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小説幻怪伝  作者: 蝦夷 漫筆
魔の波濤を超えて~遠州灘海戦編
91/122

暴君荒ぶる大海を駆け抜けろ

 遠州灘、海路を東進するのは嵯雪さゆき、そしてひびきの宮率いる慧牡けいおすの船団。

 突如襲来した巨大な海の化け物、海入道うみにゅうどうに一隻の船が襲われ船員たちはことごとく食べられてしまった。硬い鱗ゆえ大砲さえ効かないこの怪物に対して嵯雪と響の宮はある作戦を立てた。


 「さあ、海入道が近づいてくる。駿光丸しゅんこうまるを早く呼べっ」

 響の宮の号令で旗振り通信が行われ、早速慧牡丸の左舷に駿光丸が向かってきた。対する右舷には、波を荒立てながら近づく海入道の巨体。

 「撃て、途切れぬように撃って時間を稼ぐんだっ」

 「よしっ」

 ぴったりと左舷に寄せた駿光丸に嵯雪が飛び乗ろうとした時、ガキンという大きな音とともに慧牡丸の船体がぐらりと揺れた。

 海入道が船べりに巨大な手をかけてきた。

 「う、うああっ」

 思わず海に落ちそうになった嵯雪。船べりの柵に両手でぶら下がった彼の足を食いちぎろうと波小僧たちが海面から顔を出し鋭い牙をガチガチと言わせている。

 「ひいっ」

 すぐさま引き上げられた嵯雪。

 「ど、どうした。早く大砲を撃ってあの化け物を遠ざけろっ」

 「いえ、あ、あの・・・弾が・・・弾がもう無いんですっ。弾切れです船長っ」

 砲兵長が泣き顔で叫んでいる。海入道を食い止めるはずの慧牡丸は丸腰になってしまった。

 「まずいぞ、計画が全部台無しになっちまうじゃねえか」 

 慌てる嵯雪。響の宮が声を張り上げた。

 「落ち着けっ、何とかなる、何とかするっ。この慧牡丸はこの世でもっとも固い幻鋼で出来ているんだ。そう簡単にやられはしない。計画通り進めるぞ」

 「しかし、このまま作業を続ければ船員はみな海入道のエサだ」

 「いや、そうはさせない。大急ぎで準備を進めてくれ。俺はその間、あの化け物の気を引いて持ちこたえる」

 そう言うと響の宮は船長室に走り、長い銃身の雷管式マスケット銃を持ち出してきた。

 「さあ、みんな船内に避難しろ」


 響の宮は一人で海入道の巨体の前に身を晒した。

 天まで届きそうな大声で唸りながら右舷に迫る海入道の手。

 「そう簡単に食われはしねえっての」

 銃口が火を吹く。だが海入道の分厚い鱗が弾丸をはじき返し、さしたるダメージは与えられない。

 「さあ化け物、どうした」

 海入道の怒りに火がついた。両手を振り回しながら響の宮を追う。大きな爪が慧牡丸の甲板に叩きつけられ、幻鋼の金属音が響く。

 「そんな程度じゃこの船は潰れねえっての、ほらこっちだ」

 身をかがめて海入道の腕の一振りをかわして再びマスケット銃が鋭い発射音を響かせた。

 「ぐおああっ」

 海入道の肩口に命中。かすり傷くらいは与えられたか。激昂した海入道が響の宮を追う。

 「おいっ、まだかっ」

 右へ左へ、怪物の巨大な手から逃げまどう。その間、嵯雪たちは囮にするための鎧の両脇にたっぷりと火矢用の油を入れた樽を抱かせた。

 「さあ、引き上げてくれ、その滑車で」

 ギリギリと音を立てながら囮が引き上げられてゆく。その動きに海入道も気がついた。

 「いやいやそっちじゃない、お前の相手は俺だっ」

 右舷ギリギリまで身を乗り出した響の宮が、目の前の海入道の気を引く。

 「さあ、こっちだ。来いっ化け物め」

 銃を構える響の宮に、海入道の大きな手が風を切りながら襲ってきた。

 「しまった」

 響の宮は、濡れた甲板に足を取られて倒れこんだ。スウッと身が軽く持ち上がった。

 「うああっ」

 足を海入道の手に鷲掴みにされた響の宮、目の前には海入道の巨大な口が迫る。鋭い歯は幾重にも重なり、奈落の底のように暗い喉の奥が垣間見えた。

 「う、ううっ」

 海入道の胃袋からは、むせ返るような死臭が湧き上がる。このままでは身体をバラバラに噛み千切られて食われるに違いない。

 「お、おいっ、嵯雪。まだか、まだかっ」


 やっと駿光丸の船尾に囮の鎧が吊り上がった。まるで人間がその先にゆらりゆらりとぶら下がっているよう。嵯雪が見上げている。

 「ようし。こいつに海入道が食らいついた瞬間、船首のアームストロング砲から特大の榴弾砲がドカンと」

 表仕が頷く。

 「あの化け物もドカン、だ。さあ船を出すぞっ」

 甲高い水中回転翼の音とともに激しく水飛沫を立てながら駿光丸が全速で慧牡丸を離れた。響の宮はそれを見届けた。

 「ようし、頼んだぞ嵯雪」

 海入道に足を掴まれ逆さ吊りのまま響の宮はマスケット銃の引き金を引いた。

 「臭えんだ、てめえ」

 銃弾が海入道の右眼を貫いた。どす黒い血が噴き上がる中、思わず力が抜けた手から甲板に落下した響の宮は全身を強く打ちながら、転がるようにして慧牡丸の船内に逃げ込んだ。

 「すべての扉を閉めよっ」

 怒りにまかせて海入道が船を打ちつける。その都度、船が割れるかと思うほどの激しい音が船内に響き渡った。

 「もう少しの間、持ちこたえてくれ、慧牡丸・・・」

 荒波に揉まれる木の葉のように、大海の中で海入道に弄ばれるうちに慧牡丸のあちらこちらが軋み始めた。

 「もう少し、もう少しでいいんだ・・・」

 強烈な打撃音とともに、船員たちが避難している船底がぐにゃりと歪んだ。続いて二度、三度。どんどん歪みは大きくなる。

 「げ、幻鋼をこれだけひん曲げるとは・・・」

 あと数回も同じ調子で打ち付けられたら船底に穴が空くだろう。そうすれば、海入道と海小僧お大群が待ち構える海に投げ出される羽目になる。

 「慧牡丸っ、俺は信じている。信じてるぞ、お前をっ」

 ガシンッ、ガシンッと音のするたびに恐怖が大きくなってゆく。

 「もう限度だ・・・次の一撃で船の横っ腹に穴が空く・・・」

 響の宮、そして慧牡丸の乗組員だちは腹をくくった。


 「あれっ」

 ほどなく、慧牡丸の船内は静寂に包まれた。

 「ど、どうした・・・?」

 休み無く続いた海入道の猛攻がパタリと止んだ。

 「上手くいった、のか・・・?」

 響の宮は甲板のハッチを恐る恐る開いた。相変わらず強い雨が叩きつけるように降っている。

 「おっ」

 慧牡丸から遠ざかってゆく海入道の背びれが見える。そのすぐ前を白煙を上げながら全速で逃げる駿光丸。

 「さあ、化け物、追いつけるものなら追いついてみな」

 駿光丸の船尾で叫んでいるのは嵯雪。滑車のついた支柱にぶら下がった囮の鎧を追いかける海入道を挑発しながら。

 「ようし、こちらも準備にかかるぞ」

 響の宮は船首に走った。六寸の口径をもつ重量級のアームストロング砲、その砲台は、しかしその大砲の重厚長大のゆえ可動式ではなく、据え付けの装備。

 「船を安定させねば照準も定まらん。さあ、右の錨も下ろせっ」

 碇捌いかりさばきの係の船員が右舷の錨を海中に投げた。大時化の海にあって慧牡丸はその位置を固定した。時折押し寄せる高波に呑みこまれそうになる。

 「ちょうどいい、波頭が船を隠してくれてるようなもんだ」

 砲兵長が叫ぶ。

 「風向南南西、風力ビューフォートの階級六っ。雄風であります」

 さらに幾つかの図面を照らし合わせて手早く算盤の駒を指ではじく。

 「現在慧牡丸は静止、仰角および方位角の設定完了。あとは、距離・・・」

 響の宮が呟いた。

 「距離か。二十間、ああそうだ。駿光丸と海入道の速さの差を考えれば、おそらく船首から二十間ほどのところで、あの怪物は囮に食らいつく。あとの微調整は任せろ。必ずあの怪物に特大の榴弾をぶち込んでやるっ」

 設置された光学式の測距儀そっきょぎの前に座り込んだ。


 荒れ模様の空を鏡に映したような濁った色の海に、大きな弧を描いて駿光丸が真っ直ぐ向かってきた。もちろんそのあとを海入道が追いかけてくる。なんども振り返りながら、嵯雪が声を張り上げている。

 「なんて速えんだあの化け物っ。全速だ、全速。追いつかれたら食われるぞっ」

 どんどん距離を縮めてくる海入道。駿光丸の水中回転翼が最大出力で唸りを上げた。

 「どうだい、ほら。追いついてみろってんだ、このウスラバカめっ」

 海入道を慧牡丸の正面に誘導するべく駿光丸の船尾から挑発する嵯雪、だが一気にその顔色を青く変えた。

 「なにいっ」

 突然、海入道が両腕を大きく高く掲げ、覆いっきり海面に打ち下ろすと、山かと見まがうような巨大な高波が出現し迫ってきた。

 「船が、船があっ」

 高波に襲われた駿光丸は大きく傾き、前のめりに舳先を海中に突っ込んで動きを止めた。

 「沈む、沈むぞ…」

 回転翼は空中でむなしく空回りを続ける。かろうじて静策にしがみついて海に投げ出されるのを防いだ嵯雪の目の前に、海入道が近づいて来た。


 一方、待機する慧牡丸にも高波は迫っていた。

 「船長っ、固定したままでは完全に呑みこまれてしまいますっ」

 「言われずとも判る、急いで錨を上げろっ。両方だ、左舷も右舷も」

 高波が到達する寸前に錨は引き上げられ、慧牡丸は波間に沈むのを免れた。

 「しかし、これでは照準が定まらんっ。いやちょっと待て・・・」

 遠眼鏡を覗き込んだ表仕が嘆くように言葉を吐き捨てた。

 「それ以前に・・・駿光丸が転覆しちまってるじゃねえか。もはやこれまで…」

 天を仰ぐその頬を、響の宮が強く張り飛ばした。

 「投げ出すんじゃねえっ、まだ勝負は終わってないんだ。見ろあれを、嵯雪どのは俺たちを信じて作戦を完遂しようとしてる。俺たちも信じるんだ、彼を、そして自分たちを」


 揺れる波の合間に、海に突き刺さるように浮かんで身動きのとれない駿光丸の姿が見える。囮にとぶら下げた鎧は高波の衝撃で外れ、折れかけたメインマストの途中に引っかかったまま。海入道はまるであざ笑うように、ゆっくりと駿光丸に近づく。

 「さあ、面白くなってきやがった」

 嵯雪はチラリと慧牡丸の方を振り向き、ニヤリと笑って一度だけ深く頷くと、折れかけてひん曲がったメインマストをよじ登り始めた。

 「作戦は遂行中だ。やると決めたらやり切るのさ」

 まるで双手を上げ降伏している様な姿のまま引っ掛かってぶら下がっている囮の鎧から油の樽を外すと、嵯雪は自らの腰に括りつけた。海入道が迫る中、どんどんマストをよじ登ってゆく。

 「待ってろよ化け物…」


挿絵(By みてみん)


 「あ、あいつ…」

 慧牡丸船首の照準器に腰かけた響の宮が思わず立ち上がった。

 「作戦続行っ。さあ全速で駿光丸に向かうぞ。あっちが動けない以上、こっちから出向いてやる」

 

つづく

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