地中より出でし恐怖
「風だ、この風が俺を呼んでいる」
肌寒ささえ感じる雨上がりの秋風が西から山林のくぼ地に吹き込んでくる。杉林の下草に紛れて黄色く目が光った。
「来るぞ、来る。わかるかこの匂いが。うひひひ・・・」
二度ほどぶるっと身震いさせたその影は、再び草むらの中に身を潜めた。
―東海道・袋井周辺―
「それにしてもあの船頭、やたらがめついったら無えな」
河童の煤が携帯型情報解析装置・相場銅の画面で各地の渡し賃相場を検索しながら呟いた。それを横目で見ながら一刀彫の雅が笠の下からたしなめる。
「まあ、そうイラつくなって。天竜川は昔っから渡し賃が高いんだ。それに今はとにかく急がなきゃいけねえんだからな。雨だってのに船出してくれただけでもツイてるってもんだ。値切ってる時間も勿体無えしな」
「そりゃ雅さんは二本差し。タダで済むんだからそう言いますがね、中洲で乗り換えで二回も渡し賃取られて、挙句に急ぎの船だから割り増し料もだって。まあがめついったら」
冥界帝国が現世の滅亡という野望を実現させるため、遂に超破壊兵器「暗黒の怨球」の霊峰富士での使用を画策していると確信した幻怪衆は、三手にわかれて東進した。
幻怪戦士四名は河童の煤を帯同し、東海道と平行するようにひっそりと存在する北の山沿いの道を進んでいた。
「ともあれここまでは順調に来たな。山道は厄介だが、昨今は関所の検問も随分厳しいからな、こっちの方がずっと早い」
高台に上れば南には多くの人でに賑わう東海道の往来が見える。ふと北東を見やる。からくりの裕は、腰元にぶらさげた竹筒の水を少しだけ口に含みながら、自らを叱咤するように声を上げた。
「雨もすっかり上がったことだし、もうすぐ進めば富士のてっぺんも見えてくるだろう、さあ、猶予は無い。先を急ぐとするか」
「のんびり遠州三山にでも立ち寄りたいもんだがねえ」
懐から取り出した貯古齢糖を頬張る蝦夷守龍鬼が呟くのを聞いて花魁・悦花が尋ねる。
「ん、蝦夷さん。そんな信心深かったっけ?」
「んにゃ、門前の屋台めぐりをしたくってね」
「ちっ、罰当たりなやつ・・・」
西からの追い風でますます歩が進む。雑木林のくぼ地は日が翳って風が妙に冷たく感じられる。
「いや、この寒さ・・・」
悦花が眉をピクリと動かしたその時、煤の手元で相場銅がぶうんと震えた。画面には赤い文字で急を知らせるサインが点っている。同時に、相場銅の底面にある小さな孔から声が聞こえてきた。
「危険です。危険です。強い敵に警戒してください」
妙に不安を掻き立てるアナウンスは男性の声。
「な、なんだそりゃ、煤」
「あっ、これは波動検知装置と連動させた警告通報機能なんですが、一定以上の強さの負の波動が近づいてきた時にこの警報が作動するんですよ」
一同が物珍しそうに相場銅を覗き込んだ。
「へえ、すげえ発明だな。敵襲が予知できる、ってわけだ」
「だがこの無粋な声はいただけないね。かえって不安を煽っちまう」
「せっかくなら可憐な女性の声にするってのはどうかね・・・」
悦花が首をかしげた。
「ところで、煤。敵がどのくらい近くなったらそいつが作動するんだい。そいつが鳴ってからどれくらいの時間で敵襲があるんだい?」
思い出したように顔を上げた煤。
「あっ、通常の場合・・・鳴ってから直ぐ、ですっ」
一同、声を合わせて叫んだ。
「それを早く言えっての」
山林の茂みから、野太い呻き声を伴って幾つもの影がにわかに出現、幻怪衆に襲いかかってきた。
「うおおお、うおおお」
見たところ人間のような身体つきをしてはいるものの、血の気の失せた肌はところどころ崩れ落ちている。両手を前に突き出しながらうつろな目、時折足元をふらつかせながらよろよろと近づいてきた。
「な、なんなんだこいつらっ。やけに汚えし気味の悪い連中だ」
やたら鼻を衝く腐敗臭が不気味さに拍車を掛けている。動きは鈍いが得体の知れないオーラに幻思わず身構えた。
しかし、煤が持つ相場銅の画面を覗き込んだ蝦夷守は急にニヤニヤし始めた。
「どれどれ・・・はあ、ザコってやつだな、ふふふ」
龍の刺繍も鮮やかな羽織を翻して颯爽と敵の集団の前に立ちはだかる。
「ぜんっぜん大したことねえな、お前ら。波動値二十前後なんて、たちの悪い人間と同じ程度ってことよ。煤の警報装置もアテにならねえな」
「いや蝦夷さん、油断禁物。数字や情報にも落とし穴はありますから・・・」
煤の忠告に耳を傾けるのもそこそこに蝦夷守は、のしのしと近づく薄汚い敵に向かってピストルを撃ち放った。
「鈍いんだよ、お前ら」
けたたましい金属音の残響が耳に残る。螺旋回転しながら飛んだ鉛の銃弾は正確に敵の胸を打ち抜いた。
「ふふ、プロイセン流儀の最新鋭、鎖閂式ツンナール銃だ」
敵の胸にはポッカリ穴が開き、土色の肉片を撒き散らしながら倒れた。
「ほうら、やっぱりザコ・・・ん?」
仰向けに倒れたはずの敵は、再びむっくりと起き上がって蝦夷守に向かって近づきはじめた。
「不死身ってか。どうなってやがる」
煤が相場銅の検索画面を指で操作しながら叫んだ。
「今ちらっと調べてみたが、そいつらは存毘、存毘ってやつだ。死人に暗黒の波動を注入された屍人形だよ」
「能書きはいい、どうやって倒すんだこいつら」
歩みは遅いが、確実に大勢の存毘たちが蝦夷守の目前にまで迫っている。
「頭っ、頭を撃てばいいって書いてある」
「ようし」
ボルトアクションの甲高い発射音が炸裂し、今度は銃弾が存毘の頭部に命中した。いや、頭部をえぐり飛ばしたと言った方が適切だろう。
「これで存毘退治、ってわけ・・・えっ、ええっ?」
完全に首から上を失ってなお、ゆらゆらと立ち上がって向かってくる存毘を前に、蝦夷守は凍りついた。
「う、嘘っ・・・」
あっという間に囲まれた。次々に伸びてくる土色の手が蝦夷守の首を絞めにかかる。
「こらこら蝦夷の、油断してんじゃねえよ」
裕が放った矢が存毘たちの頭を撃ち抜いて行く。だがやはり、頭部を粉々に砕かれても全く怯む様子は無い。
「ちょっと、こいつら。しぶと過ぎやしねえか」
焦る蝦夷守のもとにサッと駆け寄り、雅が存毘たちの腕を次々に切り落とし、やっと存毘の群れから逃れた蝦夷守がゼエゼエと肩で息をしながら吐き捨てた。
「バケモンだ、こいつら。マジでバケモンだ」
切り落とされてなお、存毘の腕は地面の上でウネウネと動き、手も首も失った胴体はウロウロと歩き回っている。
動きは鈍く、さして強力な武器を持っているわけではない。攻撃パターンも単調極まりないが、とにかく死なないというのは手に負えない。そして数が多い。
「ちっ、キリがねえよこいつら」
雅が斬っても斬っても沸いてくる存毘の群れを前に忌々しそうに呟いた。
「汚ねえヤツめっ」
真正面から胸を一突き。しかし存毘は刺さった刀を握り締めて離さないまま止まることなく向かってきた。生気とともに「恐怖」の感情さえも抜き取られた屍に恐れるものはない。
「お、おいちょっと」
朽ちかけた顔を近づける存毘の下っ腹を思いっきり蹴り飛ばすと、血の一滴も流さずに再び立ち上がって迫ってくる。真っ二つにしてやろう、と上段に構えた雅の背後から一匹の存毘が覆いかぶさって羽交い絞めにした。
「くっ、不意をっ」
屍である存毘に「気配」は存在しない。雅が背後を許すなど通常ではありえないが、存毘に常識など通用しない。
「どいつもこいつも、油断してんじゃねえよっ」
秋の日差しを遮って跳んできたのは悦花。雅の背後に迫る存毘に大煙管を打ちつけると、縦に真っ二つに割って裂いた。
「みんな、もうちょいと気を引き締めて・・・えっ、あれっ」
悦花も顔色を青くした。地に這った存毘の両腕が悦花の足首をむんずと掴んだのである。縦に裂かれた存毘の顔がそれぞれニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている。
「や、やばいよこれっ」
さらに多数の腕が地中から次々飛び出し悦花の身体のあちこちを掴んで引き込もうとする。雅の刀が、裕の矢が、蝦夷守の銃弾がいくら打ち砕いても、雨後の筍ならぬ、雨後の存毘の腕。
「キモいんだよ、あんたたちっ」
振り払っても、振り払っても生えてくる土色の腕が悦花を掴み地中へと引きずり込む。まるでモグラ叩きのように出てくる存毘を叩き潰し、叩き潰し。
「う、うあ、うああっ」
気がつけば胸まで埋まっていた。
つづく




