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小説幻怪伝  作者: 蝦夷 漫筆
死が呼ぶ木曽路、妖街道~中山道激戦編
94/122

諏訪の毒蟲、四つ目が光る

 中山道ルートで霊峰富士に急行する那喝衆と音次郎。彼らにはひと時の休息も許されなかった。

 毒沢の秘湯での湯治の最中、森囃もりばやしの不協和音と野宿火の揺らめきを伴って山天狗が襲ってきた。

 

 「修行の成果ね」

 空中で山天狗を迎撃する由梨。

 「ああ、幻怪殿で流した汗に嘘はない」

 地上で待ち構えて止めを刺す均蔵。


 しかし敵は山天狗だけでは無かった。

 足元からの急襲に由梨が青ざめる。

 「あ、ああっ」

 いきなり地中から飛び出した真っ黒い棍棒のような影、その先端には鋭い爪が光る。咄嗟に身をよけた由梨はバランスを崩して地面に叩きつけられた。

 「な、なんなのあれっ」

 あちらにも、こちらにも。

 地表を突き破って出現した爪が逃げ遅れた那喝衆を次々に切り裂いた。

 「あっ、あれはっ」

 八本の爪の中央の地面が盛り上がり、巨大な怪物がその姿を現した。象ほどの体躯の中央から長く伸びた八本の脚は黒い剛毛に覆われ、四つの目がいびつな形をした頭部に爛々と光っている。

 「お、大蜘蛛。大蜘蛛だあっ」

 諏訪に伝わる伝説の怪物・大蜘蛛は死期の近い者にだけその姿が見える、とされる。

 音次郎が呟いた。

 「いや、違うな。こいつを見ちまった者は皆、すぐにその命を奪われる。そういう意味だ」


 「化け物めっ」

 恐れる心を勇気に変え、那喝衆が飛び掛る。

「う、ううがっ」

しかし不規則にうごめく八本の脚は予測不可能。近づくことも容易ならぬままに大きな爪に切り裂かれて大蜘蛛のエサになってしまった。

 「ま、待てっ。不用意に仕掛けるなっ」

 均蔵が叫んだ。

 「毒だ、毒を含んでるぞ」

 大蜘蛛は毒を含んだ細かい毛を全身から発している。これに触れれば血の気を失って倒れてしまう。音次郎が頷いた。

 「ああ、ひとの命を吸い取る、と云われる所以だ」

 

 挿絵(By みてみん)


 そして大蜘蛛はカサカサと全身の剛毛から音を立てつつ、複雑に脚を交互に動かして倒れこんだ由梨に近づいてゆく。

 「ひいっ」

 上体を起こした由梨は、巨大な四つの目に凝視されていた。何本もの牙が不規則にうごめく口から薄汚い唾液が垂れ落ちている。

 「く、喰われるっ・・・」

 ぶうん、と唸る音が由梨の耳のすぐ横を通り過ぎた。

 金属的な残響が、わずかな風を伴って耳に残る。

 「ぐぶううっ」

 大蜘蛛は奇声を発しながら上体よじらせる。剛毛に覆われた喉元に突き刺さったのは幻鋼の分銅。

 「さあ、今のうちに逃げろ、由梨っ」

 しかし、均蔵が放った鎖分銅が大蜘蛛を怯ませたのは一時的なものに過ぎなかった。

 「く、来るっ。来るうっ」

 喉元から黒い体液を飛び散らせながら、凶暴化した大蜘蛛。


 「手ごわいぞ」

 巨体からは想像もつかないほど動きはすばやい。長い脚の動きは均蔵たちを翻弄し、毒の毛のために近づくのも容易ではない。

 「ど、どうするの父さん・・・」

 「ようし・・・見てろ。俺もかつては『風の均蔵』と異名をとった忍だ」

 均蔵は大蜘蛛の正面から駆け寄り、大きく飛び上がった。

 「化け物めっ」

 迫る脚。その爪をかいくぐりながら身を屈めて大蜘蛛の目の前に着地した。

 「毒など恐るるに足らず」

 口元を覆面で覆い、マントをサッと羽織る。毒毛を撥ね返しながら低く身をかがめた均蔵は鎌の刃を上にかざしながら、一気に大蜘蛛の八本の脚の股の間を駆け抜けた。

 「ぐやあうう」

 腹を真っ直ぐ掻き斬られた大蜘蛛は奇声を上げた。

 「踏み込みが甘かったか」

 致命傷を与えるほどに刃は深くなかった。ますます怒る大蜘蛛は全身の剛毛を逆立てながら振り向き、均蔵に突進してきた。

 「さあ、来いっ」

 八本の脚をカサカサと動かし、速度を上げながら迫る大蜘蛛。

 「追いつけるかな、蟲野郎め」

 均蔵は走り逃げながら近くの竹林の中に入っていった。右へ左へジグザグに動きながら、背後から迫る大蜘蛛の爪をかわす。

 「まだまだっ」

 竹林の中で大蜘蛛の動きが鈍った。その長い脚が密生する太い竹に引っかかり自由に動けない。

 「予想通りだ」

 均蔵がニヤッと笑った。

 「ふふ、さあお楽しみだ」

 ただ闇雲に逃げていたのではなかった。ところどころの太い竹に切れ込みを入れ、鎖を巻きつけておいた均蔵がその鎖の端をぐいと引っ張ると、大蜘蛛を取り囲むように竹の幹が倒れて覆いかぶさった。

 「大きな竹の虫かごの出来上がりだ」


 均蔵は、竹をかき分けて大蜘蛛に近づく。光る四つの目がこちらをうかがっている。

 「さあ、トドメを・・・」

 だが均蔵は、振り上げた鎌をワナワナと震わせて思わず叫んだ。

 「な、なにいいっ」

 大蜘蛛が、消えた。

 「どこだ、どこだっ」


 辺りを見回してもその姿は見当たらない。


 竹林の中を通り過ぎる風がカサカサと音を立てる。それは大蜘蛛の剛毛が擦れ合う音に似て、均蔵は音がする度にキョロキョロするばかり。

 「地中に潜った・・・か?」

 地面に顔を近づける均蔵。

 その首筋にポツリと雫が垂れ落ちた。ひんやりとした感触に思わず手を伸ばす。

 「うっ」

 強い粘り気。思わず手を見ると、どす黒い脂ぎった体液。

 「まさかっ」

 思わず見上げた、均蔵のまさに頭上。

 大蜘蛛の雄叫びが竹林にこだまする。

 「ぐえええっ」

 「ひいっ」

 大蜘蛛の爪が均蔵の目の前をかすめた。続いて浴びる毒毛のシャワー。覆面とマントがなければ今頃毒に冒され全身が麻痺していたに違いない。

 「逃げねば・・・」

 転げるように逃げ回る均蔵に、大蜘蛛の爪は容赦なく襲い掛かる。

 「まずい、まずいっ」

 竹林はむしろ大蜘蛛にとって有利な戦場だったか。

 群生する竹に次々と糸を吐いてはそれを支点に、まるで空中を飛ぶように自由に動く大蜘蛛に、いよいよ追い詰められた。


 「父さんっ」

 マントをたなびかせながら由梨が駆けつけた。

 「蜘蛛野郎めっ」

 由梨もまた「風」の如く。ギラリと光る忍者刀をかざし大蜘蛛の背後から脚を次々に切断する。

 「ぐ、ぐぐうっ」

 右の脚の列を失い態勢を崩した大蜘蛛が地に這った。

 「由梨っ」

 怪物に対して共にトドメを刺そうと武器を振り上げた親娘は、しかしまたもや恐怖に戦慄することとなった。


 「う、うああっ」

 大蜘蛛は一気に粘着質の糸を吐き出し浴びせかけた。均蔵と由梨はぐるぐる巻きにされてしまった。

 「動けない、動けないっ」

 ベトベトとまとわりつく蜘蛛の糸は徐々に二人の身体を締め上げてゆく。

 「息が・・・」

 顔まで糸に覆われて呼吸さえままならなず、ついに視界も閉ざされてしまった。

 「父さん・・・」

 「由梨っ」

 意識が遠のいてゆく二人。大蜘蛛は片列の脚で這いずりながらゆっくりと「獲物」に近づいた。

 「ぐうう、ぐううっ」

 鼻を衝く毒の匂いが、喰われる恐怖を増幅する。

 「うぐっ、うぐっ」

 糸にくるまれて悶える親娘。そのの前に大きな口が開かれた。

 

 竹林の中の下草がガサガサっと動いた。

 草むらの中からスッと顔を上げたのは音次郎。身体中に草木を貼り付けカムフラージュするのは忍の得意技。密かに近づいて機をうかがっていたのだ。

 「今だっ」

 大蜘蛛の身体の真下に飛び込み、機械式の義手を振り上げた。

 「くたばれっ」

 するどい発射音。鈎のついた手裏剣が飛び出し、大蜘蛛の開いた口の奥に深々と突き刺さった。

 「ぐうっ、ぐぶううぶうっ」

 大蜘蛛は四つの目をぐるぐると回し、小刻みに震えだした。

 「ぐばっ、ばうがうっっ」

 黒紫色の大量の胃液とともに、それまでに呑み込んだ人間や動物たちの切れ端を次々に嘔吐しながら大蜘蛛は全身の剛毛を逆立たせ悶え暴れ始めた。


 「さあ、これで大丈夫」

 音次郎は手持ちの短刀で均蔵と由梨を覆う蜘蛛の糸の呪縛を断ち切った。

 「化け物、まさに化け物だった・・・」

 均蔵と由梨、音次郎は、七転八倒しながら毛穴という毛穴から体液を放出し、黒煙を吹き上げながら瓦解してゆく大蜘蛛の最期を目撃した。


 「毒を以って、毒を制す」

 音次郎は猛毒が塗られた手裏剣を切り札にした。毒物に精通するようになったのは、自身が毒に冒され、それを克服しようと研究を重ねた成果でもある。

 義手であることを利用し、通常なら触れることすら出来ない猛毒を扱えるようにもなった。

 「しかし危なかった・・・」

 「助かったぜ、音さんよ」

 「均蔵さんと由梨さんが化け物の動きを封じていてくれたから出来たんです。外骨格のある敵はいくら外から攻めても効果は薄い。中から毒を注入しなければ」


 やれやれ、と身体中にまとわりついた蜘蛛の糸の粘液を拭き取る均蔵と由梨。

 「さあ、みんな林の外で待ってる。早く戻ろう」


 「ふふふふ」

 不意に、不気味な笑い声。

 「ん?」

 竹の太い幹同士がぶつかり合うカランコロンとした音に混じって、確かに笑い声が聞こえてきた。

 「な、なんだ。誰だ?」


 「あたしだよ」

 まだ、戦いは終わっていなかった。


 「わたしの可愛い蜘蛛を、よくも痛ぶってくれたね」

 風に乗って女の声。姿は見えぬまま、笑い声だけが近づいてくる。

 ひんやりとした風が竹林に吹き込んできた。背の高い竹林が揺らめくさまは、あたかも呪術師が肩を組み合って踊るような気味の悪さに似る。

 「この恨み、高くつくよ・・・」


 「うっ・・・」

 均蔵たちは戦慄した。

 「これはっ・・・」

 ごろごろ、と、彼らのまえに男の生首が一つ、転がってきた。

 「ひでえ、ひでえじゃねえか」

 無残に切り落とされた仲間の那喝衆の一人の首。

 恐怖におののいた表情のままこわばり、土色に変色していた。


 つづく

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