旗が、振られた
風雲急を告げる、とはこの事か。
「助けてくれ、助けてくれえっ」
「なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・」
「逃げろ、逃げろおっ」
駿河から美濃、尾張。東は関東一円、西は瀬戸内にも及ぶ広い範囲を強烈な大地の揺れが襲った。広い範囲で地割れが発生し、煮えたぎるマグマが噴出した。
「こ、この世の終わりか・・・」
嘉永七年、霜月四日から五日にかけて人々を戦慄させた、世に言う「安政の大地震」である。
「いや、これはまだ序章ってとこだぞ・・・」
道具作りの天才、河童の煤は陸田にある幻怪衆のアジト・幻怪伝の一室で自慢の情報電脳装置「魔檎図集」の画面を前に震える声を出した。
「これから大変なことが起きる」
画面にはにわかには信じがたい数値の波動値が表示されていた。
「もう感度の上限振り切ってるよ、これ・・・」
青い顔の煤の周りに一同が集まってきた。
「ん、何なんだ。波動値ってのは」
「それさっきの大地震と関係が?」
「駿河って言ったな、どうして場所が判ったんだ?」
「おお、何か面白い画像は無いのか?」
便利な発明品とともに囲まれて質問攻めの煤がふうとため息をつく。
「ちょっと、誰かドサクサに紛れて変な質問したでしょ」
苦い顔。
「どうせ烏帽子のひとだ。まあいい、面白い画像は後でゆっくり検索して楽しみましょう。いやそんな場合じゃないんですって」
真顔に戻る。
「これ、これを見てくださいよ」
煤が示した魔檎図集の画面には地図が映し出されていた。山の凹凸、川の流れ、街道に至るまで詳細、鮮明に描かれている。
「夫羅さんが長年かけて設置してくれた各所の波動検地札からの情報を重ね合わせると・・・ほら」
画面には木曽川、濃尾平野など見慣れた地形が表示された。
「ええっと、操作はこの鼠箱で・・・」
小さな箱型の装置のスイッチをカチカチさせると画面上に白く光る点がいくつも表示された。
「ほら、ここが今我々がいるとこ。青い丸ね。周りに光ってる点は、波動が高い部分なんです。それぞれ数値化してその大きさを点の大きさで表してます」
「ん、つまりこの点一個一個は俺たち、ってことか」
「ええ、そうなります。その点にこうやって矢印の先っちょを合わせると・・・」
画面上の点の横に数字が現れた。それぞれの点で少しずつ数値が異なる。
「ほら、これが波動の強さ。波動値です」
一同は興味深そうに、画面を食い入るように覗き込む。
「へえ、すごいな。これは百二十、こっちは七十。あ、そっちの大きな点は七百って出てるぜ」
通常の人間はせいぜい十前後ですからね。波動の技を修行した幻怪衆の皆さんなら百は超えてると思います。幻怪なら数百ってとこでしょうか」
感心するような口調の那喝均蔵。
「たいしたもんだ。軍勢の勢力が人目でわかる仕組みだな」
煤が頷きながら答えた。
「え、ええ。もちろん現実の戦闘となれば、数値や分析だけでは計り知れないものがありますが・・・まあ参考にはなるでしょうね。それよりも、これですよ。あっしが驚いたのは」
煤が鼠箱を動かしながら何度かカチカチと操作すると縮尺を大きくした地図の画面上に、白い点のほかに真っ黒な点があちこちに散在していた。
「あれ、なんだその黒いシミ」
振り返った煤、眉間にしわを寄せた。
「これが負の波動。冥界、暗黒帝国の力です。駿河から甲府一帯にかけて、この黒いシミがわんさか。辺りの地形すら歪んで見えるほどです」
「つまり冥界からやってきた妖怪たちがウジャウジャいる、と・・・」
「ええ。明らかに我々を大きく凌ぐ戦力が投入されてます。今までの解析で言えば、あのヌラリヒョンだと波動値は負の千を超えます」
嵯雪が驚いたように尋ねた。
「つ、つまりヌラリヒョン級になると、たった一人で俺なんかの十倍の数値を持つって事か。しかもそんなヤツが一人や二人じゃない、と」
「ええ、そうなります・・・」
悦花が呟いた。
「それなら閻魔卿なら一体・・・」
チラリと悦花を一瞥した煤がため息をつきながら言った。
「閻魔卿、何度か計測を試みましたが、測定値上限をゆうに超えるため計測不能なのです」
「上限?」
「あ、いや負の数値だから『下限』と言うべきかな。とにかく、測定限界値は正負ともに一万ですから・・・」
「一万以上っ」
一同が驚きの声を上げた。
「いやいや、そこで驚かれたら話が進みませんよ。あっしがビビったのは・・・」
煤が鼠箱を滑るように動かして表示したのは霊峰富士。もはや地形の様子が見えないくらいに大きな真っ黒い点で覆われている。
「ここに出現した暗黒波動は、桁が二つ、いや三つも違うとてつもない大きなものなんです。これがおそらく暗黒帝国の最終破壊兵器、怨球」
「昨日の地震はそのせいなのか?」
「何らかの関係はあるかもしれません。ですが、昨日の地震は波動値に換算すればせいぜい負の八千から九千の間。まだまだ本気の攻撃には程遠い。この富士にある力の百分の一も無いでしょう」
「え、えっ・・・」
皆がゴクリと唾を飲み込んだ。
「富士の地下には大地の活力の元になる莫大な力が流れています。あの山はその龍脈の根っこ。そこで怨球が炸裂すれば、被害は等比級数的に跳ね上がる計算になりますから・・・」
一同は険しい顔で互いを見合わせた。
「間違いない。現世は完全に崩壊する」
「いや待てよ」
幻怪きっての知性派、からくりの裕が気付いたように話した。
「我らにも切り札がある。願いの破片、だ。相手が負の波動ならこっちは正の波動。怨球にぶつけて相殺できるくらいの力はあるだろう」
「ええそうかも知れません。しかし、破片は全部揃わなければ、独特の粒子構造がもたらす波動値の相乗効果は期待できませんから・・・」
「ううむ、最後の一片が無いのが悔やまれる・・・あっ、そうだ。あれも強い波動を帯びているんだから、その魔檎図集で検索できるんじゃないか」
目を輝かせた一同の期待に反して煤は首を横に振った。
「とっくにそんな検索はやってますよ。血眼になって、ね。しかし最後の一片を持ち逃げした雲仙は尾張柳生。波動封じの技術は一級品ですから、痕跡さえも見つからないのが現状なのです」
あちこちからため息が漏れ出した。
「ううむ・・・」
どんよりと重い空気が場を包む。
「強すぎるよ、相手が」
「切り札が通じねえってんじゃ勝ち目は無いってか」
「お前さんたち、なあ」
煙管で机の角をトンと叩いたのは悦花。
「たかが数字、んなもんに肝縮めてどうするんだ、っての」
おもむろに振り返った幻怪衆たちに向かって言い放った。
「大きな岩を砕くのは小さな岩だよ。昨日の地震で世の中みんなチビっちまってんだろ、あたしらまですくみ上がっちまうなんて、らしくないぜ」
一同を睨むように見据えた悦花。
「あたしらに力をくれるのはそんな数字じゃない、希望だよ。希望に上限は無いし、まして一人じゃない。勝負は掛け算さ、今までだってそうやって勝ち抜いてきただろうが」
「そ、それもそうだな・・・」
夫羅が頷いた。煤は過去のデータを画面上でパラパラとめくって見ながら言った。
「確かに。あっしらは、数字で言えばとんでもない相手と戦って、それを倒してきてるのは間違いない」
「まあ、どっちみちこのまま何もせずに滅びていくっていう選択肢は無えな」
蝦夷守龍鬼はチラリと一刀彫の雅の顔を見た。
「ああ。相手に不足は無い。そんな強い敵と相まみえるために修行を重ねてきたんだ」
仁美は悦花の腕に巻かれた幻翁の形見にそっと触れた。
「ええ、おじいちゃんがついてるわ。きっと」
画面の地図をぐっと覗き込みながら裕が尋ねた。
「なあ煤。この画面の下の山線や谷線は一体何なんだ?」
「ああ、これは富士の地下の龍脈の強さですよ。横軸は時間。ここ最近の動きから、この力はおそらく三日後に最も強くなる。地殻変動や地熱の推移からして何百年に一度の高まりになるはず」
「おそらく敵もそこに狙いを定めているに違いない。さあ時間が無いぞ、早速駿河に向かって旅支度だ」
幻怪衆は魔檎図集の画面を見ながら作戦を練る。
「相手もこっちの動きを封じにかかるつもりだ、見ろ。東海道に沿って黒い点がわんさかやってくる」
「ああ、遠州灘にもウヨウヨいるぞ。中仙道も封鎖されそうな勢いだ」
腕組みをしながら裕と煤が話し込む。
「東海道は道が平坦だが敵が多い。幻怪四戦士はこの王道で富士を目指す、煤も頼むぞ」
「中仙道は俺たちの庭みたいなもんだ、任せてくれ」
木曽路でならした山賊忍者、那喝均蔵が言った。隣で娘の由梨が頷いている。
「我らの水軍が遠州灘の敵を蹴散らしてやりましょう。嵯雪どのもお手伝い下され」
勢州に名を轟かせた海の男たち、慧牡の民を率いる響の宮と嵯雪がガッシリと手を合わせた。
「じゃあ俺は・・・」
うかがう目つきの夫羅に向かって悦花が言った。
「夫羅さん、そして仁美ちゃん。あと政吉っつあんと音さんは、幻怪殿で留守を守って下さい。ここは私たちの家ですから、しっかりお願いしますよ」
「あ、ああ・・・」
少し残念そうな夫羅であったが、幼子を連れてゆくわけにも、一人残していくわけにもいかず。また確かに悦花が言うように、拠点としての幻怪殿を守ることも重要な役割に違いない。
「ここは任せとけ。存分に戦ってきてくれよ、勝利って名のお土産を待ってるぜ」
吉岡染に白い「幻」の文字が映える幟。
「さあ、いよいよだね。幻怪殿での修行の日々、決して無駄にはならないよ」
思いは一つ。
「幻怪衆、いざ出陣いたす」
旗は、振られた。
つづく