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小説幻怪伝  作者: 蝦夷 漫筆
死が呼ぶ木曽路、妖街道~中山道激戦編
95/122

微笑みは殺戮の誘い

 下諏訪で敵襲に遭った那喝なかつ衆。

 山天狗と大蜘蛛を倒した均蔵きんぞう由梨ゆり音次郎おとじろうの前に、突然ゴロゴロと転がってきたのは仲間の生首。


 「ひいっ」

 絶句する均蔵たち。

「な、何が・・・何が起こったんだ」


 「ふふふ、うっふふふふ・・・」

 どこからともなく聞こえてくる不気味な笑い声が、竹林に響き渡った。

 「ふふ、あははは。お前たち・・・」

 しわがれた女の笑い声。

 竹林を通り抜ける風が、いっそう均蔵たちの肌を粟立たせる。


 湯けむりは、吹き込む風で白い渦を巻きはじめた。

 「わたしの、わたしの可愛い大蜘蛛をよくも殺してくれたわね・・・」

 浮かび上がった一人の女のシルエット。

 震える肩、頭には二本の角。薄紅の間にむき出しの牙、歪んだ口元が微笑みながら言葉を発した。

 「この恨み、高くつくよ」

 腰まである長い黒髪がふわりとたなびく。


 「ふふ、ふふふ、あっはははは」

 手にはもう一つ、まだ切り落としたばかりの生首を携え、一重まぶたの奥の白んだ瞳が涼しく光った。

 「お前たちの血で償ってもらう」

 麗しい唇をその生首に寄せ、鋭い牙を突きたてると生首の血を一気に吸い尽くした。

 「ふふ、いひひひひ」

 狂い笑う女の口元で、生首は目を見開いた恐怖の表情そのままに血を吸い取られ、乾いた抜け殻のように萎んでいった。


 「だ、誰だ・・・」

 身構える均蔵たち。

 女は無造作に生首を投げ捨てた。


 「わたしは、笑般若わらいはんにゃ

 言いながら女は、見開いた眼を血走らせ一気に飛び上がった。

 「いーっひひひ。その血いただく」

 笑顔は一瞬で鬼面に変わった。

 二本の刀を抜き、空中で竹の幹を蹴って勢いをつけて襲い掛かってきた。


 「ふざけるなっ」

 均蔵の鎖鎌が飛ぶ。

 笑般若は何食わぬ顔で刀を合わせ弾き返す。

 「許せないっ」

 由梨も手裏剣を投ずる。しかし難なく避けられてしまった。呆気にとられる彼らの目の前に唸る刀身が迫る。

 「ううっ」

 バッサリと切れた均蔵の襟元。胸に刻まれた横一文字の傷に血が滲む。

 「まだまだ」

 笑般若は返す刀で袈裟斬りに振り下ろす。

 「父さんっ」

 由梨が突進した。

 下段から斬り上げる刀は笑般若の一撃とぶつかりあい、キーンという甲高い音が響かせた。

 「か弱いぞ小娘っ」

 笑般若の鋭い振りに、由梨の刀は遠くへ飛ばされてしまった。

 呆然とする由梨に向かって均蔵が叫ぶ。

 「伏せろっ」

 由梨は思わず頭を引っ込めた。

 笑般若の刀はその一寸上をかすめた。由梨の結い髪が鋭利に切れフワッと宙を舞った。由梨の額に冷や汗が吹き出す。

 

 「ええいっ」

 均蔵が飛び上がり、鎌で斬り込む。

 「ふっ。ふふふふ」

 笑般若は細い脚をぐいと踏ん張り、笑みを浮かべたまま均蔵の腹をしこたま蹴り上げた。

 もんどりうって地に伏せた均蔵が血反吐を漏らす。

 「つ、強ええ・・・」


 態勢を立て直そうとする均蔵と由梨。だがその猶予さえ与えまいと笑般若がツカツカと歩み寄ってくる。その背後に忍び寄る男の影。

 「ようし、やってやる・・・」

 笑般若の背後から音次郎。

 義手にくくりつけた匕首を真っ直ぐ突き出して走り寄った。

 「くたばれっ」

 匕首の先端に力がこもる。

 だが留袖の裾をふんわりと翻して振り返った笑般若は鬼の形相になっていた。

 「死に損ないめっ」

 美しいまでに正確な円弧を描きながら、振り向きざまに振り下ろされた笑般若の刀。

 「うっ」

 音次郎の義手は、根元からバッサリ断ち切られた。

 「ぐあああっ」

 金属製の義手は跳ね上げられて地に落ちた。

 「うあっ、うああっ」

 腕の付け根から血を噴き上げながら顔面蒼白。音次郎は苦痛のあまり転げ、のたうちまわった。


 「痛いか、痛いか坊や。ああ、苦しそうな、実にいい顔だ・・・」

 笑般若は音次郎の顔をなまめかしい足で踏みつけ、笑いながら思いっきり蹴り飛ばした。

 返り血にまみれた脚を今度は均蔵に向ける。

 「お前も」

 呼応して一気に踏み込む均蔵。変わらぬ微笑みを湛えた笑般若。二本の刀が空気を切り裂く。


 「その首切り落としてやる、いひひ」

 笑般若の殺意のオーラが均蔵を防戦一方にさせる。

 「ほらほら死相が出てるよ」

 由梨が均蔵に加勢する。

 「醜い女めっ」

 だが由梨の放つ手裏剣は、ことごとく見切られる。

 「うふふふ、若い綺麗な女を見ると、殺したくてしょうがなくなるのよね・・・」

 「う、あっ」

 ついに手持ちの手裏剣が底をついた由梨、目の前に立ちはだかる笑般若。

 

 「小娘め」

 「ええいっ」

 苦し紛れに、落ちていた竹の枝を拾って突きにかかった由梨。

 「ふんっ」

 あっさり切られた竹の枝。みぞおちを激しく蹴られ由梨は倒れこむ。

 「ぐふあっ」

 身体が浮くほどに。反吐を吐き散らしてぐったりとなった由梨を笑般若は見下ろす。

 「生意気な小娘・・・まずその顔をズタズタに切り裂いてやる」


 「てめえっ」

 均蔵が飛び込んだ。振り上げる鎌の刃先が唸る。

 「ちっ」

 笑般若が難なく避ける。

 「じゃあお前から」

 裾をたくしあげた笑般若が素早い足さばきで均蔵に迫る。

 「もう少し離れなければ・・・」

 鎖鎌には接近戦はむしろ不利な間合い。均像は分銅を投じて牽制しながら、距離をとるために飛び退いた。

  だが笑般若は鎖分銅にひるむことなく、むしろ飛び込んできた。

 「逃がさない」

 鎖分銅を真正面から受け、くるくると刀身に巻きつけると、その遠心力を利用して均蔵に投げ返した。


 「え、えああっ」

 戻ってきた分銅は均蔵の脚に巻きついた。

 「ふふふ、うふふふ」

 笑般若は笑い声をいっそう高く発しながら、鎖の絡みついた刀ごと上に放り投げた。

 「身動きとれまい、いひひ」

 刀は頭上の竹の幹に突き刺さり、均蔵は宙吊りになってしまった。

 「あっ、あっ」

 いくらバタつかせても脚に絡みついた鎖は外れない。ぶら下がって身動きがとれないまま笑般若を睨みつける。

 「て、てめえ・・・」

 「さあ、身動きできないまま、そこでしっかり見てな」

 均蔵ぶら下がる真下に横たわる由梨を、笑般若が蹴り上げた。

 「やめろっ、やめろおっ」

 均蔵の叫びがこだまする中、由梨の身体がボロ雑巾のように転がる。

 「うう、ふううっ・・・た、助けて・・・」

 朦朧としながら虚ろな目で命乞いをする由梨を、口から涎を垂らしながら見下ろす笑般若。

 「いっひひひひ。無様で情けない、ああ、いい表情だ。」

 由梨の両腕を左右の脚で踏みつけて身動きを封じ、身体ごとのしかかるようにして顔を近づけた。

 「悔しいか、あ?」

 「ひ、ひいいっ」

 蒼白の由梨。

 「いい顔、いい顔だ・・・いひひひ。怖いか、その怯える顔、それが見たかった」

 鋭く研ぎ澄まされた刃がぴったりと由梨の首筋にあてがわれた。ひんやりとした感触の奥に感じるのは凍りつくような恐怖だけ。

 「その引きつった顔ごと、切り落とす」

 笑っているようで、どこか冷たく冷酷な目がギラリと光った。

 「さあ」

 刀を握る手に力が込められた。由梨の首筋に刃が食い込む。

 「う、うううっ」

 

 その時、ガシャンという音が聞こえた。

 「むうっ」

 血まみれの音次郎。脂汗を流して這いずりながら、切断された義手の仕込みボウガンを左手で掴み、手裏剣を発射していた。

 「んん?」

 鼻で笑う笑般若。

 「ういーっひっひっひひ。なんだい、そのショボい武器は」

 左手一本では弦の引きが甘いのか、肩で息する音次郎が発した手裏剣は、山なりにしか飛ばなかった。

 「第一、どこを狙ってんだバカ。あーっはっはっはは」

 手裏剣は、笑般若のはるか上に飛んでいった。

 「せっかく頑張ったが、ハズレだ」


挿絵(By みてみん)


 ニヤリと笑ったのは音次郎。

 「いや・・・」

 「ん?」

 笑般若が眉間にしわを寄せた。

 音次郎が呟く。

 「狙いは、お前さんの頭の上」

 放たれた手裏剣は頭上の竹の幹、均蔵をくくりつけた鎖に命中した。

 「なにっ」

 笑般若が慌てて見上げた時、すでに均蔵は鎖の呪縛を解かれて勢いよく落下しつつあった。

 「ほうら、お前さんの刀だ」

 均蔵は真っ直ぐ刀の切っ先を突き出しながら猛烈な勢いで落下。

 笑般若の顔から、笑みが消えた。

 「あ・・・」

 「返してやるぜ」

 均蔵は落下のスピードにまかせて笑般若を脳天から突き刺した。

 「笑顔はどこ行ったんだい?」

 「こ、これが・・・恐怖?」

 笑般若は脳天から真っ二つに切り裂かれて、歪んだその顔は一気にしわだらけ、総髪白く変えて地に伏した。

 「うう、うう、うううっ」

 ほんの少し、ささやかな笑顔を取り戻したかに見えたが、やがて百年のときを一瞬に過ごしたかのように白骨化し、やがてそれさえも融解して果てた。


 娘に駆け寄る均蔵。

 「由梨っ、大丈夫か」

 「え、ええ。怖かったけど・・・傷はたいしたことないわ、それより・・・音次郎さんが」

 均蔵は音次郎を抱きかかえる。

 「おいっ、音っ。しっかりしろっ」

 「こ、これを・・・」

 音次郎は懐から小さな小瓶の火種を取り出し、均蔵にその蓋を開けてもらうと切断された右腕の付け根にぐっと押し当てた。

 「うっ、ぐうう」

 ジュウッと肉が焼ける音、焦げる匂い。

 「痛いか・・・すまん、だがこれで大丈夫だ」

 火種を焼きごてのようにして止血した。

 

 「お前さん、もうこの先は・・・」

 「いいえ、皆さんとともに行きます、富士へ」

 「しかし義手も断ち切られちまったし、出血も相当だ、もう体力が・・・」

 「戦っているのは皆一緒です。なにより私は一族に対して責任を果たさねばならぬ。そして、悦花えっかどののため・・・」

 強い決意がその瞳に宿っていた。


 「笑般若は」

 落ち着きを取り戻した音次郎が言った。

 「伝説によれば、もともと人間だったんですよね・・・」

 「ほう、闇の力に取り込まれた、か」

 「ええ。嫉妬や恨み、怒りなどの邪心が高じ妖怪になったんだそうです」

 「女は怖いね・・・」

 呟く均蔵。

 由梨が横目で睨みつける。

 「あら、一口に女、と決め付けないで欲しいわね。あんなのは特別よ」

 「どうかね、お前も歳を重ねると解るようになるかも・・・」

 チッ、と舌打ちした由梨。

 「それにしてもあの笑般若、人間から『恐怖』を吸い取って若さを保ってたんじゃないのかな。そんな気がするわ」

 音次郎が頷いた。

 「おそらくそんなところでしょう」

 そして、付け加えた。

 「しかし、彼女も死に際に本当の笑顔になれたのかもしれませんね。永年の邪心からやっと開放されたのですから」


 見上げる竹林の、揺れる隙間に見える秋空を見上げる。

 「大蜘蛛やら天狗、そして笑般若。恐ろしい敵ばかりだ・・・仲間も殺られてだいぶ数も減ったが、時は待たぬ。さあ、我々も先を急ごう」

 漂う雲は、その流れを一層早くしているように見えた。破滅に向かって吸い込まれてゆくのか、希望を求めて急いでいるのか。


つづく

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