最速の刃、迫る
不死の恐怖、存毘の襲撃をかわした幻怪戦士たちに次なる敵が襲いかかってきた。
突風に巻きあげられたのは、一刀彫の雅。波動を帯びた剣の一振りで風を払うと、一人の妖怪が前に立ちすくんでいた。
「久しぶりだな」
金色の短い毛を西風になびかせながら、威圧的な鋭い牙が光る。
「また痛い目に遭いに来たか、雅」
「あの頃の俺じゃねえぞ、カマイタチ」
小柄な体躯をぐっとかがめて岩場に踏ん張る妖怪・カマイタチは、雅の睨むような目線に冷ややかな笑みで返した。
「あ? どの頃のお前だって取るに足らんさ」
間を置かずに戦闘は開始された。バネのようにしなる脚が岩場を蹴りあげる。金色の体毛がキラキラと反射して見えた。
「さあ」
両手に持った鎌を振り上げるカマイタチ。その下をくぐり抜けるように飛び出し、相手の着地に合わせて振り向きざまに崇虎刀を一閃、斬りあげる。
「ふんっ」
左手の鎌で雅の一撃を振り払ったカマイタチの、もう一方の手に握られた鎌が雅の襟元を切り裂いた。
「うっ」
「遅えな、まったく遅え」
すんでのところで身を引き致命傷を免れた雅のひきつった顔をあざ笑うカマイタチ。
「小便ちびってんじゃねえよ、ふふ」
同時に低い姿勢で飛び込んできた。
「お前の剣にゃハエがとまるぞ」
速い。キーンと空気を唸らせて接近するカマイタチの両手の鎌。目が追いつかない。雅はもう一本の刀・紊帝を抜き、二刀をやみくもに振り回しながら必死で飛び退いた。
「ああ、哀れだな。その程度で剣士を名乗っちゃって」
知らぬ間に身体のあちこちに切り傷を刻まれながら倒れ込んだ雅の目の前で、カマイタチの歪んだ口が微笑んだ。
「死ね、ほら。あ?」
フワッと風が吹き下ろした。雅の両耳に金切り音が迫る。
「うああっ」
切っ先が両方のこめかみに達する寸前、雅は紊帝の剣に全身の波動を注ぎ込んで突き出した。バチバチと激しい音をたてて剣から放出された光が瞬時に炸裂した。
「くっ」
鎌から伝わる激しい雷光に反射的に飛び退いたカマイタチは両腕に残る痺れを振り払うような仕草をしながら微笑んだ。
「ほう、面白い技を覚えたじゃねえか。雅よ」
立ち上がって態勢を立て直す雅を見据えて、カマイタチは両手の鎌を頭の上で十字に構えた。
「これからが俺の本領発揮さ」
全身の毛をカッと逆立たせたカマイタチは、突き上げた鎌を自身の周りで二、三度回転させた。手首を捻るようにうねらせると、激しいつむじ風が巻き起こる。
「さあて、お楽しみの時間だ」
地面を覆い尽くした落ち葉が次々と舞い上がる。ぐるぐると雅の周囲を回り始めた風は無数の木の葉で視界さえままならなくする。
「ほら、こっちだよ」
雅を取り囲むように舞う木の葉の合間にチラリチラリ、反射する鎌の先が見える。
「どっちだ、どっちだカマイタチ」
ふっ、と左頬に鋭い痛み。目元に血飛沫が見えた。
「そこかっ」
空を切る崇虎刀。雅の頬をかすめて小さな切り傷を刻んだのは高速で回転する木の葉だった。
「ここだよ、ボケ」
背後にブウンと唸る音。咄嗟に身を逸らす。だが今度は右の肩口に鈍い痛み。振り返りざまに剣を真横に振り抜く。
「ちっ」
が、難なく避けたカマイタチが再び木の葉の渦の中に消えてゆくうすら笑いがかすかに見えただけだった。
「さあ次はどこを切り刻んでやろうか、うひひ」」
徐々に木の葉舞う空気の渦は雅を包みこむように半径を縮めてゆく。
「誰も俺の姿を見たやつはいない、って言うがな。そりゃそうだ、この速さについてこられる人間などいやしない」
あっちかと思えばこっち。木の葉の隙間に一瞬だけみせる影。目の前だと思って切りつければ右から。ならば右、と振り向けば左から鋭い鎌が切りつける。
「カマイタチは三匹で一対だ、なんてぬかしやがるヤツもいるが…」
三匹どころか、残像で何匹ものカマイタチが周囲を取り囲むようだ。
「違うぜ。カマイタチを名乗れる鼬の妖は、この俺ただ一人」
ものすごい風圧は呼吸さえ出来ぬほど。一気に風の渦が収束し、まるで時間が止まったように木の葉が宙に静止した。
戸惑う雅。
「えっ」
目の前に、カマイタチはいた。
「旋風が一瞬巻き起こす真空が切り傷をつける、なんて言う人間もいるがな。その真実は、こういうことさ」
両腕を十字に交差させて鎌の先を首筋めがけて打ち込んでくるカマイタチに対して雅は反射的に飛び退けようと踏ん張った足が空を切る。
「なにっ」
激しい渦が作った重力場が急に失われたことによる一瞬の無重力状態。真空となったその場で雅は足場と平衡感覚を失った。
「きえええっ」
カマイタチの咆哮も真空では耳に届かない。ただ、スローモーションのように近づく鎌の刃。
「ううっ」
思わず身をかがめた雅は笠ごしに痛烈な打撃の衝撃を受けた。耳が割れんばかりの音。そして身体が何回転したことだろう。天地もわからぬまま地面に叩きつけられた。カマイタチの声がする。
「運がいいな」
咄嗟にうつむいたお陰で鎌の刃先は雅の首筋ではなく、笠を切り裂いていた。幻鋼の強靭な裏打ちをされた防具代わりの笠が、雅の頭部が跳ね飛ばされるのを防いでくれた。
「笠に救われたか、だが次は無いぞ」
今度はさらに大量の木の葉が巻き上げられた。轟音とともに雅を包む空気の渦。もはやカマイタチの姿は全く見えない。
「ひひひ」
卑しい笑い声だけが渦のなかからかすかに聞こえるだけ。雅は深く呼吸をしたのち、目を閉じた。
「視覚でとらえられぬもの、視覚に感ずるべからず…」
「はあ?」
鼻で笑うカマイタチ。
「寝てんのか、このタコ」
耳に伝わる轟音、その中にわずかに混じる鎌の金属が生み出すキーンという高周波。一体となってその距離はどんどん縮まってくる。時折聴こえる薄気味悪い声を混じながら。
「うひひひ、さあ死んでもらうぞ」
肌に、産毛の一本一本にまで感じられる空気の流れ。風と木の葉が作る規則的な円に混じって、同じく正確な円を描いて回る流れがある。
「来るか…」
雅の脳内で音が、気圧が、細密画のように再構築され視覚化されてゆく。ますます近付く刃先の風切り音。
「あと二間半、二間、一間半…」
その時、ふと強い西風が吹きこんできた。風の渦が大きく揺れ、風下に向かって伸びるように形を変えた。
「あと一間…射程距離だっ」
目を閉じた暗闇の中で再構築された画像には、すっかり形をゆがめた空気の流れに反して、正確な円周で動く高周波と空気のゆらぎがくっきりと浮かび上がっていた。
「そこだ」
鎌の刃が飛び出してくる一瞬前に、雅が突き出した崇虎刀。
「うあっ」
カマイタチが突き出そうとしていた二本の鎌の湾曲にその刀身が引っ掛かった。回転を急に止められ、遠心力のままにカマイタチの身体がフワリと宙に浮いた。
「えっ、何っ、何っ」
ストップモーションの真空の中で、カマイタチの狼狽した顔が眼前にあった。目を合わせ、ニヤリと笑った雅。
「言っただろ、昔の俺じゃない、って」
雅のもう一方の手が握った紊帝が振りあげられた。全身を仄かに光らせ、波動を剣に託す。
「さらば」
「ぎぃやあああうっ」
脳天から爪先まで、ぶれることなく振り下ろされた切っ先が地面に届くころ、カマイタチは断末魔の叫びも中途に真っ二つになって落ち葉が作るベッドに横たわっていた。
「う、う…」
一枚、また一枚と、秋風が舞いあげた紅葉がその亡骸を覆い尽くしてゆく。
「風だ。この風が俺に味方した」
一刀彫の雅とカマイタチが死闘を演じているころ、悦花と裕、煤の前にも新たな妖怪が立ちはだかっていた。
「あっ、ああっ」
草むらから湧き出るように、牙を剥いた狐の妖が群れをなして悦花に飛びかかった。
「ちっ」
裕が弓矢を構える。三本の幻ノ矢をつがえ、めいっぱい弦を引き絞る。
「ええいっ」
びゅんと唸りを上げた矢は、しかし別の方向から突如飛来した三本の矢によって空中で撃ち落とされた。
「なにいいっ」
矢の飛んできた方角を振り返った裕が息を呑んだ。
「お、お前は…」
つづく




