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小説幻怪伝  作者: 蝦夷 漫筆
死が呼ぶ木曽路、妖街道~中山道激戦編
93/122

諏訪の囃子は死出の拍子

 ほのかに風上から漂ってくる湯の香り。涼やかな秋の空気が少しばかり温むように思える。

 「せっかく通りかかったんだしな」

 那喝均蔵なかつきんぞうがちょっとぼやいてみる。

 「湯治といきたいところなんだが・・・むう」

 「そんな時間が無いことは判ってるでしょ。さあ急ぎますよ、父さん」

 眼下の宿場町を見下ろす均蔵の袖を引くのは娘、由梨ゆり

 「道行は予定よりだいぶ進んでるんだ、ちょっとくらいは・・・」

 「物事は何でも余裕を持って進めないといけません」

 「ちっ・・・ますます母親に似てきやがった」

 

 中山道と甲州街道が交わる宿場町、下諏訪を見下ろす丘陵地を東へ急ぐ幻怪衆・那喝均蔵と由梨、配下の者たち。

 当初、陸田くがたのアジト・幻怪殿で留守番の予定であった柳生鴎楽やぎゅうおうらく改め音次郎おとじろうも帯同していた。

 彼らは閻魔卿の野望・現世の破壊消滅の作戦が行われる霊峰富士を目指し、内陸ルートを進む。


 「せっかくならこの先に毒沢の湯という、かつて信玄公が隠し湯として療養に使っていた秘湯があります。そこまで行ったら一休みしましょう」

 「ほう、詳しいな。音さん」

 「ええ、かつてこの辺りで三つ目小僧の集団がひどい悪さをしてまして、それを退治にやってきてしばらく滞在しましたから」


 音次郎が鴎楽と名乗っていた頃、尾張柳生一族は「もののけ狩り」請負人として各地で雇われ妖怪たちと戦っていた。

 

 「しかし今回も留守番してりゃいいものを、腕は大丈夫なのかい。まだ疼くって、こないだも言ってたじゃねえか」

 均蔵の言葉に、音次郎は自身の右腕―付け根から義手に置き換わっている―に目をやった。

 「いえ、身体の傷などすぐに癒えます・・・じっと待っていることなど出来なくて。私には結末を見届ける義務がある」

 

 ちょうど一年前、幻怪衆と尾張柳生が真っ向からぶつかった加納の戦いにおいて音次郎は父である頭領・雲仙うんぜんを裏切って幻怪衆に味方した。

 己の信念がそうさせたとは言え、結果的に尾張柳生は敗北、離散を余儀なくされ雲仙は失踪した。音次郎は右腕を失った。


 「悦花えっかどのに毒の手裏剣が飛んだのを見たとき、私は気付いたら思わずかばって飛び込んでいた。身体が勝手に動いていた」

 「そりゃそうだろうな、お前さん、悦花のことを心底・・・」

 「とにかく、あれが勝敗を分けた。百五十年にわたる尾張柳生の歴史の幕を閉じさせたのは私だ。こうしておめおめと生き延びてしまって私は・・・」

 うなだれる音次郎。均蔵がその肩を叩いた。

 「だがな、あの猛毒の手裏剣を浴びてお前さんは生き残った。ああ、生き残ったのには何か理由がある、そういうことだろ」

 「え、ええ・・・確かに、あの時から私の運命の歯車が回り始めたようにも思えています。私には何か、与えられた使命がある・・・少なくともこの戦いを、見届ける義務が、私にはある」


 「しかし」

 均蔵は腰元の袋から握り飯を取り出して音次郎に手渡した。

 「難しい事考えてると疲れちまうぞ。さあ、食いな」

 形は若干いびつで、すっかり冷たくなっているものの、食してみれば味は絶品。

 「おお、これは旨いっ」

 「はは、仁美ちゃんが握ってくれたのさ。道中のお供に、ってな」

 「そりゃ旨いはずだ。あの娘の優しさが込められてるってわけだ」

 「ああ、こわもての夫羅ふらどのの娘とは思えぬ。それに比べて・・・」

 均蔵の前を颯爽と歩く由梨は、帯同した那喝衆の配下を叱咤している。

 「ほらっ、足元がフラついてるわよっ。この程度の山道で根を上げるなんて」

 自分よりもずっと体格のいい男連中に鞭でも入れそうな勢い。

 「あ、あは。まあ逞しくて、あれはあれでいいんじゃないかと・・・」

 

 ほどなく小高い山の中腹に人知れず存在する毒沢の湯にたどり着いた。背の高い草むらに紛れるように、橙色の鮮やかな湯が見えた。

 「こりゃ美しい」

 温泉特有の匂いはきつくない。湯の花はまるで金粉のように、サラッとした手触りの湯の中で舞っている。

 「飲んでも美味」

 若干柑橘系の味を感じる源泉は、旅の疲れを癒してくれる。

 「さあ、少しだけくつろぐとするか」

 遅くとも明後日には現世の運命を賭けた決戦が待っている。


 「おい、ちょ、ちょっと。由梨。幾らなんでも、お前っ」

 「えっ?」

 均蔵の大声に振り返って怪訝そうな顔をした由梨。均蔵がさらに声を張り上げる。

 「年頃の娘だろうが、お前っ」

 父親の均蔵が慌てたのも無理はない。男衆に混じって湯に浸かろうと衣服を脱いでいたのだから。

 「ったく、もう」

 均蔵親娘のやり取りを見る音次郎は少し、寂しげな目をした。

 「私の場合、親子といっても修行ばかり。物心ついて以来、修行、修行ばかりだったな・・・」

 均蔵が振り返ってにっこりと笑ってみせた。

 「修行、修行。それも愛情だよ。お前の親父さんにはお前の親父さんの考えってもんがあったんだろ。愛情も、表現の仕方は色々さ」

 「そんなもんですかね・・・」

 その後、失踪した雲仙はじめ尾張柳生の残党たちは離散、さらには妖怪たちの襲撃に遭い皆死に絶えた、とも訊いた。

 音次郎が空を見上げた。

 「落ち着いたら、私は親父の足跡を辿ってみるつもりです」

 「ああ、それもいい。だがその前に閻魔卿を倒さねえと、肝心のこの世が無くなっちまう」

 均蔵と音次郎は顔を合わせて頷きあった。


 「だから、由梨っ。早く服を着ろっての」

 「えっ、お風呂は服脱いで入るでしょ、普通」

 「・・・そういう意味じゃないっての。ちっとは年頃の娘らしくしろってば」

 相変わらず男たちと一緒に薬湯の恩恵にあずかろうとする由梨が、ふと草むらの方角を指差した。

 「この際いいじゃないの、ほら。なんだか楽しげなお囃子が聞こえてきた」

 かすかに、遠くから賑やかなお囃子が響いてくる。どこか懐かしいような、味わい深い旋律。

 「ああ、こいつあ気分がいい。いいねえ」

 男たちも湯の中で身体を伸ばし、うっとりと聞き入っている。

 「ああ、それにこの心地よい温かさ。だんだん眠くなってきた・・・」


 「いや、こ、これは・・・」

 音次郎がにわかに険しい表情を見せた。

 「ん、そんなに由梨の裸が気になるのか?」

 ふざけてみせる均蔵に、音次郎がややムキになる。

 「そんなんじゃありませんっ。私には悦花どのという方が・・・いや、そういう事を言っているんじゃないんです。あのお囃子、おそらく敵襲ですっ」

 「お囃子が敵だあ? どういうこったい」

 音次郎は山林を指差した。暗い茂みの中に、うっすらと細い火が揺らめいているのが見えた。

 「あの火は野宿火のじゅくび森囃もりばやし。と呼ばれる音曲と対になって出現する妖怪です。以前もののけ狩りの際に見たことがある。しかし通常は春にしか現れないといわれているが・・・」

 「ううむ、最近じゃ天変地異やらなんやらで、季節感も随分乱れてきているからなあ」

 「それだけじゃないと思います。閻魔卿のせいで妖怪世界の全てが凶悪化していますから・・・おそらく彼らはあの一定の拍子と揺らぐ火で我らを夢心地に誘っておいて・・・」

 ガサッと竹林が揺れるのに均蔵が気付いた。

 同時に叫ぶ。

 「気をつけろっ、敵が来るぞっ」


 一気に森から聞こえるお囃子は不気味な不協和音に変わった。細く揺らめく火が一気に那喝衆を取り囲む。

 「天狗だっ」

 おびただしい数の羽が舞う。バサバサと音を立てながら、鋭い嘴を突き出して山天狗の群れが襲いかかってきた。

 「この辺りの天狗衆の親玉は飯綱三郎いずなのさぶろう、軍神と崇められた男。だがヤツは随分前に冥界で命を落としたはず・・・」

 「経緯はどうあれ、妖怪たちは今やみんな閻魔卿配下の暗黒帝国の下僕になっちまったのさ」

 山天狗たちは背中に生えた羽根を翻しながら、木々の間を自在に飛び回っては急降下、さいを振り回して飛び込んでくる。

 「うがあっ」

 湯の中でお囃子に聴き惚れてタガをゆるめていた那喝衆たちは思わぬ急襲に反撃が間に合わず、金色の湯を赤く染めてゆく。

 騒然となった下諏訪の秘湯、その混乱の中、サッと戦闘服を羽織った由梨が飛ぶ。


 挿絵(By みてみん)


 「無粋な天狗ね」

 十字手裏剣が空を舞い、その軌道がカーブを描く。狙いは山天狗たちの羽根、その付け根。

 「ぎゃああう」

 バランスを失った敵はよろめきながら落下、下で待ち構える均蔵がその首を鎌で刈り取ってゆく。

 「成長したな、由梨。まだ子供だと思っていたが」


 だが次の瞬間、由梨の顔が青ざめた。


 つづく

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