
飛び込んだ裕。矢櫃から幻ノ矢を取り出しながら正面から馬頭めがけて一直線。突き出した右手の先の矢は正しく馬頭の眉間を突いた。
「な、何いっ」
驚きの声を上げたのは裕の方だった。鏃は皮膚を軽く舐めただけで跳ね返され箆は中途で折れてしまった。
「まさか」
固い皮膚、なにより馬頭の身を覆う闇の波動のオーラが堅固なバリアを形成し攻撃を寄せ付けない。
「何度言えば判る」
鼻の穴を大きく広げ、嘶きながらぶるぶるっと首を震わせた馬頭。
「そんな玩具で俺は倒せん」
両腕の血管を怒張させながら馬頭は足元の岩盤ごと青龍刀を引っこ抜いた。渾身の力で地面にたたきつけ岩盤を粉々に砕くと、馬頭は頭上高く青龍刀を構えた。
「お遊びは終わりだ」
砕けた岩盤が飛び散らせた細かい石つぶてを全身に浴びながら裕は慌てて後退する。
「逃がさん」
再び飛び上がった馬頭が襲い掛かってくる。功を奏さぬと知りつつも幻ノ矢を投じるより他はない。そうやって多少なりとも時間を稼がなければあっという間に追いつかれ、青龍偃月刀に切り裂かれてしまうだろう。
「さあ小僧、まだ逃げる気か」
右、左、と空気を歪ませながら振り下ろされる馬頭の刃をすんでのところでかわしながら逃げ惑う裕。そのまま樫の木が立ち並ぶ林に逃げ込んだ。
「ええいっ」
飛び上がって木々の高枝、色付く葉の重なりの中に身を潜める。降り注ぐ雨の匂い、そして葉を打つ音が気配を消してくれる。
上下左右、大きな目をぎょろぎょろさせながら馬頭が林の中をうろつく。
「逃げてどうする、小僧。お前にゃ勝ち目は無えぞ」
馬頭が放つ闇のオーラにおののいた山鳥が飛び立とうとした。ガサガサっと高枝が揺れる。
「そこかっ」
瞬く間に横一文字に振られた馬頭の青龍刀が太い幹を真っ二つに切り裂いた。ゆらりと倒れる巨木。すかさず飛び上がった馬頭は空中で刀をクルリと一閃させた。
「ちっ」
縦に二つに割れた山鳥の亡骸が雨とともに地面に叩きつけられた。
「次はお前だ」
馬頭は鼻息を荒くした。時折強くなったり弱くなったりする雨粒が奏でる林の木々のオーケストラの僅かな音の変化を聴き逃すまいと、大きな耳を前後左右にピクピク動かしながら。
「さあ、どこに隠れた…」
シュッ、と馬頭の前の空気が揺らめいた。
「ぬっ」
馬頭は眼前に投じられた幻ノ矢を見逃さない。太い両腕が振り下ろす青龍刀が矢を叩き折る。しかし同時に馬頭の左右からも幻ノ矢が迫っていた。
「ちっ小賢しい真似を」
ぐるりと一閃、振り回された青龍刀。
「こんなものっ」
しかし幻ノ矢は波動によって巧みに遠隔操作され、青龍刀の刃先をかわして勢いもそのままに、馬頭の目前でくるっと回転した。
「う、ううっ」
矢の筈に取り付けられた蔓が馬頭の両腕に絡みつく。
「な、なんだっ」
交差するように飛んだ幻ノ矢によって蔓は固く結ばれ、馬頭の両腕をギリギリと締め上げた。
「あ、ああっ」
思わず刀を落とした馬頭、その広い視野には四方から飛んでくる幻ノ矢すべてに蔓が結びつけてあるのが見えた。
「玩具も使いよう、だ」
垂れ落ちる雨粒に交じって林の上から裕の声が轟いた。あっというまに幻ノ矢は馬頭の周りをぐるぐると回遊しながらその全身を太い蔓でぐるぐる巻きにしてしまった。
「ぐっ、ぐうっ」
体中からまるで煙を噴きだすように黒いオーラを発し、自らの動きを封じた蔓の束を断ち切ろうと力を込める馬頭。
「間に合わないよ、お馬さん」
すでに裕は身動きを封じられた馬頭の肩に、文字通り馬乗りになっていた。鬣を逆立て目を見開いた馬頭が見上げる。
「ひっ」
「言っとくがな」
裕が弦に矢をつがえた。鏃を馬頭の眼球にぴったりと押し当て、これでもかと強く矢を引いた。
「これは玩具じゃ無え」
折れんばかりに撓った弦がぶるんっ、と大きく揺れた。
ビーンという振動が広がり林の木々の葉を震わせる。パッ、と葉に乗った雨粒が弾けて浮いた。
「ぎゃあああっ」
距離ゼロから間違いなく、猛烈な勢いで幻ノ矢が馬頭の眼球から脳髄に深く深く、突き刺さった。そして裕は両手で矢を握ってさらに渾身の力で深く押し込む。
「お前さんの身体を覆う鎧、その闇の波動の鎧を内側からぶち壊してやる」
裕の両手がにわかに光を帯びた。
「はああっ」
腕から手、手から矢、そして矢を通して馬頭の体内へ。激しい光の波動が注ぎ込まれる。
「うぐ、うぐ、ぐふあああっ」
馬頭は、内側から破裂して瓦解した。砂の山が崩れ落ちるように粉々になりながら、真っ黒く焦げ臭い煙を噴き上げ、ついにはドロドロに融解して消滅した。
「はあ…」
裕は急いで悦花のもとに戻ってきた。青鬼の毒に侵され未だ意識朦朧の悦花。
「さあ、これを」
口元に薬草を煎じた丸薬を運ぶ。今は亡き幻翁が調合した波動による回復の妙薬。
時を同じくして、赤鬼たちと牛頭を討伐した一刀彫の雅、蝦夷守龍鬼、そして河童の煤も戻ってきた。
「おおい、大丈夫か。悦花」
「安心しろ、赤鬼青鬼、牛頭馬頭みんなぶっ飛ばしてやったぞ」
「そうそう、腹ごしらえでもして…」
悦花は薄っすらと目を開けた。
「え、ええ」
未だ震える手で丸薬を口に運びながら笑顔を作って見せる。
「ん?」
悦花の手が震えるのは、まだ毒が抜けていないから、では無さそうだ。
「ふ、震える」
「な、なんだっ」
肌を刺すような不快な刺激、大きく強い闇の波動に違いない。近づくにつれ地面全体の震えが大きくなる。小刻みな振動はやがて大きく激しい揺れに。
「緊急敵襲速報です。危険です…」
煤の懐で相場銅がぶるぶると震えだした。
「ま、またか…」
手負いの幻怪戦士たちを取り囲むように、地面を突き破って巨大な柱が荒々しく突き出した。
「こ、これはっ」
柱ではない。天を衝くかと驚くほどに大きな蛇。破格の大蛇が彼らを取り囲み、鎌首をもたげて鋭い牙を剥いた。
「腹ごしらえは、もうちょっと後になりそうだな…」
玉虫色の鱗を逆立たせた大蛇の群れが、身体をくねらせながら一気に襲い掛かってきた。
つづく




