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小説幻怪伝  作者: 蝦夷 漫筆
魔の波濤を超えて~遠州灘海戦編
92/122

撃て! 波濤の彼方に絆を信じて

 遠州灘を海路東進するひびきの宮と嵯雪さゆきが率いる慧牡けいおす艦隊は伝説の怪物・海入道の襲撃に遭った。

 大砲をも跳ね返す固い鱗をもつ海の巨人に対し彼らは囮に爆薬を括りつけ敵の内部から破壊しようと企てたが、予想を超える海入道の強さに作戦は失敗したかに思えた。


 「あいつ…やる気だ。ああ、こっちも諦めないぞ」

 舳先を海中に突っ込んで座礁した駿光丸しゅんこうまるの折れかけのマストに、油の樽を抱えてよじ登る嵯雪を見ながら響の宮が声を張り上げた。

 「さあ、全速前進だっ。急げいっ」

 「しかし船長、こんな大波に揺られながらでは船首のアームストロング砲は固定式ゆえ照準を定めるのは不可能…」

 不安げな表仕(おもてし=一等航海士)の言葉を遮る響の宮。

 「いいや、俺が直接、この目で狙って手動でぶちこんでやる。どのみち逃げ場はない、やるかやられるか。前に進んで道を切り開くしかないっ」

 

 嵐に荒れる海、よどんだ空からシャワーのように雨粒が降り注ぐ中、慧牡丸は水中回転翼から激しい飛沫を上げ、全速航行で荒ぶる魔人・海入道に突進した。

 「そうこなくっちゃ。さあ、こいつは見ものになるぜ」

 嵯雪は雨で滑る静索を手でしっかり掴みながら、油のたっぷり入った樽を背負ってマストを登る。ただでさえ沈みかけの船の上、目を開けるのも難しいほどに降りしきる強い雨。

 「もうちょっと、もうちょっとでいい。持ちこたえてくれ」

 マストは真ん中で亀裂が入り、ギシギシと音を立てている。大波に揺られるうちにいつポッキリ折れてもおかしくない。そうなったら嵯雪も海に投げ出され海入道や波小僧のエサとなるに違いない。

 「信じる、信じるんだ…う、うあああっ」

 マストがぐらりと揺れた。ミシミシっと亀裂が大きくなる。

 「うっ、来たか」

 船べりに巨大な目が光っているのが見えた。ついに海入道が目の前まで迫ってきた。大きな手で船ごと抱えて揺さぶっている。

 「くっ」

 歯を食いしばりながらマストを上り続ける嵯雪。ときどき伸びてくる海入道の巨大な手を必死でかわしながら。

 「よしっ」

 マストの頂上に辿り着いた嵯雪はちらっと振り向いて、慧牡丸がすぐそこまで来ているのを見た。

 「頼んだぜ、響」

 呟きながら船首に向かって手を振った嵯雪は、マストから思いっきり飛び上がった。

 「さ、嵯雪いっ」

 響の宮の叫びも嵐の轟音にかき消される。

 嵯雪は雨をかいくぐって、なんと海入道の頭上に着地した。

 「っくしょう。やたらヌメヌメしてやがるぜ、この鱗ったらよ」

 頭に停まった蠅を振り払うように首を横に振ってみたり、手で払おうとする海入道の頭の上に、嵯雪は必死にしがみつく。

 「暴れるのもそろそろ終わりにしようじゃねえか、なあ」

 海入道が苛立ちながら頭上の敵を見上げるように上を向いた時、嵯雪はニヤリと笑った。

 「化け物め」

 スルスルっと身体を滑らせ、嵯雪は海入道の巨大な頭部から額、そして眉まで滑り落ちた。

 「お、落ちるぞっ、嵯雪っ」

 真正面で波に揺られる慧牡丸から、落下寸前の嵯雪がサッと刀を抜くのが見えた。

 「そう簡単に落ちやしねえって」

 嵯雪は、海入道の眉間に思いっきり刀を突き立ててぶら下がった。

 「ぐ、ぐああっ。ぎゃあうっ」

 海入道は破裂した眼からどす黒い粘液を垂れ流しながら、その痛みに大声を張り上げた。

 「今だっ」

 嵯雪は背負った油の樽を海入道のパックリ開いた大きな口の中に投じ入れた。

 「う、うごっぐおっ」

 急な異物に喉を詰まらせ苦しみながら、嘔吐しそうになってさらに口を大きく開けた海入道。その眼に刀を突き立ててぶら下がりながら嵯雪は慧牡丸に向かって手を振った。

 「さあ、今しかねえ。撃て、撃つんだよ」

 

 荒々しい波が幻鋼げんのはがねの船体を大きく前後に揺らす。

 慧牡丸の目の前で、嵯雪は海入道の大きく空いた口に油の樽を入れることに成功した。

 「あ、あいつ…」

 強風があおる轟音の中、響の宮に嵯雪の声が届いた。

 「早く、早く撃て」

 チャンスは今しかない。だがあの口の中に榴弾砲を撃ち込めば大爆発を起こし嵯雪もろとも粉々になるに違いない。

 「さあ、早くっ」

 急かすような嵯雪の声が耳を刺す。

 「このままぶら下がってたところでいずれ海入道に食われちまうんだ、さあ、俺を犬死させるんじゃねえ」

 うつむく響の宮。

 ゆらゆらと大波に揺られながら、数えるのも追いつかないほどの激しい鼓動に息も苦しくなる。


 「犬死に…か。俺あいつでも同じことをしただろう。あいつが俺でも、同じことをするだろう…」

 響の宮は頭を上げた。涙にかすむ視界のまん前にアームストロング砲の照準器。波に合わせて上下に揺れる丸いガラスのリングの中央、十字の交点が、眼前で悶絶する海入道の大きく開けた口の真ん中にピッタリと一致した。


 「引き金を引くのは運命じゃない、意志だ。俺とあいつの、強い意志」

 点火口の爆薬がパシンという音を立てて火花を散らした。

 慧牡丸の船首から、腹を殴られたような低音を伴って白煙が舞う。船首が思わず持ちあがって浮くほどの反力を残して口径六寸の榴弾砲が風を切りながら真っ直ぐ海入道の口の中に飛んだ。

 「うぐ、ぐっ」

 海入道の口の中が白煙に満たされた。次の瞬間、榴弾砲が炸裂し、樽の油に引火した。白い閃光が嵐の海を切り裂き、熱波が作る陽炎が景色を歪める。うねるような衝撃波が同心円の波濤を生みだした。

 「やったっ」

 海入道は鱗の一枚一枚さえ原形を残さぬほどに粉々になって吹き飛んだ。粘り気のある体液のシャワーが降り注ぐ。

 「やったぞ…」

 船底に隠れていた乗組員たちも甲板に上がり、難敵を倒したことをやっと実感した。


 「しかし、嵯雪どの…」

 響の宮は、勝利を喜ぶ事も出来ずに甲板の手すりに掴まって海の向こうをただ眺めていた。


 「彼は、真の男…」

 次々に乗組員たちも集まってきた。

 海はさっきまでの時化が嘘のように静まり返っている。

 「ああ、本当に素晴らしい男だった」

 「彼がいてくれたから…」

 「全くだ…」


 「そうだな…で、誰の話だ?」

 響の宮は、すぐ横に立ち尽くす男に向かって答えた。

 「嵯雪だよ、嵯雪のことだよ」


 「嵯雪…俺か?」

 「ん?」

 ずぶ濡れになった嵯雪が、響の宮の真横で一緒に海を眺めていた。

 「あ、あ?」

 「生きてる…」

 「そりゃ生きてるさ。大砲の音が聞こえた瞬間に化け物の頭に飛び乗ったんだが、まあヌルヌルと滑ること、あの鱗。まあそのおかげで爆発のまえに海に滑り落ちて助かったけどな」

 「お前、お前…」

 「すぐに波小僧たちが群がって来てさすがにヤバいと覚悟したが、海入道が吹っ飛んだ瞬間にみんな散り散りに姿をくらましちまいやがった。まあコバンザメみたいな連中だからな」

 戦いを制したのは、生き残ったのは運命の仕業ではなく、彼の、いや彼らの意志がそうさせたのかも知れない。


 古くからの言い伝えにあるように、海の嵐や大時化、海難などは海入道をはじめとする海のモノノケが引き起こすものなのだろうか。海入道を倒したのと時を同じくして大海原は平和な静寂を取り戻した。

 「恐ろしい相手だったな…」

 少し傾きかかった太陽が輝かせる水面は、瞬く星が満点に揺れる夜空のよう。

 「これも因果、というわけか」

 響の宮は、遠い水平線を眺めながら語った。

 「千年前、島に暮らす我らの祖先・海虎一族を襲い、わずかな漂流者を除いて皆食い殺したのが海入道だった、と訊いています」


 挿絵(By みてみん)


 「そうか…じゃあお前さんたち、今日は千年の仇を討った、っていうわけだな」

 「ええ…しかし、その海入道も、もとは南の島で穏やかに暮らす巨人族の生き残りだった。あちこちの海に進出して我が物顔で荒らしまわった人間たちに襲われて滅ぼされた、その生き残りが海入道だと云います」

 「まさに因果は巡る、か…」

 「南方の何処かには、かつて残虐な人間たちが殺害した巨人族の亡骸を、まるでさらし首のように石で固めて並べてある島があるとも訊きました」

 「どっちもどっち…いや、悪いのはむしろ人間の方かもな」

 ゆっくりと響の宮は頷いた。

 「しかし生きるのにいいも悪いも、正義も悪もないのかも知れません。ただ、海入道の場合は復讐心が昂じて、いつの間にか生きることそのものの目的が殺戮になってしまった。そうして闇の力に取り込まれてしまったのではないでしょうか」

 「復讐とは、己の墓を掘ること也、か…」

 「今日、我々も戦いの中で、家族同様の仲間たちを数多く失いました。でもこの悲しみを復讐心に置き換えてしまっては、憎しみの連鎖は広がる一方です。今はただ、尊い彼ら一人一人に思いを馳せ、平和を祈りましょう」

 「黙祷っ」


 微笑むようなさざ波の大海原に祈りを捧げる彼らの頭上で、柔らかい日差しを受けてた幻の印が施された旗が、穏やかに風に舞っていた。

 だが時は待たない。恐怖の冥王、閻魔卿の野望を阻止するため一行は再び帆を張り、東に向かって航跡を伸ばした。


つづく

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