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小説幻怪伝  作者: 蝦夷 漫筆
魔の波濤を超えて~遠州灘海戦編
90/122

嵐を呼び込む大海の魔人

 決戦の地を目指し海路を進む慧牡けいおすの民と嵯雪さゆきに突如襲いかかったのは遠州灘の魚人・波小僧。苦戦しながらも撃退に成功したと思われたその時、船団のまえに大きな渦が出現した。


 「呑み込まれるぞっ」

 嵯雪が叫んだ。どんどん大きくなる黒い渦は回転するスピードを上げ、船団を強い力で引き込もうとしている。

 「取り舵だ、取り舵いっぱい」

 ひびきの宮が檣楼しょうろうで声を張る。楫子かじこが目いっぱい操舵ハンドルを左に回す。

 「いや、間に合わない」

 強い力で渦に向かって引っ張られているようだ。表仕(おもてし=一等航海士)と顔を見合わせた響の宮が、あらためて叫んだ。

 「逆回し、逆回しだあっ。直ちに全隻、全速で水中翼を逆回しっ」

 雨の中、次々に旗振り通信で各船舶に指令が伝えられた。ガクン、ガクンと何度か衝撃ののち、けたたましい音と共に水中のスクリューが最大出力で逆回転をはじめた。

 「す、すげえな・・・」

 あっけにとられる嵯雪を甲板に乗せた慧牡丸は潮流に逆らってぐいぐいと後戻りを始めた。他の船も同様に渦に引き込む流れから脱出をはかり船尾から白煙を濛々と立ち上げている。

 ほどなく海に出現した大渦は、まるで自身を飲み込むようにあっさりと海中に消えた。


 「びっくりさせやがって」

 叩きつけるような雨に混じって目に染みた冷や汗を拭き取りながら嵯雪は腰を下ろした。響の宮は相変わらず鋭い目で海面をうかがっている。

 「まずい・・・」

 「ん、どうした、響さんよ。最新装備のおかげで危機脱出、ほっと一息ってなとこじゃねえのか」

 「いや・・・」

 船員たちも明らかに落ち着きがない。他の船も一旦動きを止め不安そうにあたりを見回している。

 「もしや・・・」

 「来るか」

 「あいつか」

 突然、響の宮は舳先、右舷、左舷とあちこち走り回りながら探し物をするかのように海面を、いや海中をじっと見回り始めた。嵯雪が怪訝そうに後を追いかける。

 「なんだ、どうしたってんだ、おい」

 「あいつが、来る・・・」

 響の宮は険しい表情のまま、じっと波の動きを注視している。

 「海入道・・・海の民ならその名を口にすることさえおぞましい怪物」

 「海入道?」

 「ああ、丘の人間は知らんだろう。ダイタラボッチと同じく古代巨人族の生き残りで、主に人間をエサに生きてる化け物だ」


 急に、船尾から片表(かたおもて=副航海長)が叫んだ。

 「後ろっ、後ろだっ」

 皆が振り向いた時、すでに海面は激しく盛り上がっていた。

 「う、うあああっ」

 沈香茶とのちゃ色のヌルヌルした鱗に囲まれた巨大な眼が上空から船舶を見下ろしている。

 「全艦、全速前進っ。急げ、急げえっ」

 響の宮が声を張り上げたが、最後尾につけていた壮洋丸そうようまるの船体の半分はもう海入道にのしかかられていた。マストより上にある巨大な腕が唸りを上げて振り下ろされる。

 「ぐはあっ」

 大きな穴が甲板に空いた。ミズンマストは小枝のように真ん中でへし折られた。くしゃくしゃになった静索に絡まって動けない船員たちに容赦なく巨大な手が迫る。

 「逃げろっ、逃げろおっ」


挿絵(By みてみん)


 響の宮の精一杯の声も届かぬうちに、船員たちが食われてゆく。飽き足らぬ海入道は血に染まった甲板を舌なめずりしながら、餌食になる人間を探している。船員たちは慌てふためきながら我先にと船底に逃げ込んだ。

 「ぐううっ、ぐううっ」

 海入道は甲板上にエサが見当たらないと知るや、壮洋丸にのしかかりながら両手の鋭い爪を船の横腹に突き立てた。

 「捨てろっ、船を捨てるんだっ」

 壮洋丸の船長は叫んだ。左右の舷は破壊され、嵐の海から激しくうねる海水が流れ込み船内が満たされてゆく。

 「飛び込めっ、そして泳ぐんだ。必死で泳ぐんだあっ」

 もはや船の形は失われた壮洋丸から次々に船員たちが海に飛び込んでゆく。だが阿鼻叫喚の轟きは止まなかった。海入道のは大きな口をあけて海水ごと船員を次々に呑み込んでゆく。

 「掴まれ、さあっ、早く掴まれ」

 何とか海入道から逃れた者に他の船が投げた浮き輪も殆ど役に立つことは無かった。海入道からやっと逃れた遭難者たちに今度は波小僧の群れが再び襲い掛かる。

 「ああっ、ああううっ」

 血の匂いを嗅ぎつけ集まった波小僧たちはビチャビチャと小波をあちこちに立たせながら、海面にもがく男たちに群がる。頭から手から足から容赦なくかじりつき、赤い海に漂う無数の白骨の断片だけが残された。

 「おそろしや・・・」


 恐怖に震えてばかりはいられない。まだまだ空腹を満たさぬ海入道が残りの船に襲い掛かろうと迫ってきた。

 「取り舵っ、取り舵いっぱいっ」

 響の宮が叫ぶ。

 「錨を下ろせっ、左舷の錨を今すぐっ」

 碇捌いかりさばきの船員が急いで大きな鎖に繋がれた錨を海に投げ捨てると慧牡丸は左に大きく船体を傾けながら反時計回りに急旋回した。

 「砲兵、弾を込めいっ」

 ぐっと沈み込んだ左舷が波に揺られてゆっくりと戻る。船が水平になった。

 「撃てえいっ」

 慧牡丸右舷の六門のカノン砲が火を噴いた。口径三寸の砲身がブルンと震えると、飛び出した砲弾が次々に海入道の腹に命中した。

 「やったっ、このうすらでかい化け物めっ」

 小躍りする嵯雪。しかし喜んだのは束の間。

 「効いてねえ、効いてねえぞっ」

 少しばかり身を捩って悶えたように見えた海入道、少しばかり腹の鱗が毛羽立った程度で、かえって激しく暴れだした。

 「まだまだっ」

 慧牡丸に続いて他の船も次々に海入道に向けてカルバリン砲を撃ち込んだ。命中の度に海入道は身体をくねらせて苦悶の表情を見せるが、硬い鱗を穿つことは適わない。

 「やっぱり化け物だ、とんでもねえ化け物だ」

 砲弾の雨あられを受けながら、次第に船団に向かって距離を詰めてくる。

 「このままじゃいつか弾切れで一巻の終わりだ、何か策はねえのかっ」

 苛立つ嵯雪。響の宮は厳しい表情のまま近づいてくる海入道をじっと見ている。

 「おいっ響、このままじゃ全滅だっ。聞いてんのか」

 「いや、全く効いてないぞ、あれは・・・」

 「そっちの『効いてる』じゃねえ、俺の話が聞こえてんのか、って言ってるんだよっ」

 「ああ、聞いてるさ。確かにこのままじゃヤバい・・・」

 響の宮は通信兵を呼んだ。

 「慧牡丸以外は全速で離脱せよ」

 「どういうこったい」

 怪訝そうな顔をする嵯雪に向かって響の宮は唇を噛み締めながら言った。

 「この慧牡丸は骨組みや外壁に幻鋼げんのはがねが使われているから少々のことでは沈まん。その間に他の船を逃がす」

 響の宮からの命によって大急ぎで旗振り通信が行われ、慧牡丸以外は水中翼による最大推力で遠ざかっていった。


 「何とか持ちこたえてくれ・・・」

 海入道はどうやら慧牡丸に狙いをつけたようだ。鳴り止まぬ砲撃の音、しかし怯まぬ海入道はどんどん近づいてくる。

 「しかしどうする、いずれ弾は尽きるだろう。幻鋼の装甲もいつまでも持ちこたえられるってわけじゃない」

 「ああ・・・もしかしたら特大の榴弾りゅうだんなら・・・」

 「そ、そんなのがあるのか」

 響の宮が呟いた。

 「ある。とっておきのが一発だけ積んである。だが船首備え付けのアームストロング砲からしか撃てん。射程は短く照準の微調整が出来ないんだ」

 「ううむ・・・至近距離から、一発勝負。そういうわけだ」

 「そうだ。しかも、もし海入道の鱗が硬くて跳ね返されるようなことがあれば・・・」

 「最悪だな、撃ったこっちが吹っ飛ぶ。そういうわけだ」

 頭を抱え込んだ嵯雪。そうしている間にも突風のような海入道の荒い鼻息が近づく。腹に胸に砲弾を浴びるたび耳をつんざく咆哮をけたたましく響かせながら。

 「ようしっ、いい作戦を思いついた」

 海入道を見据えながら呟いた嵯雪は、響の宮たち慧牡丸の船員を呼び集めた。


 「一番速い船はどれだ」

 「ん、そりゃ駿光丸しゅんこうまるだ。民間の樽廻船たるかいせんを改造したものだが、すこぶる速いぞ」

 波間に避難している駿光丸を見て嵯雪がニヤリと笑った。

 「ほう、後ろにゃ積荷を引き上げるための滑車までついてるじゃねえか、ちょうどいい」

 「どういうこったい、そりゃ」

 首をかしげる響の宮たちに向かって嵯雪が作戦を説明した。

 「いいか。俺があの船を借りるぞ、表仕と機関長もだ。駿光丸が囮になって海入道に追わせるんだ。後ろの滑車にゃ響、お前さんの鎧を、案山子代わりにぶら下げておく」

 「ど、どうするつもりだい?」

 「海入道はエサだと思って追っかけてくる」

 「ほう」

 表仕が頷く。

 「確かに駿光丸の速さなら海入道に追いつかれずに逃げ回れるに違いねえ」

 「頼もしいねえ。で、ここからだ」

 嵯雪が得意げに話して聞かせる。

 「滑車にぶら下げた鎧にゃ火矢で使う油をたっぷり樽に入れて括りつけておくんだ。海入道を誘導してこの慧牡丸の正面まで誘導するのさ」

 「ん、で、どうなる?」

 「ちっ、鈍いなあ。そしたら俺たちは急いで慧牡丸に飛び移る。海入道が駿光丸にぶらさがった鎧に食いついたとき、ご自慢のアームストロング砲から特大の榴弾砲をぶっ放してもらえばいい」

 「なるほど、あの化け物はやたら鱗が硬いから幾ら外から大砲を打ち込んでも効きゃしないが、口を開けたところに油と爆弾をぶち込めば・・・」

 「そういうこった。間違いなく木っ端微塵、だ。どうだい?」

 嵯雪が響の宮の目を覗き込む。少し目をそらせた響の宮。

 「悪くない、だが危険だ。危険すぎる・・・」

 「そりゃ百も承知よ」

 嵯雪は響の宮の肩をポンと叩いた。

 「だが、このまま黙ってウジウジしながらあいつのエサになんざなりたかねえ。たった一発の榴弾砲、これに賭けるしか無えじゃねえか」

 「・・・そうだな」

 「だろ?」

 「ああ。そうだ。ようし、早速取り掛かるぞ」


つづく

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