終末の鐘が鳴る
時折吹き上がる橙色の火柱が、深く刻まれた傷の奥まで照らし出す。
「わが屈辱の主を葬って早や一年・・・」
遠くからかすかにうめき声が漏れ聞こえてくる。漆黒のフードの下の赤い目に、溶け出したマグマから立ち上る雷光が映る。
―冥府・暗黒の間―
むせ返るような湿気、暑さ。現世では見たこともないような奇妙な蟲が地面を這いまわっている。
「ま、待ってくれ・・・」
捕えた人間から恐怖や怒り、悲しみなどの負の波動エネルギーを収穫するための牢獄・地獄の拷問施設「針の山」から逃げ出した者が制裁される。
「ぐ、ぐああっ」
閻魔卿の親衛隊「黒鬼」たちに逆さ吊りにされ、閻魔卿の番犬ケルベロスに頭から齧り食われる。
「つまらん見世物だ・・・」
閻魔卿はふと開いた扉の方を向いた。
ゆっくりと歩き近づいてきたのは冥界帝国軍の参謀、ヌラリヒョン。
「閣下、いよいよ」
「・・・」
無言のままヌラリヒョンの顔を見上げる閻魔卿、目を逸らさず薄汚い笑みをこぼすヌラリヒョン。
「完成いたしました」
閻魔卿の眉がピクリと動いた。そっと立ち上がり、ヌラリヒョンに誘導され、さらに深部に設置された暗黒波動の増幅炉へ。
「閻魔卿閣下がおいでになった」
ヌラリヒョンがの声で、防護服を着たオニの作業員たちが整列する。
「幹部一同、すでに揃っております」
冥界を束ねる専制国家、暗黒帝国の重鎮たちが背筋を伸ばしてズラリと立ち並んでいる。
「いよいよか・・・」
閻魔卿は赤い目を輝かせながら、中央に安置された魔鉱石の箱を開けた。
「う、うううっ」
箱の蓋が僅かに開いた瞬間に真っ黒いオーラとともに重苦しい空気が飛び出した。現世の人間なら、このオーラに触れるだけで融解消滅してしまうに違いない。冥界の住人でさえ身を震わす。
ただし、閻魔卿の全身の震えは武者震いのようだ。
「これだ」
黒光りする球。
「これがわれらの未来を生む」
直径約一尺半、どす黒い煙のようなオーラを噴き上げる「暗黒の怨球」は、周囲の空気や重力を歪めてゆらゆらと霞んで見えた。
「冥界の住人たちよ。あまりにも不当に、あまりにも無慈悲に、虐げられてきた八万年の永きにわたる遺恨を晴らそうではないか」
閻魔卿は左手で怨球を鷲掴みにした。
「見ろ、これが暗黒波動の力だ」
そしてゆっくりと箱から取り出した。
「う、うっ」
「ああっ、な、なんだっ」
球の周囲の空間が歪み、中央にぽっかりと黒い穴が出現するほど。まるで天地が入れ替わったようなねじれに冥界の住人たちは足元のバランスを崩した。
「この怨球、如何ほどの力を持つか、見せよう」
微動だにせずに笑みを浮かべる閻魔卿が、右手の魔鉱石が鈍く光る義手で怨球を力強く打ち据えた。
「ぐあっ」
一瞬にして視界が真っ黒に塗りつぶされた。
強い耳鳴り、吐き気を催すような内部からの振動はまるで五臓六腑を掴んで引っ掻き回すよう。続いて激しい衝撃が全身を貫く。空間の歪みが黒い輪になって稲妻を伴いながらとてつもない速さで同心円状に広がった。
「うぎゃあうっ」
低級なオニたちの中には、この衝撃で身体中の骨を砕かれて卒倒し泡を吹いて痙攣している者もいる。
「まだ序の口」
冥界帝国の名だたる幹部妖怪たちでさえ怨球のパワーに驚愕する。
「ようやく、我々にとっての始まり。現世にとっての終わり、が始まる」
この衝撃波は次元の隔たりさえ越えて現世にも届いていた。
ビーンという、不安を掻き立てるような低周波が空の彼方から、いや地の底から聞こえたかと思ったら、まるで地殻をこね回すような大規模な揺れ。
「ふふふ、現世から泣き声が聞こえてくる・・・」
閻魔卿の歪んだ口元に笑みが浮かぶ。
「これは宣戦布告だ。強大な暗黒波動は現世すべてを無に帰す。我らの新たな歴史を始めよう」
冥界の住人たちの万雷の拍手の中、こちらも満足気なヌラリヒョンがおずおずと閻魔卿に近づいた。
「閣下、ご指示を」
跪くヌラリヒョン。
閻魔卿は現世の地図を指差した。
「ここだ」
右手の義手の先に取り付けられたするどい爪をグサリと地図に突き立てた。
爪が示した場所は駿河の霊峰、富士の山頂。
「富士の地下には無尽蔵の力が周期的に動いている。いま丁度その力は破裂寸前。ここに怨球を放り込み炸裂させれば現世はかつてない衝撃と猛火に包まれる」
鋭い爪は地図に描かれた列島を、世界を切り裂いた。
「暗黒波動は噴煙とともに舞い上がり現世一体を覆い尽くす。黒き雨、黒き灰の中、全てが終わる。そして『無』が生まれる」
現世滅亡のカウントダウンの始まりは告げられた。
「邪魔をしにやってくるであろう幻怪衆を食い止めよ」
妖怪軍団の将軍たちが敬礼する中、閻魔卿が声を張る。
「東海道、中仙道、海路、考えうる全ての経路に刺客を放て。ヌラリヒョン、例の者どもはどうだ?」
「準備万端、整っております」
大きく頷いた閻魔卿が高く右手を掲げた。
「全ての価値を逆転させる時が来た。これは革命にして聖戦」
「さあ、終末の鐘が鳴る」
つづく




